ドロシア・プエンテ

2020年04月

ドロシア・プエンテの生い立ち

殺人の動機について、ドロシア・プエンテ(1929-2011)は、死ぬまで語ることはなかった。一つ言えるのは、彼女は社会的弱者に優しく近づき、命と金を奪ったシリアルキラーだったと言うことだ。

ドロシアの両親はどちらもアルコール中毒者だった。ドロシアが8歳の時、父親は結核で死亡、娼婦だった母親は翌年交通事故死した。両親の死後、児童養護施設に引き取られたドロシアは、そこで性的虐待を経験している。

ドロシアの虚言癖は子供の頃から凄まじく、見かねた学校の担任が保護者に、カウンセリングを受けるよう忠告するほどだった。成長したドロシアは、売春をしながら生計を立てるようになる。金を得るために小切手を偽造、逮捕されたこともあった。

1966年、ドロシアは19歳年下のロベルト・プエンテと結婚(ドロシアにとって3度目の結婚)、この時初めて看護施設の運営を経験する。ロベルトと離婚後、結婚と離婚を繰り返したドロシアは、1985年、結婚の約束をしていたエヴァーソン・ギルマウス(77)を殺害(遺体は1986年に発見される)、彼の年金と貯金を元に再び看護施設の運営を始めた。

親切な貴婦人の仮面をかぶった、冷酷なシリアルキラー

身寄りがなく受け入れが難しい人たちを、入居者として積極的に受け入れていたプエンテは、地元のソーシャルワーカーたちから厚い信頼を得ていた。

「面倒見の良いドロシアおばあちゃん」(当時50代だったが、70代とサバを読んでいた)は表向きの顔で、裏では入居者の殺害を繰り返していた。物的証拠や目撃証言が乏しく、プエンテ本人も事件の詳細は一切語っていないため、実際に行われた犯行の経緯は不明だ。しかし、関係者などの証言を分析したジョン・オマラ検事は、「睡眠薬を飲ませ、熟睡している被害者を窒息死させた」と、プエンテの犯行手口を推測している。

プエンテの犯行は、バート・モントーヤと親しくしていたソーシャルワーカーが、「バートはメキシコに移住した」と言う、プエンテの説明に疑問を抱き、警察に通報したことで発覚する。通報後、施設を訪れた警察は、悪臭が立ち込める庭から、白骨化した7体の遺体を発見した。1988年11月11日のことだった。プエンテは7名の入居者を殺害、その後生存しているように見せかけ、年金を搾取していたのだった。

裁判と判決

逮捕されたプエンテは、殺害した7名の入居者とギルマウス、そして初めの看護施設時代に殺害した、ルース・モンロー(61)を含む、計9件の殺人罪で裁判にかけられた。弁護側の主張を固く支持する陪審員がいるなどの条件が重なり、プエンテが有罪になったのは3件のみで、仮釈放なしの終身刑となった。

中部カリフォルニア女性刑務所(CCWF)に収監されたプエンテは、服役中の2001年、82歳で死亡した。死因は自然死だった。