古谷惣吉連続殺人事件

2020年09月

独居老人ばかりを狙って次々と絞殺するという卑劣な連続殺人鬼

1965年10月30日から12月12日に西日本で独房老人8人が相次いで殺害された連続強盗殺人事件。西日本連続殺人事件と呼ばれることもある。

加害者の古谷惣吉は1951年に福岡県内で強盗殺人事件二件を起こして懲役10年に処されるなど、複数の前科があった。

そして、1965年11月、滋賀、福岡、神戸で相次いで老人が殺害されているのが見つかった。警視庁ではその手口から同一人物によるものと推定、12月9日、広域重要事件105号に指定した。
その2日後、京都市伏見区で2人の廃品回収業者が絞殺死体で発見されたが、この現場から強盗殺人の前科のある古谷惣吉の指紋が検出された。このため古谷は指名手配された。

被害者はいずれも「人家から離れた場所で身寄りもあまりなく、毎日をどうにかやりくりしながらひっそり暮らしていた老人か、1人留守中の老人」だった。大阪府、京都府、滋賀県、兵庫県、福岡県など西日本各地で繰り返された一連の犯行は強盗殺人7件、強盗未遂二件などにおよび、「警察庁広域重要指定105号事件」に指定されたが、警察庁広域重要指定事件としては初の殺人事件であった。

12月12日、兵庫県西宮市の海岸で、芦屋署員2人がパトロールをしていたところ、怪しい人影を発見。職務質問された男が古谷だった。古谷は直前に廃品回収業者2人を殺害しており、現行犯逮捕となった。

逮捕後、古谷は大阪府高槻市でも男性を1人殺害したことを自供。1ヶ月ほどの間に8名の初老男性を殺害していた。

事件の経緯と動機

1965年11月9日、滋賀県大津市の海水浴場で、管理人の大島馬吉さん(59歳)が絞殺されているのが発見された。

さらに同22日午後5時半頃、福岡県粕屋郡新宮町上ノ府(通称・ひばりヶ丘)の自宅で、英語塾講師・黒木善太さん(50歳)が何者かに刺殺されいるのを帰宅した妻が見つけた。現金5000円、着衣、食パン、ラジオなどが盗られており、代わりに現場にはネーム入りのズボンが残されていた。それは「大沼伊勢蔵」という男のもので、滋賀の大島さん殺害現場に落ちていたものも、大沼のものだった。

29日、捜査員が神戸市垂水区の廃品回収業を営む大沼伊勢蔵さん(57歳)の小屋を訪ねたところ、すでに大沼さんは殺害されているのが見つかった。大沼さんの遺体は死後1ヶ月は経過していた。

警視庁は12月9日、滋賀、福岡、神戸にわたる3件の老人殺害事件をその手口から同一人物によるものと推定、広域重要事件105号に指定した。
 
12月11日、今度は京都市である。伏見区の鴨川橋下バラックで廃品回収業者・市村清治さん(60歳)の絞殺死体が発見された。さらに3時間後、同区中島河原町の京川橋下のバラック小屋でも同・広渡平三郎さん(67歳)が殺されているのが見つかる。

この現場からは前科のある古谷惣吉(当時50歳)の指紋が検出された。古谷が指名手配されたのはまもなくのことだった。

古谷惣吉について

1連の事件の加害者である古谷は1914年2月16日に長崎県上県郡にて5人兄弟姉妹の長男として、長崎県上県郡上県町(対馬)で生まれた。古屋の父親は農業と旅館業を兼業していた。実家は比較的裕福だったが、4歳の頃には母親が病死した。父親は妻の死と前後して旅館業に失敗し、その後、義母と再婚したが、惣吉はその義母と馴染めなかった。これに加え、父親は家を開けることが多く、妻子を対馬に残したまま材木商として朝鮮半島へ渡ったまま一年近く帰らなかったほか、義母もその間に行方不明になったため、残された惣吉ら子供5人は親戚をたらい回しにされていた。

幼かった古谷は8歳になるまで叔父に預けられ、地元の尋常小学校に在学しつつ、4、5年生ごろまで住んでいたが、親子の薄い縁の関係などが影響して幼少期から性格が荒く、ほとんど家に寄り付かず神社に寝泊りするような放浪生活をしていた。

小学生時代の古谷は友達の物を盗ったり、下級生をいじめるなどしていた。喧嘩をすることなどもしょっちゅうだったという。

また、古谷は幼少時から賭け事を好み、学校で友達のものを盗んだり下級生をいじめたりしており、周囲からは粗暴な素行から嫌われていた。小学校を卒業すると、対馬を離れて広島県広島市の祖母の家に引き取られたが、それまでにすでに盗みで数回警察に指導されていた。

