中野富士見中学いじめ自殺事件

2020年2月26日

教師までもが参加した「葬式ごっこ」の衝撃。

中野富士見中学いじめ自殺事件とは1986年に東京都中野区で起きた事件であり、「葬式ごっこ事件」とも呼ばれる事件でもある。

「いじめ」が原因の事件であり、本来であれば生徒を守る立場であるはずの学級の担任すらもいじめに加担するなど、被害生徒にとって逃げ場のない状態でいじめが行われていた。

本記事ではそんな中野富士見中学いじめ自殺事件を詳しく解説していく。

事件概要

1985年に5月被害者の鹿川裕文さん(自殺時13歳)はクラスの不良グループに使い走りをさせられるようになり、10月上旬からいじめはエスカレートしていく。

11月14・15に担任も加わった「葬式ごっこ」が行われ黒板前に置かれた鹿川さんの机には花や線香、ミカンなどが添えられており鹿川さんの写真と一緒に追悼の寄せ書きが置かれていた。(当然鹿川さんは亡くなっていません)

1986年1月8日始業式に複数の生徒から暴行を受け欠席を繰り返すようになっていた。

そして1月30日が鹿川さんの最終登校日となった。

1986年2月1日鹿川さんは普段通りに家を出ていた。

しかし同日2月1日深夜に2年だったの鹿川さんは(当時13歳)が父の故郷である盛岡(フェザン地下公衆便所)で自殺していた。

床には「このままでは生きジゴクになっちゃうよ」などのメッセージが残されている。

動機・経緯

いじめ自体に深い意味はなくたまたまターゲットになってしまったのが鹿川さんであった。

最初は軽く済んでいたが徐々にエスカレートしていき最終的に暴行にまで発展しており、担任も故意に見逃していることもありクラス全体で黙認されていたことになる。

また自分の身を守ろうと担任からは口止めをするような発言もされており教師としてあるまじき行為が日常化されていたことがわかる。

判決

身の保身に走った担任には事件後に発覚した学習塾でのアルバイト行為なども合わさり論旨免職の懲戒処分が下され、校長をはじめとする5人の教師には減給などの懲戒処分が下った。

いじめに加担していた生徒たちには16人には障害及び暴行容疑で書類送検されており、鹿川裕文さんに名指しで指定されていた生徒2人には遺族から損害賠償を請求された。

その後

富士見中学校は2009年に閉校し同年4月より南中野中学校に統合された。

また遺族やいじめに加担していた自宅に嫌がらせが発生し二次被害を受けている。

同様の事件が起きないためにもいじめ自体の根絶を願うばかりである。