オウム真理教(坂本弁護士一家殺害事件・松本サリン事件・地下鉄サリン事件)

■坂本弁護士一家殺害事件

【概要】

1989年11月4日未明、横浜市磯子区の自宅アパートで、坂本一家3人がオウム真理教幹部らに殺害された。現場から教団のバッジが見つかり、オウムの関与が疑われたが、解決できないまま95年の地下鉄サリン事件などが発生。3人の遺体は同年、富山や新潟県などの山中で発見された。

・松本智津夫死刑囚

松本死刑囚は1984年、「オウム神仙の会」代表として宗教活動を始めた。1994年 6月松本サリン事件を起こして住民8人を殺害し、1995年3月には、死者13人、6300人以上が負傷する地下鉄サリン事件を起こした。
このほかにも坂本弁護士一家殺害事件など、あわせて13の事件でいずれも犯行を首謀したとして殺人などの罪に問われ、2006年9月に最高裁で死刑が確定した。

・新実智光死刑囚

新実智光死刑囚は、1986年にオウム真理教に入信・出家した古参の幹部で、オウムが国の組織に似せて作った省庁制が始まってからは「自治省大臣」を務めた。

坂本弁護士事件では一家3人を殺害。新実死刑囚は幼い龍彦ちゃんの首に手をかけたとされている。検察側は、裁判で、新実死刑囚の役割について「最も血なまぐさい役割」と指摘した。

・中川智正死刑囚

中川智正死刑囚は、岡山県出身で京都府立医科大学卒業後、研修医として病院に勤務。
1989年に病院を退職し、オウム真理教に出家した。出家して、わずか2か月後に関与した坂本弁護士一家殺害事件では、龍彦ちゃんの口を押さえた。

【裁判】

事件発生から約6年後の1995年9月。堤さん、都子さんの遺体が発見された時、坂本堤弁護士の母・さちよさんは「対面することはできなかった」という。96年、裁判が始まった。「自分がどんな精神状態になってしまうか不安」で、法廷に足を運ぶことはなかった。裁判開始から15年。坂本弁護士一家殺害事件で起訴された実行犯5人と首謀者の松本智津夫死刑囚。2011年11月18日の中川被告の最高裁判決で、6人全員の死刑が確定することになり、同事件の裁判は終わった。

【遺族のその後】

遺族は「忘れてほしくない」と願い、日々事件の記録を読み直す。事件を直接知らない世代を含む弁護士仲間は、発見された場所を巡り事件を風化させないよう誓った。

坂本弁護士の妻都子(さとこ)さん(当時29)の父親、大山友之さんは茨城県ひたちなか市の自宅で、毎日パソコンに向かう。事件に関する新聞記事などをパソコンで整理し、10年ほど前に冊子にまとめた。750ページ近く、厚さ6~7センチ。数カ月前から修正作業を続けている。

■松本サリン事件

【概要】

1994年6月27日深夜、松本市北深志1丁目の住宅街で、オウム真理教の信徒が猛毒ガスのサリンをまき、8人が死亡、約600人が重軽症を負った。裁判では、教団元代表の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(59)が指示し、サリンの効き目を試した組織的な無差別テロと認定された。刺殺された村井秀夫元幹部を含む実行役7人のうち4人の死刑判決が確定。教団松本支部の土地取得にからむ訴訟で不利な判決を避けるため、地裁松本支部の裁判官官舎を狙うとともに、住宅街でばらまいてサリンの威力を試したとされる。

【松本サリン事件の被害者で、当初は容疑者扱いされた河野義行さん】

事件発生の翌日には、現場付近に住み通報者でもあった会社員男性・河野義行さんの自宅に警察の家宅捜索が入った。
河野義行さん―薬品の知識があり、事件当日に河野さん宅の庭の池から白い煙が発生したという目撃情報もあった。警察の取り調べとともに、テレビ、新聞も連日、取材を続けた。
河野さんの妻はサリン中毒で重体となり、ご自身もその影響で入院していた河野さんは退院後、記者会見を開いて事件に関与していないことを訴えたが、警察もメディアもその声に耳を傾けることはなく、逮捕のXデイが囁かれるまでになっていた。

