「グループ向日葵」工務店店長射殺事件

教祖は「母以上に母だった」水晶1000万円分の"手付金"で、父親の殺害を依頼した娘

2001年6月9日午後8時55分ごろ、東京都板橋区の工務店経営・丸山寿治さん(70歳)方に、宅配便を装った男が訪れ、応対に出た丸山さんに短銃のようなものを発砲した。丸山さんは腹を撃たれ5時間後に死亡。事件当時、丸山さんは「グループ向日葵」と呼ばれる宗教団体とトラブルがあった。

2003年1月、渡辺義介(当時47歳)、安恒尚夫(当時36歳)、吉田旭(当時47歳)他2名が逮捕された。また被害者の長女が宗教団体代表に殺害を依頼していたこともわかった。

事件の経緯と詳細

2001年6月9日午後8時55分ごろ、東京都板橋区の工務店経営・丸山寿治さん(70歳)方に、男がインターホンで「宅配便です」と言って訪問し、丸山さんが玄関のドアを開けると、発砲した。男は段ボール箱を持っており、丸山さんの背後から撃ったという。まもなく、丸山さんが倒れているのを妻(当時67歳)が発見した。現場には薬きょうとミネラルウォーターの商品名が記された空の段ボールが残されていた。

丸山さんとグループ向日葵の関係

丸山さんとトラブルになっていたと見られる「グループ向日葵」は法人格は持っていないが、人気のある方位学占いグループで、最大時で100人以上の熱心な信者を集めていたという。

占いによる人生相談などで信者を獲得する一方、代表の吉川タカ子(当時64歳)が「念を入れた」とする印鑑を信者に高額で売り付けるなど、霊感商法まがいの活動が指摘されていた。吉川は東京都内で占い師集団の会を主宰し、これまでにも大物女性歌手やプロスポーツ選手などとも親交があった。

丸山さんの長女がこの吉川に心酔しており、事件の数年前からグループ向日葵に顔を出すようになる。工務店を経営しながら不動産や金融関係の仕事もしていた丸山さんは以前、妻らの依頼を受けて「グループ向日葵」に現金を拠出。この際、寄付と解釈して返済を拒否した教団側とトラブルになったことがあった。

ちなみに、会の名称は報道で確認する限り「グループ向日葵」と「ひまわりの会」の2種類で表記されていて、どちらが正式名称か不明です。。。

逮捕へ

2003年1月8日、西東京市の「グループ向日葵」幹部・渡辺義介(当時47歳)と、実行犯と見られる4人が逮捕された。渡辺のほかに逮捕されたのは、渡辺から殺害を依頼されたという無職・洪竜杓(当時46歳)、自動車板金塗装・石原久義(当時38歳)、丸山さん殺害の実行犯とみられる福岡県久留米市の自動車板金塗装工・安恒尚夫(当時36歳)、同じく殺害実行グループだった韓国籍の元暴力団員・吉田旭(姜柄旭、当時47歳)。

同23日、吉川と同会アドバイザー・民野茂樹(当時48歳)が逮捕される。

同25日、実行グループに自動式拳銃「マカロフ」と実弾8発を売ったとする山口組系元組員・田村真喜(当時46歳)を逮捕。

さらに同年2月23日、丸山さんの長女で、会社社長・笠原友子(当時44歳)が、殺害を依頼したという疑いで逮捕された。

1998年、笠原はエステティックサロンで吉川と知り合い、子どもの進学問題や遺産相続について相談するようになった。

2000年10月頃、笠原は新宿のホテルの喫茶店で、吉川に「お父さんが勝手に相続を決めてしまった。どうしようもないので、お父さんを殺して欲しい」と父親殺害を依頼した。吉川は渡辺に殺害を指示。2000年末には笠原が吉川に現金500万円を手渡している。

同年12月頃、渡辺は2つのグループに声をかけ、手付金800万円を支払ったが、怖くなったのか間違った住所を教え、計画は失敗する。この間、吉川は再三催促をしていたという。

2001年3月、渡辺は知人の元暴力団組員を通じて、実行グループに依頼。依頼を受けた洪は姜に相談、姜は舎弟だった石原と安恒に殺害を指示した。渡辺はこの4人に殺害の“手付金”として、水晶玉の購入代金約1000万円を支払ったという。

丸山さんは自宅や工務店事務所、埼玉県内のマンションなど、総額で数億円の資産を所有していたが、事件後の02年9月、事務所兼共同住宅の土地と建物を笠原が相続した。しかし、笠原は事件後に信者をやめ、財産は団体には渡らなかった。

