福島万弥ちゃん殺害事件

5歳女児が行方不明に。北関東連続幼女誘拐事件との関連が疑われるも時効に。

1979年8月3日(金)正午頃、栃木県足利市通り五丁目の会社員・福島譲さん(当時25歳)の長女・福島万弥ちゃん(当時5歳)は、自宅に隣接する八雲神社の境内に一人で遊びに行ったまま行方不明となった。

失踪から6日後の1979年8月9日(木)午後2時40分頃、福島さん宅から2キロメートル離れた渡良瀬川河川敷内の背丈2メートルもある草むらの中で、万弥ちゃんは、カーキ色のズックで作られた古い登山用リュックサックにパンツ一枚の状態で「エビ型」に体を折り曲げられて詰め込まれた腐乱死体で発見された。

その後、説明のないまま捜査は終結し、結局、本件は未解決事件のまま時効を迎えた。

事件の経緯と詳細

1979年8月3日(金)正午頃、栃木県足利市通り五丁目の会社員・福島譲さん(当時25歳)の長女・福島万弥ちゃん(当時5歳)は、自宅に隣接する八雲神社の境内に一人で遊びに行ったまま行方不明となった。

失踪直前の同日正午過ぎ、昼食のためにバイクで帰宅した父親の譲さんが自宅脇の八雲神社で遊んでいる万弥ちゃんを見かけて声を掛けた他、午後1時頃には、紺色のトレーニングパンツを穿いた25歳前後の職人風の男と一緒に境内の石の上に座ってジュースを飲んでいる万弥ちゃんを近くに住む老女(当時88歳)が目撃していた。

また、午後1時10分頃には、八雲神社の隣にある織姫公民館の職員、M・Yさん(当時39歳)が二階ホールテラスの落ち葉を掃除しようとテラスに出た際、神社本殿南西側の社務所前で万弥ちゃんが同年齢くらいの子供と地面に絵を描いているのを目撃。

万弥ちゃんが一人で遊んでいた自宅わきの八雲神社境内

更に、午後2時30分頃には、八雲神社から200メートルほど離れた同市通り四丁目の市道を上半身が裸の5歳くらいの男の子と手を取り合い「これから泊まりに行くの」と話しながら渡良瀬川方面に向かって駆けて行く万弥ちゃんの姿を中華料理店「中央軒食堂」の店員、A・Sさん(当時24歳)が出前から戻ってくるときに目撃しており、この中央軒食堂の10メートルほど北側にある「通り四丁目児童公園」でも、小学1年生の女児2人が、はっきりした時間はわからないが、午後1時過ぎに、万弥ちゃんと「上半身裸の男の子」が一緒に遊んでいるところを目撃していた。

この通り四丁目地内は母親のまり子さんの実家に近く、万弥ちゃんは日頃から一人でこの付近には遊びに来ていた。

そして、上記の中央軒食堂から700メートル離れた男浅間山の麓に住む同市T町の会社員、O・Tさん(当時51歳)は、同日午後2時30分から3時までの間に、山を登っていく5歳くらいの男の子と女の子の後ろ姿を目撃した。(但し、後ろ姿だけなので万弥ちゃんであるという確認は取れなかった)

母親の福島まり子さん(当時24歳)が同日午後1時30分頃に八雲神社を見に行ったところ、万弥ちゃんの姿は見当たらず、このときは、まり子さんは「近所に遊びに行ったもの」と思い帰宅したが、午後6時になっても万弥ちゃんが帰ってこないため騒ぎになり、近所を捜すと共に午後8時に帰宅した父親の譲さんが午後8時50分過ぎに栃木県警足利警察署に捜索願を提出した。

捜索願を受理した足利署は署員50人を動員し、足利消防署員の応援も求めて八雲神社を中心に付近一帯の捜索を翌4日午前3時過ぎまで行ったが、手掛かりが全く無いため、いったん捜索を打ち切り、夜明けを待って署員を更に増員して再開。しかし、万弥ちゃんの行方はわからなかった。