翌年に山梨県上九一色村のオウム真理教の教団施設からサリンとみられる物質が検出されていたことが分かり、3月に地下鉄サリン事件が発生、上九一色村の施設が捜索され、5月には松本元死刑囚が逮捕された。
逮捕された幹部の供述などから松本サリン事件はオウム真理教の犯行と分かった。

【今も全国で講演活動を行っている河野さん】

河野さんは今も全国で講演活動を行っていて、当時の警察の取り調べや報道の状況を伝え、あるべき捜査やメディアの在り方を訴えている。

■地下鉄サリン事件

【概要】

1995年3月20日に起きた地下鉄サリン事件では、午前8時頃、東京の都心を走る地下鉄(丸ノ内線・日比谷線・千代田線)の車内に猛毒の神経ガス、サリンが撒かれ、13人が死亡、約6300人が重軽傷を負った。サリンは無色・無臭で毒性は青酸カリの約500倍。1988年イラン・イラク戦争でサダム・フセイン政権がサリンなどの化学兵器を使用したとされるが、大都市で一般市民に対して化学兵器が使用されたのは初めて。

【裁判】

オウム真理教の刑事裁判は、192人が起訴され、13人の死刑が確定する前例のないものだった。

平成7年、全国のオウム真理教の施設に強制捜査が入り、逮捕・起訴された教団の信者たちの裁判が始まった。一部の元幹部は早い段階で犯行を認め、急速に武装化を進めた教団の実態や事件のいきさつを法廷で説明した。そして、高い学歴や専門知識を持つ若者たちが神秘体験などにひかれて入信し、松本元死刑囚を頂点とする組織の中で凶行に走っていった構図が明らかになっていった。

一方、松本元死刑囚は、平成8年4月に始まったみずからの裁判で、一連の事件について、「自分は指示していない。弟子たちに負けただけだ」と無罪を主張した。

しかし、教団の元幹部たちは、指示を受けたことを法廷で次々に証言し、松本元死刑囚は、尋問を妨害するような発言を繰り返した末に、何も語らなくなった。検察は、審理の長期化を避けるため、一部の事件で起訴を取り下げるなど異例の対応を取り、平成16年2月、一連の事件の首謀者として松本元死刑囚に死刑判決が言い渡された。その後、弁護団が2審に必要な書類を提出しなかったことから裁判が打ち切られ、松本元死刑囚の口から真相が語られないまま、死刑が確定した。

ほかの元幹部たちは最高裁判所まで争ったが、平成23年11月、遠藤誠一元死刑囚の上告が退けられ、一連の裁判は13人の死刑が確定して、いったん終わった。

しかし、その年の大みそか、平田信受刑者が警視庁に出頭したことをきっかけに、女性の元信者と高橋克也受刑者も逮捕され、最後まで逃亡を続けていた3人の裁判が始まった。再び始まった裁判は裁判員裁判で行われ、遺族たちが被害者参加制度を利用して直接、被告に質問するなど、以前とは大きく異なる形で審理が進められた。

また、死刑囚に対する異例の証人尋問が行われ、教団の元幹部たちが改めて事件のいきさつを話したが、松本元死刑囚の証人尋問は行われなかった。

その後、平田受刑者は1審と2審で懲役9年の判決を言い渡され、確定した。一方、女性の元信者は2審で無罪となり、最高裁で確定した。そして高橋受刑者は1審と2審で無期懲役を言い渡され、平成30年1月に最高裁で上告が退けられ、確定した。

これによって平成7年に始まった一連の事件の裁判はすべて終結した。

【遺族のその後】

・高橋シズヱさん

地下鉄サリン事件で駅員の夫を亡くし被害者の会代表を務めている。

・オウム事件被害者に11年ぶり賠償金、未払い10億円

オウム真理教による事件の被害者らを支援する「オウム真理教犯罪被害者支援機構」(宇都宮健児理事長)と遺族は6月27日、東京・霞が関の司法記者クラブで会見、被害者ら512人に合計3億5000万円の賠償金が支払われると発表した。賠償金の配当は11年ぶりとなる。