グリコ・森永事件

2020年07月

誘拐や青酸入り菓子ばらまき事件で度々目撃されたキツネ目の男が犯人だったのか?

江崎グリコ社長誘拐事件を皮切りに関西で次々に起こった青酸入り菓子ばらまき事件や脅迫事件で森永製菓、ハウス食品、丸大食品、不二家、駿河屋などの食品企業が狙われた。

お金の受け取り場所を次々に変えるが犯人は一度も受け取りに来ず現場では何度もキツネ目の男が目撃されていたが逮捕に至らなかった未解決事件である。

事件概要

1984年3月18日、江崎グリコ社長が自宅で入浴中に誘拐され犯人は身代金を要求したが社長は自力で脱出。

事件は終息したと思われたが、4月8日に犯人グループから挑戦状が届きグリコ本社などが脅迫や連続放火事件が始まる。

同時に青酸入り菓子ばらまき事件や脅迫事件で森永製菓、ハウス食品、丸大食品、不二家、駿河屋などの食品企業が狙われた事件も勃発した。

犯人は次々と現金の引き渡し場所を変えたが、一度も現金の引き渡し場所に現れなかった。

犯人らしき人物の多数の目撃情報があり怪しい人物に対して警察も職務質問をするまで至ったが逃げられてしまったため、結局正体は分からなかった。

2000年2月13日に東京・愛知青酸入り菓子ばら撒き事件の殺人未遂罪が時効を迎え、すべての事件の公訴時効が成立。

グリコ森永事件は警察庁が広域捜査をした重大事件で初の未解決事件となる。

動機や経緯

この事件は江崎グリコ社長誘拐事件から始まった事件で、多数の事件が連続して起きている。

江崎グリコ社長誘拐事件

1984年3月18日、江崎グリコ社長の江崎勝久宅(兵庫県西宮市)に拳銃と空気銃を持った男二人が押し入り社長夫人と長女の手を縛ってトイレに閉じ込め、入浴中だった江崎社長を全裸のまま誘拐した。夫人は自力でテープを解いて110番通報し事件が発覚。

翌日3月19日江崎グリコ取締宅に犯人から指定場所に来るように電話がある。

指定場所に行くと社長の身代金として10億円と金塊100kgを要求する脅迫状があり兵庫県系と大阪府警本部による合同捜査が始まった。

社長夫人が犯人に『お金なら出します』と言うと『金なんかいらん』と犯人が答えたことや、金塊100kgと言う重さや10億円の重量は130kgで高さ9.5メートルあることなどから運搬は困難であることを考えると身代金目的としては不可解なことが多いことから怨恨が犯行の動機という説が立てられていた。

江崎グリコ脅迫事件

1984年4月2日、江崎社長宅に指定場所に6000万持ってくるようにと塩酸入りの目薬の容器が同封された脅迫状が届く。4月8日に犯人の指定した現金の受け渡し場所に警察が張り込んだが犯人は現れなかった。

4月8日、毎日新聞とサンケイ新聞へマスコミ宛に世間へ公開することを前提とした挑戦状の手紙が犯人グループから江崎の名前を使って送られてくる。

4月23日 江崎グリコに1億2000万を要求する脅迫状が届くが犯人は現金受け渡し場所を、たらい回しにかえた挙句、結局受け渡し場所にに現れなかった。同日から犯人グループはマスコミ宛に送った手紙に『かい人21面相』を名乗るようになる。

5月31日、江崎グリコに3億円要求する脅迫状が届き6月2日に摂津市のレストラン駐車場に3億積んだ車を置くように指示する。

警察は特殊部隊を含む30人体制で待ち受けた。車を停車しているレストランの駐車場に不審人物が現れて車に乗り込んだ時に取り押さえ確保したが駐車場の車に乗って指定場所まで車を運転してくるように犯人に脅されただけで事件とは無関係な人物だった。

6月26日、犯人からマスコミへの挑戦状が届き『江崎グリコゆるしたる』と脅迫収束宣言をした。

江崎グリコ本社放火事件

1984年4月10日 大阪府大阪市西淀川区の江崎グリコ本社と本社から3キロ離れたグリコ栄養食品に停めてあったライトバンに放火が発生した。直後に帽子をかぶった不審者が目撃されている。

兵庫青酸菓子ばらまき事件

1984年5月10日 朝日新聞、毎日新聞、サンケイ新聞、読売新聞に『グリコ せい品に せいさんソーダ いれた』とかい人21面相から挑戦状が届く。

犯人はこの挑戦状を全国にばらまくと予告。その事態を受け大手スーパーはグリコ製品の撤退を始める。

寝屋川アベック襲撃事件

1984年6月2日 グリコ脅迫事件で指定されたレストランの駐車場から2.8km離れた場所で恋人と車でデートしていた男性が男3人に襲われる。

女性は別の車に連れ去られ二人の男が車に乗り込んでグリコ脅迫事件に指定したレストラン近くまで運転しないと女性に命はないと脅した。その後この男性は大阪府警に身柄を確保されたが事件とは無関係としてすぐに釈放された。