10歳の頃、帰国した父親が再婚。再び父の元に戻った古谷は、14歳~15歳の1年間を継母と暮らすこととなったが、その仲は険悪、いじめられていたという。家に寄り付かないようになり、盗みをして暮らすようになったという。小学校を出てすぐに、一家は広島に移った。なお、父親は1964年2月に91歳で死去している。

そして、中学2年の時、教師を殴り退学。

1930年、16歳の古谷は窃盗で岩国の少年院に入り、以後、窃盗、詐欺、恐喝未遂で出たり入ったりを繰り返した。16歳から51歳までに34年も獄窓で暮らしている。

1951年の5月と6月、共犯者と福岡で1人暮らしをしていた人を金目当てで襲い、2件で2人を殺害していた。

共犯の坂本登は主に見張りをしていただけで、殺人を犯したのは古谷だったが、裁判ではなぜか坂本が主犯ということにされ死刑判決を受けている。古谷はその頃、恐喝で明石刑務所に服役しており、罪を問われたのは坂本の死刑執行後のことで、証拠不十分で懲役10年を言い渡された。

1964年11月9日、熊本刑務所を仮出所。50歳の再出発だった。しばらく熊本市内の保護更生保護施設にいたが、翌年5月5日に出ていった。

逮捕当時前科7犯で、身長163センチ、体重63キログラムのがっしりとした体格だった。

なぜ独居老人を狙ったのか

指名手配されてすぐの12月12日、古谷は兵庫県西宮市で逮捕された。この日、古谷は海岸の小屋に住む廃品回収業の老人2人を襲い殺害した後、巡邏中の芦屋署の警官に職務質問を受け、現行犯逮捕されたのである。

事情聴取を受けた古谷はあっさりと犯行を認めた。滋賀、福岡、神戸、京都、西宮の事件7人の他に、11月5日に大阪高槻市で建設作業員(53歳)を殺害したことも自供した。

1965年10月29日、古谷はまず神戸市垂水区の廃品回収業・大沼伊勢蔵さん(57歳)を絞殺した。大沼さんの遺体はなかなか発見されず、前述の通り、11月29日になって発見されている。

11月5日、大阪府高槻市南芥川町の国道170号線沿いに住む建設作業員・山本政治さん(53歳)をカッターシャツで首を絞め殺害殺害。

11月9日、滋賀県大津市の海水浴場管理人・大島馬吉さんを絞殺。

11月22日、福岡県新宮町の英語塾講師・黒木善太さんを刺殺。

12月3日、京都市伏見区で廃品回収業・市川清治さん(60歳)、広垣兵三郎さん(67歳)を殺害。遺体発見は11日。

12月12日、兵庫県西宮市の堀切川河口の小屋に「飯を食わせてくれ」と入ると、廃品回収業・奥村善太郎さん(69歳)とその知人の山元嘉太郎さん(51歳)に「泥棒!」と騒がれたことから、持っていた手斧で殴って殺害した。直後に逮捕された。

この殺害のほとんどは、「飯を食わせろ」「泊まらせろ」と言って断られたり、騒がれたりしたためだった。古谷は被害者達と殺害の前には話しこんだりしていたが、カッとなると、あっさり殺した。彼らに狙いをつけたのは、路上で出会う彼らが最も身近な存在で、1人暮らしで小金を貯めこんでいると思っていたからだった。
 

判決とその後

1966年6月29日に神戸地方裁判所で被告人古谷の初公判が開かれた。被告人古谷は検察官の起訴状朗読後に行われた罪状認否で七件8人の殺人・殺人未遂一件を認めたが、11月17日に福岡市原田町で廃品回収業者を襲撃した強盗未遂事件に関しては否認した上、認めた八件も強盗目的を否定して「単純殺人・同未遂だ」と主張した。同日の古谷は開廷直後こそ平静だったが、検察官が神戸市内のA事件に関して犯行状況を述べ始めると突然立ち上がり「やめろ!黙って聞いていればいい気になって、でたらめな論告をするな!」と怒鳴り、付き添っていた刑務官の制止を振り切り、警察官に殴りかかろうとした。 

1971年4月1日、神戸地裁で死刑判決。

1978年11月28日、最高裁で死刑が確定した。

1982年12月2日、古谷はかねてから反目していた同窓の死刑囚(当時39歳)に隠し持っていたハサミで襲いかかり、1週間の怪我をさせた。10人を殺してきた男の、最後の殺人未遂だった。ちなみに当時、死刑囚が処刑されると仲間の死刑囚が拘置所内の仏間に集まり供養するという極刑囚集会が行われていたが、この一件で廃止となった。

1985年5月31日、大阪拘置所で死刑執行。享年71。

死の前、古谷はこんな歌を残している。

厚恩を背負いてのぼる老いの坂 重きにたえず涙こぼるる

古谷は死刑執行され、死刑確定後から死刑執行まで死刑囚として大阪に収監されていたが、人となりは悪かった。これらが古谷惣吉連続殺人事件の全容である。