アイリーン・ウォーノス

2020年04月

アイリーン・ウォーノスの生い立ち

「私はまた人を殺すつもりだ。私は人間をずっと憎んできた。」女シリアルキラーとして名高いアイリーン・ウォーノスは、自分のことをこう描写した。生まれた時から周囲の大人たちに翻弄され、虐待を受けてきた彼女は、人間の形をした憎悪の塊だった。

アイリーンは1956年2月29日、ミシガン州ロチェスターで生まれた。母ダイアンと父レオは、アイリーンが生まれる約2カ月前に離婚している。その後ダイアンはアルコール依存症に陥り、4歳のアイリーンと5歳のキース(アイリーンの兄)の前から姿を消した。

親に捨てられたウォーノス兄妹は、ダイアンの両親に引き取られるが、実の祖父から壮絶な虐待を受ける。殴る・叩くは日常茶飯事で、性的にも虐待された。体にオイルをかけられ、ライターで火をつけられたこともあったという。祖母はアルコール中毒者で、1971年に肝不全で亡くなった。

アイリーンは14歳の時、祖父の友人にレイプされ妊娠、1971年に誕生した男児は、生まれてすぐに養子に出された。15歳の時祖父から家を追い出されると、森の中や廃車などを住み家とし、売春で生計を立てるようになる。反社会的な性格はこの頃すでに形成されており、暴力事件や窃盗罪で度々逮捕された。

凄まじき憎悪殺人

ウォーノスは1986年、ゲイバーで知り合ったティリア・ムーアと暮らすようになる。ムーアとの恋愛関係は1年ほどで終止符を打ったが、2人はその後も親友として行動を共にした。ウォーノスは売春と窃盗で生計を立てていたが、年齢と共に収入は激減、1989年には日用品の購入にも事欠くようになった。この頃のウォーノスは以前にも増して好戦的になり、常に銃を携帯するようになる。

1989年11月30日、ウォーノスはリチャード・マロリー(51)を殺害、金品を奪った。被害者に売春を持ちかけ、気を許した相手を22口径オートマチック・リボルバーで射殺する。この方法でウォーノスは1990年11月19日までに、マロリーを含む7名の男性を殺害した。

ウォーノスの犯行には、オーバーキル(過剰殺傷)が見られた。被害者の体には弾痕が複数残され、中には弾を9発撃ち込まれた者もいた。

裁判と判決

ウォーノスは1991年1月9日に逮捕された。逮捕当初、ウォーノスは被害者にレイプされそうになって殺したと、正当防衛を主張していた。しかし、唯一信用していたムーアが司法取引に応じ、ウォーノスの犯行について詳細に語り始めたことを知ると、供述を撤回する。 裁判でのウォーノスは好戦的で、裁判官に向かって中指を立てたり、判決に対し「くそったれ」と言葉を吐き捨てたりした。ウォーノスは死体が発見されなかった1件を除く6件の殺人で死刑判決を受けた。2002年10月9日、薬物注射によるウォーノスの死刑が執行された。