足利署は事件と事故の両面から考え、同5日には県警捜査一課(同9日からは県警機動隊も)に応援を求めて署員100人を動員し、連日、織姫山一帯や渡良瀬川をはじめ市内全般での捜索と聞き込みを続け、更には、チラシを5万枚作り、市内や近県に配布して協力を呼び掛けたが手掛かりになる情報は全く無く、捜査は暗礁に乗り上げた。

また、警察は、失踪当日に万弥ちゃんと一緒にいるのが目撃された「25歳前後のトレパンを穿いた男」と、「5歳くらいの上半身裸の男の子」が事件のカギを握っていると見て、この2人の割り出しに全力を注いだが、やはり、有力な情報は得られなかった。(後の捜査で、万弥ちゃんは、失踪する前日の8月2日、同市通り四丁目に住む友人のA子ちゃん(当時5歳)に「ボーイフレンドを紹介する」と言って、男の子を引き合わせていたことが判明した。

しかし、A子ちゃんに現場周辺の同年代の男の子たちを会わせて確認しても、A子ちゃんが8月2日に会った男の子はいなかった)

一方、福島さん方の親類や知人は「万弥ちゃん捜しに全力を尽くそう」と、市内伊勢町の駐車場事務所を借りて民間の「対策本部」を設置。

警察と並行して独自の捜索を続け、チラシや新聞のコピー、万弥ちゃんが行方不明になった日に履いていたのと同じサンダルの写真を手に、手掛かりを見つけるべく市内各所を必死に聞き歩いた。

遺体発見も未解決事件に

失踪から6日後の1979年8月9日(木)午後2時40分頃、福島さん宅から2キロメートル離れた渡良瀬川河川敷内の背丈2メートルもある草むらの中で、万弥ちゃんは、カーキ色のズックで作られた古い登山用リュックサックにパンツ一枚の状態で「エビ型」に体を折り曲げられて詰め込まれた腐乱死体で発見された。

同日早朝から渡良瀬川右岸の緑橋-岩井山間の河川敷を捜索していた足利署のT・N警部補とT・T巡査の2人が、田中橋の下流約400メートルにある雑木林で遺留されていたリュックサックを発見、近付いたところ異臭がし、

口が少し開いていたために覗いたところ、幼児の両足首が見えたのだ。足利署が県警捜査一課と同鑑識課の応援を得て調べた結果、行方不明になっている万弥ちゃんに間違いないとして父親の譲さんを現場に同行して確認してもらったところ、

「顔は崩れていてよくわからないが、頭の髪型から万弥に間違いない」

と、自分の娘であることを認めたため、遺体をリュックサックごと宇都宮市の国立栃木病院に運び、午後9時頃、K警察医の執刀で解剖を行い、死因を究明した。

司法解剖の結果、万弥ちゃんの遺体には外傷が無く、死因は窒息死とわかった。また、遺体は死後6日前後が経過していると見られ、犯人は万弥ちゃんを殺害したあと、遺体をリュックサックに詰め込んで遺棄したものと推定された。

リュックサックは市内の業者の特殊仕様によるもので数十個しか売られていなかった。

DNA鑑定

事件から12年後、「足利事件」として万弥ちゃん殺害容疑で菅家さんを逮捕したのを県警から伝えられたが、疑問が残った。

昼ごろ殺害したという菅家さんの供述と、午後2時すぎに万弥ちゃんを見たという飲食店員の目撃証言が合わなかった。

結局、詳しい説明もないまま「起訴できなくなった」と告げられ、捜査は事実上終結した。

足利事件の再審で菅家さんが犯人ではないと分かり、万弥ちゃん事件も時効という現実だけが残った。

「捜査を続けていれば、本当の犯人に近付けたかもしれない」

時効なのを承知で、譲さんは娘が入れられたリュックに犯人の痕跡が残っていないか、県警にDNA鑑定を求めた。

「菅家さんの無実を証明した現在の技術ならDNAを特定でき、いつか同じ型を持った人間が現れるかもしれない」

しかし、県警から伝えられた結果は「検出不能」だった。