一方、女性は別の車に連れ去られたが、犯人にタクシー代2000円渡されて解放されている。

丸大食品脅迫事件

1984年6月22日、大阪府高槻市の丸大食品に『グリコと同じ目にあいたくなかったら5千万用意しろ』と脅迫状が届く。

犯人の指定場所は国鉄高槻駅から指定する時間の京都駅行きに乗り、窓から白い旗が見え次第窓から金を詰めたボストンバックを投げ落とせというものだった。

電車の中で不審なキツネ目の男を刑事が発見し警戒していたが、現金受け渡し場所で犯人グループを現行犯逮捕する方針だったことから刑事はキツネ目の男を逮捕できずに改札口を出ていき見失ってしまった。

刑事はボストンバックを投げおとさずに受け渡しはできなくなってしまったが7月にも丸大食品への脅迫状は続いた。7月6日子供の声で指定場所を指示し、4回も指定場所を変更したが結局犯人は現れなかった。

森永製菓脅迫事件

1984年9月12日 大阪府大阪市の森永製菓に数千万を要求する脅迫状が届く。青酸入りの菓子が同封された脅迫状には『グリコと同じ目にあいたくなかったら1億だせ 要求に応じなければ製品に青酸ソーダを入れる』と書かれていた。

9月18日に犯人から指定場所に現金を置くように電話がかかってくるも指定場所には犯人現れなかった。

二府二県青酸入り菓子ばらまき事件

1984年10月7日から13日にかけて 大阪、兵庫、京都、愛知のスーパーから『どくいりきけん たべたら しぬで』と書かれた青酸ソーダの混入された青酸入り菓子が13個発見される。

10月8日には阪急百貨店などにも森永製品を置かないようにと脅迫状が届き、10月15日、NHK大阪放送局にも青酸ソーダの錠剤が送りつけられる。

ハウス食品脅迫事件

1984年11月7日、ハウス食品工業に1億円要求する内容で青酸ソーダ入りのハウスシチューが同封された脅迫状が届く。

受け渡しは京都市伏見区のレストランだったが指定場所に行くも指定場所を変更するメモが残されておりその回数は4回にも及んだ。受け渡し場所付近で丸大脅迫事件に目撃されたキツネ目の男を発見するが刑事は職務質問をする権限を与えられていなかったため取り逃がしてしまう。

現金輸送車は犯人の指示通り草津パーキングに向かった。『名古屋方面に向かい白い布が見えたら、白い布の下の缶に入れた指示書を見ろ』という指示を受け合同捜査本部は県道と名神の交差部分を封鎖したが空き缶は見当たらず犯人らしき人物も現れなかった。

不二家脅迫事件

1984年12月7日、不二家の労務部長宅に『12月24日に大阪梅田の百貨店屋上から2000万ばらまけ』と要求した青酸ソーダ入りの脅迫状が届くが不二家は従わなかった。

1月5日にも池袋のビル屋上から『2000万ばらまくこと』を要求したが不二家はまたしても従わなかった。

1985年1月11日に不二家脅迫事件が報道され不二家もかいじん21面相が脅迫していたことが初めて明らかになる。

東京愛知青酸入り菓子ばらまき事件

1985年2月13日のバレンタインデー直前に『バレンタインデーを玉砕する』といった挑戦状が報道機関に届く。

これと前後した期間に明治とロッテのチョコレートに『どくいり きけん』と書いたラベルが貼られた青酸入りチョコレートが東京と愛知で相次いで発見される。グリコ、森永、不二家に続いて明治とロッテのチョコレートにも青酸入りチョコレートがばらまかれていた事件である。

駿河屋脅迫事件

1985年2月24日、森永製菓への脅迫を終結させる休戦状がマスコミに届いた直後の3月6日和歌山県の駿河屋に5000万要求する脅迫状が届いたが、その後犯人からの連絡はなかった。

判決とそのあと

犯人は1年間に挑戦状や脅迫状を計144通も出していたことがわかった。最終的に毒入り食品による死者は一人も出なかったが、1985年8月7日、ハウス食品事件で不審者を取り逃がした滋賀県警本部長が焼身自殺をしている。

これについて、一部の説ではハウス食品事件の失態の全責任を本部長が負わされたことに対して抗議するための自殺だったとも言われている。

1994年平成6年に江崎グリコ社長誘拐事件が公訴時効となり、2000年2月13日東京と愛知で青酸入り菓子をばらまいた殺人未遂事件とそれに関わる28件全ての公訴時効が成立した。

市民からは2万件以上の情報が寄せられたが犯人逮捕には至らなかった。