深川通り魔殺人事件

「俺には電波が引っ付いている」

深川通り魔殺人事件とは1981年6月17日に東京都江東区森下二丁目の商店街でおきた、4人の死傷者と2人の負傷者がでた覚醒剤常習者による無差別殺人事件のことである。

何気ない日常の中で突如起きた出来事であり、1983年7月25日に月曜ワイド劇場でドラマ化もされている。

とはいうものの背景に何があったか記憶している方は少ないのではないだろうか。

同じことが起こらないためにも本記事で事件背景を説明していく。

事件概要

犯人の川俣軍司(当時29歳)は犯行以前にも傷害罪などで7回の逮捕歴があり、覚醒剤を常用していた。

茨城県出身の川俣は中学卒業をして高校へ進学することを進められていたが、親に迷惑をかけたくないという理由から築地の寿司店で働き始める。

1970年に酔って映画館のガラスを割るなど多少の前科はあるものの3年半ずっと真面目に働き続けていた。

しかしある日やってきた少年院仮釈放中の後輩が同店舗で働き始めると、後輩のいじめにより3年半頑張ってきた寿司店を辞めてしまう。

その後は転々と寿司店で働いていたが刺青や犯罪行為によりいずれも辞めている。

1971年6月に通行人を脅して現金を奪いとり恐喝罪で懲役2年・執行猶予3年を受けた。

そして1972年には暴行傷害事件を起こしたため懲役10ヶ月、執行猶予を取り消され合計2年10ヶ月を少年刑務所で過ごした。

1975年出所後、トラックの運転手として働き始めるがまたもや暴行罪により懲役10ヶ月を受けた。

出所後は父親のシジミ漁を手伝うが暴言や荒れた態度が原因で、結局両親は家を出て川俣は漁船を売り払ってしまう。

そして1981年6月17日覚醒剤を2、3日以内に使用した状態で犯行に及ぶことになる。

商店街で主婦や子供を刺して4人を殺した後、通行中の女性を中華料理屋に連れ込み人質にとった。

だが隙をみて女性が逃げ出したことにより警察が突入。

事件発生から約7時間後、警察官により逮捕となった。

動機・経緯

逮捕後川俣は「面接を受けが断られて腹が立った」「子を持つ家庭が羨ましかった」などと述べるとともに、「俺は侍だ」「俺に電波を引っ付けた黒幕を見つける」などと犯行の理由を訴えた。

そのため覚醒剤による興奮状態と精神的なストレスによる犯行となり、腹いせに無差別殺人という形をとったのかと思われる。

判決とその後

1982年12月23日、川俣は覚醒剤中毒による心身耗弱状態にあったとされ無期懲役の判決を言い渡されている。

死刑でもおかしくない罪だが幻覚などによって苦しんでいた状態が考慮されている。

無期懲役なので現在も懲役中である。

また、本件は冒頭でも述べたように、1983年7月25日に月曜ワイド劇場でドラマ化されている。