茨城・女子大生殺害事件

2020年08月

13年越しの逮捕!外国人によってもたらされた卑劣で身勝手な犯行。

2004年1月30日の深夜から翌早朝にかけて、茨城県稲敷郡阿見町のアパート居住の茨城大学の女子大生、原田実里さんが殺害され、自宅からおよそ6㎞離れた美浦村舟子地内の清明川(河口付近)において遺体で発見された事件である。

事件の経緯と動機

2004年1月31日午前9時ごろ、茨城県美浦村舟子の清明川に、若い女性の死体が浮いているのを、散歩中の近くの男性が発見し、110番通報した。  

江戸崎署の調べによると、女性は10代後半から20歳代。うつぶせの状態で衣服は着けておらず、上半身に外傷があった。付近で女性の服や靴は見つからず、近くのコンクリート製護岸には血痕があった。 現場は、清明川が霞ヶ浦に注ぐ河口付近で、国道125号から約500メートル離れた田園地帯。

茨城県警の調べで、全裸水死体の被害者は茨城県稲敷郡阿見町の茨城大農学部2年原田実里さん(当時21歳)と判明した。原田さんの身体には首と左肩など3カ所に刃物で切られたような傷があり、首の傷が致命傷とみられる。左胸から腹の傷は長さ約20センチに達し、両手、両太ももに打撲痕があった。捜査本部は、原田さんの身元を隠すために、首などを切断しようとしたとの見方を強めている。  

遺体が見つかった川岸の堤防で血痕が付いた黒いジャージのズボンが見つかり、斜面には点々と血痕が残っていた。堤防は高さ約2メートルで、車1台が通れる砂利道がある。街灯はなく、夜間は真っ暗で人通りは少ないという。

原田さんは山口県防府(ほうふ)市に実家があり、大学入学を機に茨城県に転居し、茨城大農学部に通学していた。 また原田さんは大学で、トライアスロンサークルに所属。今年度は、日本学生トライアスロン連合(事務局・東京都渋谷区)の委員も務め、遺体発見前日の30日も、午後から渋谷区の事務局で仕事をし、午後6時ごろ、ほかの委員とJR渋谷駅で別れたという。

2004年1月30日午後9時頃に原田さんは恋人の男子学生とともに自宅に帰宅。原田さんは、30日午後9時ごろから、交際相手の男性(当時21歳)と2人でアパートの自室にいたこともわかった。夕食を取り、酒などを飲んだ後、男性がうたた寝をしているうちに、財布や携帯電話を残したまま外出したらしい。

翌31日の午前0時頃、原田さんが一緒にいた男子学生宛に「出かけてくる」とメモを残し、阿見町の自宅から外出。その後、行方がわからなくなった。

男性は「午前0時過ぎに、原田さんが出ていく気配を感じた」と話しているという。 原田さんが外出する時うたたねをしていた男性は、その気配を察知したが、あえて声はかけなかった。

午前中に男子学生は原田さんが帰宅していないことに気付くが、テーブルには「友人に会いにでかける。遅くなる。」と記したメモが残されていた。

目覚めて原田さんの書置きを読んだときも、自宅にいったん戻ったと思ったという。だが、31日午後、身元不明の遺体発見のニュースを見て、茨城県警江戸崎署に連絡をしたのだった。

江戸崎署はこの男性に任意同行を求め、数度にわたって事情聴取を行ったが、供述に不審な点はなく、事件とは無関係として無罪放免となった。その後の捜査で、原田さんが親しくしていたもう1人の男性の存在が浮上。三角関係のもつれによる犯行との見方もされたが、この男性にも怪しい点は見られず、捜査は振り出しに戻った。

犯行

原田さんは視力が0.1程度しかなかったが、メガネもコンタクトレンズも室内に残し、携帯電話や財布も自宅に置いたままだった。同日の午前9時頃、原田さんが自宅から6キロ離れた美浦村舟子地内の清明川で遺体が発見された遺体の首には複数の切り傷があり、胸には心臓に達するほどの刺し傷も残っていた。しかし、その後の司法解剖の結果、死因は首を圧迫したことによる窒息死だった。

2月4日、原田さんの物と見られる自転車が、土浦市の空き地で、鍵が付いたままスタンドを立てた状態で見つかった。現場は阿見町の自宅アパートから約2.5キロ離れていた。その後の目撃情報では、自転車が放置されていた場所で、白っぽいワンボックスに乗った2人の男が自転車を下ろして立てかけていた姿が目撃されたというものがあった。

