江津事件

島根県江津市で、1962年10月10日前後から行方不明となっていた采信一さん(54歳)が、知人の後房市(うしろふさいち、当時53歳)に殺されたのではないかという風評をもとに、後に別件逮捕された。

やがて匿名の通報により、采さんの遺体が発見され、後は強盗殺人・死体遺棄容疑で再逮捕される。

その後、後が采さんを殺害したとされる日の翌日に、采さんらしい人物を目撃していた男性が現れるなどして、冤罪が疑われる事件となったが、再審請求は棄却された。

事件の経緯と動機

1962年6月頃、ある男性が広島県可部町(現・広島市)から島根県江津市に移ってきた。その男性は采信一さん(54歳)といい、新たな土地で知り合った後房市(うしろふさいち、当時53歳)と一緒に川で蟹をとるなどして生活していた。後は采さんに宿の世話をしてやったり、一緒に食事したり、親しく付き合うようになった。

その采さんが10月10日前後から行方がわからなくなった。やがて「後に殺されたのではないか」という風評が立った。

11月8日、江津署は後を別件の詐取未遂容疑。山林売買にともなう詐取未遂で、相手方も不問にしていたものだった。しかしこの件で11月29日に起訴。

しかしそのあとも采さんは発見されないままだった。

12月2日、江津警察署に「警察はまだ山陽パルプの木屑捨て場を探していない」という匿名の電話通報が入る。

その2日後、捜索が行われた同所で、コモ包みでビニール被覆電線外皮で縛られ、両手を上衣のポケットに入れ、右手にロッテのチューインガムを握った埋没死体が発見された。

12月6日、警察は強盗殺人・死体遺棄容疑で、後を再逮捕。12月28日、犯行否認のまま本件で起訴した。

起訴事実

同年8月14日、後は采さんから立木の共同購入資金として現金1万5千円を預かったが、自分の借金返済にあてるなどしてこれを使い、「立木を購入した」と嘘ついたが、采さんがこれに気づいて金の返済を迫った。返済の要求は10月まで続いたが、後は言い訳を繰り返して返さなかった。

10月8日午後4時ごろ、督促のために訪ねてきた采さんと口論になった後は、采さんを殺害しようと決意し、「山陽パルプ工場苗圃」に誘い出し、ガンヅメ(鉄製熊手)で采さんの顔面を強打し死亡させた。夜になって、後は采さんの遺体をこの場所に埋めた。

判決とその後

66年2月1日、松江地裁・三好昇裁判長は、起訴事実通り、ガンヅメを凶器と認定して、後さんに無期懲役を言い渡した。

70年1月28日、広島高裁松江支部・牛尾守三裁判長は、ガンヅメに血痕付着が認められないため、一審判決を破棄しながらも、「しかし状況証拠などから後以外に犯人は考えられない」と、あらためて無期懲役とした。

直後の記者会見で裁判長は「凶器が確定できず苦しかった。しかし状況証拠から後以外に犯人は考えられない」と異例の釈明をした。

後は2月9日に上告。上告審から弁護団と「守る会」がつくられた。

72年9月25日、最高裁・天野武一裁判長は、上告棄却。

76年2月14日、弁護団は高山証言などを新証拠として再審を請求。

高山氏とは隣接する温泉津町(現・大田市)で理髪店を営む男性である。高山氏は事件当時、片足が義足で杖を持った大男と、温泉津駅から自宅へ向かうバスに乗り合わせていた。この男は采である。高山氏にはこの男に見覚えがあった。一度店に散髪に来たことがあり、「最近、広島から江津に来て、江の川で魚をとる仕事をしている」と話していた。店は月曜が定休日だが、祭りの初日に当たって忙しかったので、翌日にずらしており、だから来店した日のことも覚えていた。62年10月9日。だが後が采を殺したとされる日の翌日に被害者を見たというのである。

79年3月2日、広島高裁松江支部は高山証言について、「足が悪かったなどの類似点から両者(采と別人)を同一人物と錯覚速断したのではないか」として、「新旧証拠を総合判断しても、再審を開始しなければならない理由はない」と請求を棄却した。

弁護団が提出していたもう一つの新証拠「火かき棒」(凶器)についても、「火かき棒の方が被害者の傷に適合するのは認めるが、ガンヅメでも不可能ではなく、火かき棒と犯行の関係が立証されていない」とした。

高山氏はその後理髪店をやめたが、「散髪台から降りた時に、義足がギィギィ鳴った。当時江の川で漁をしていた人に、他に義足の人はいたのだろうか」と語っている。

棄却の3日後、直ちに広島高裁に異議申し立てをして、殺害場所と凶器発見場所に関する新証人調べなどを行ったが、82年1月25日に棄却決定。

87年2月3日、高齢と病気のため生命に危険があるとして刑の執行停止を受け広島刑務所を出所、入院。

2月6日、最高裁は特別抗告棄却を言い渡す。

91年8月1日、後が病院で死亡。享年82歳。