笠原友子について

友子は仕事熱心な丸山さんの長女として生まれた。

実家近くの知人によると「弟さんがいたんですが、小学生の頃に事故で亡くなったこともあって、幼い頃から大事に育てられていました」とのこと。

実際に丸山さんも「あの娘にはいくら金をかけたかわからない」と生前にこぼしていた通り、友子は中学から短大までエスカレーター式の私立女子校に進学した。

近所の主婦によれば「俗に言う“箱入り娘”でツンとしたところがあって、会っても挨拶したことなかったわねぇ。いつもブランドの服を着て、ボーイフレンドに車で送り迎えさせてました。ちょっとこの辺じゃ見かけないお嬢さんだったことは間違いないわね」とのことで、また、同級生は「おしゃれで華やか。ブランド物を身につけ、六本木でよく遊んでいました。学校にはお嬢さん育ちが多いのですが、1ランク上という感じでした」と語っている。

さらに、高校時代の友人は「高校生の時に冗談で『お父さんのおカネは私が全部使ってやる』と言っていた」と話している。

弟を亡くした両親から溺愛されて成長した友子は、1984年に、24歳で電子機器製造株式会社で役員を務める男性と結婚。2人の男の子に恵まれた。

だが、家庭をもうけても、子ども時代と同じように、贅沢な生活を続ける。東京・渋谷区の一等地に自宅を構え、毎年家族で海外旅行に行き、息子2人を私立の名門幼稚園に入園させた。塾にも熱心に通わせ、大学までエスカレーター式の超有名小学校を受験させ、ベンツで送り迎えする日々を送った。

こうした費用は、彼女がかつて子どもだった時と同じように、友子の両親が負担し続けていた。丸山さんに隠れ、母親から月に50万円の金を無心し続けていたのだという。

しかし、そんな甘えた生活は永遠には続かなかった。事件の3~4年前、友子の夫が役員を務めていた会社が倒産し、多額の借金を抱えることになったのだ。友子は躁鬱状態となり、親戚に会っても挨拶すら交わさなくなっていく。この頃、友子の実母が具合を悪くしたこともあり、丸山さんから「一緒に住んでくれ」と頼まれたが、友子は事も無げにこう言い放ったという。

「板橋は田舎臭くさいからイヤ」

父と娘の関係に亀裂が入ったのはこの時だった。丸山さんは、それまで大目に見ていた金の無心を断るようになり、故郷である新潟県内に所有していた土地やビルを、自身の弟と甥に譲るという内容の遺言書を作成。甥との養子縁組を決めた。

これに友子大きく動揺した。ちょうどその頃、渋谷のエステティックサロンで知り合い、親しくなっていた吉川にこう訴えたのだった。

「お父さんが勝手に、甥との養子縁組を決めて、遺言状も作ってしまった。このままでは私も母も遺産相続から排除されてしまう」

さらに「お父さんの会社の金庫に一億円あるのでそれを払うから」と、あろうことか父の殺害を依頼したのである。友子は、子どもの進学について吉川に相談したことがあり、それ以降は信頼しきっていたという。殺害の“手付金”として、水晶玉の購入代金1000万円を「グループ向日葵」に支払った。こうして、吉川の指示を受けた渡辺ら実行犯グループが暗躍し、丸山さんは殺害されてしまった。

判決とその後

2004年1月29日、東京地裁は殺害の実行犯だった安恒に懲役15年、石原に同12年、洪に同14年を言い渡す。

2005年1月12日、東京地裁、姜に懲役18年を言い渡す。

2006年3月14日、東京地裁・村瀬均裁判長は「殺し屋を雇った卑劣な犯行で、遺産から多額の報酬を支払うことを約束し、実行を決定的なものとした」と、笠原友子に求刑通り無期懲役を言い渡した。吉川タカ子、渡辺にはすでに懲役20年が、民野には同12年が言い渡されている。

トピック:歌舞伎町ビル火災と関連か

2004年9月9日号の「週刊新潮」に、この事件から3ヶ月後に起こり44人の死亡者を出した歌舞伎町ビル火災との関連疑惑が書かれている。
 
まず「グループ向日葵」代表・吉川タカ子の娘婿が火元となったビル3階のテナント、麻雀ゲーム店「一休」の事実上のオーナーだった。

そして丸山さん殺害の実行犯の1人・Aは「グループ向日葵」に金で雇われたチンピラに過ぎなかった。だが、前述したように殺害後は遺産相続した丸山さんの娘が脱会したため、Aに充分な成功報酬の金がまわってくることはなかった。つまり、Aには「グループ向日葵」を恨み、代表の娘婿の店にいやがらせをする理由があった。

すでに渡辺らと逮捕されているAは丸山さん殺害の件だけではなく、歌舞伎町の火災事件のことも聞かれたが、「その日は行きつけのスナックにいた」と供述している。だが裏を取ると、その供述も嘘であることが判明した。つまりAにはアリバイはなかったのである。しかし、それ以上の手がかりや証言は得られていない。