目撃情報があったにも関わらず、それ以外の被害者の足取りはつかめず、犯人の特定は難航した。

事件発生から3年が過ぎても、茨城県警は犯人を特定できずにいたため、2007年に原田さんの両親が犯人逮捕に繋がる情報提供者に自費で懸賞金200万円を支払う事を決め公表した。

それから1年後の2008年に警察庁も「茨城女子大生殺人事件」に対し公的懸賞金制度を適用することを発表した。しかし、公的懸賞金制度が終了する2014年までに、犯人を逮捕することができなかった。

13年後の逮捕

原田さんの遺体にはわずかな犯人の体液が残されており、DNA鑑定が行われたいたことと、茨城県警に寄せられた情報の中に「フィリピン男性が事件の関与をほのめかしていた」というものがあったことから、事件発生から13年後の2017年9月2日、DNAが一致したため、容疑者のフィリピン国籍のランパノ・ジェリコ・モリ(逮捕時35歳)を逮捕。

情報提供者や関係者への聴取から、当時茨城県土浦市に住んでいた容疑者が浮上し、共犯関係とみられる知人の男ら2人を特定したが、全員、原田さんとの面識はなかった。容疑者逮捕までに、3万3910人の捜査員を投入、4185日の捜査、約360件の情報が寄せられた。

本件に共謀した疑いで、当時少年だったフィリピン人の2人に逮捕状を送り、国際刑事警察機構を通じて国際手配していた。そのため、2019年1月24日、日本に入国しようとした容疑者のフィリピン国籍の男B(逮捕時33歳)を逮捕したが、未だに共犯者の残り1名が逮捕されていない。

事件の動機

ラパノン・ジェリコ・モリを含む容疑者3名は、強姦するつもりで自転車に乗って出かけ、自転車に乗る原田さんを発見し犯行に及んだと話している。その手口は、自転車で自転車をふさぎ、原田さんを車内に連れ込むという悪質なものだった。原田さんに警察に話されたら困ると理由から殺害も計画のうちだそうだ。また、首を締めた後に、何回も斬り付けたのは確実に殺すためだった。

ランパノ・ジェリコ・モリらについて

ランパノ・ジェリコ・モリ

事件当時22歳。共犯者の母親の提案で2004年3月ごろ出国。2017年1月までの間に出入国を繰り返していた。逮捕当時、ランパノ・ジェリコ・モリは岐阜県端穂市に妻や娘、息子のほか、義母ら7人ほどの家族で住んでいた。2010年ごろに引っ越してきて、自動車関連の工場で働いていたという。近所では「子煩悩」と評判だった。逮捕される可能性がありながら、日本で生活していた理由について「日本の方がお金を稼げるから」と語っている。

BとCについて

事件当時18、19歳。2004年3月ごろ出国し、2007年以降再入国していない。2018年末までに、事件当時18歳であった容疑者Bが訪日を希望しているとの情報があり、茨城県警は外務省などを通じて本人の意思を確認し、2019年1月23日に捜査員を派遣し、1月24日に成田空港から入国後に逮捕された。

判決とその後

第一審は、2018年7月17日、裁判員裁判が水戸地裁で開かれ、ランパノ・ジェリコ・モリは「間違いありません」と起訴内容を認めた。ランパノ・ジェリコ・モリは「仲間に誘われて事件を起こした」と述べ、自転車に乗っていた原田さんを発見し、乗っていた車で自転車の進路を妨害。原田さんを車内に連れ込んだ。殺害の理由を「警察などに話されたら困るから」と語り、暴行を決めた段階で殺害まで計画していたことを明かした。

2018年7月25日、判決公判が水戸地裁で開かれ、小笠原義泰裁判長は「殺害に主体的に関与しており、刑事責任は重大だ」として、求刑通り無期懲役を言い渡した。判決理由で小笠原裁判長は「犯行態様は執拗、残虐で殺意の強固さも明らかだ」と指摘し、「若さや飲酒が犯行に影響した」として有期刑を求めた弁護側の主張を退けた。

被告側は量刑が重すぎるとして東京高裁に控訴し、第二審は、2018年12月12日に控訴審初公判が開かれ、検察側は控訴棄却を求め即日結審した。2019年1月16日に判決が言い渡され、犯行の状況や被告の役割から刑事責任は重大で、量刑が重すぎることはないとして控訴を棄却し、無期懲役を支持した。