人間は罪を犯す。

人間であるがゆえに。

人は、金を盗み、強姦をし、人を殺す。

そんな中で「まさかこんな事件が」「なんでこんな犯罪が」と思うようなことが多くある。

イギリスの詩人、バイロンの「事実は小説より奇なり」の言葉通り、現実には小説以上に想定外の出来事が起こる。

そして、皆が改めて思う。「人間とはこんなにも残酷な生き物だったのか」と。

人間とは自制心をもち、道徳やモラル、正義感があるからこそ「人間」だったのではないかと。

一方で「人間」であるがゆえに、罪を犯してしまうこともある。

貧しさゆえに盗みを働き、人に虐げられたことを憎んで殺害してしまうこともある。それは、ある意味「人間」として生きようとした結果なのかもしれない。

努力し、周りの人間や社会に適合し、共存しようとした結果、思うようにいかず、行き詰った結果として罪を犯した人間の悲劇であるとも言えるのではないだろうか。

だが、それだけでは括ることのできない、自分本位な犯罪が起きていることもまた事実である。

思い通りにならない自分の生活や人生を、社会や周りのせいにして周囲を攻撃する。

犯人はプライドが高かったり、コンプレックスの塊だったりして、欲求が満たされず、その感情を周囲・世間に対して爆発させてしまう。

特に、無差別殺人などには、その傾向が強く表れている。

いずれにせよ、全く関係がないというのに殺される被害者はたまったものではない。

しかし、そういった犯罪者は特別な存在ではない。

「殺人」という行動に出るかどうかの違いはあれど、同じような強い感情を抱くことは誰しもある。

ただ、そうなる人間とならない人間との間にはボーダーラインがあり、その一線を越えることがなかったということなのだ。

いま、眼前に伸びる一本の線を越えないために、私たちは過去に学び、これからを考える必要がある。

これまでの人間のさまざまな過ちの歴史の中には、読むだけでも辛く、知りたくもなかった出来事が山ほどある。

しかし、忘れてはいけない。

これらは、私たちの頬をかすめるほどのところで起こっている現実であり、いつか自分が当事者になるかもしれない出来事なのだということを。

だからこそ、私たちはその狂気の奥底に潜むものを凝視しなくてはならない。

なぜこのような凄惨な事件が起こり、誤った選択をした者たちが如何なる末路をたどったのかを知る。

反面教師として、私たちが再び過ちを犯さないために。

本サイトが、犯罪から身を守るため、またこの世から犯罪をなくす一助となることを心から望む。

最後に、犯罪の犠牲になった方々のご冥福と、未解決事件の早急な解決を心よりお祈り申し上げます。