長谷部有美ちゃん誘拐殺人事件

パチンコ店での幼女誘拐殺人事件、類似事件の多発に同一犯の可能性が指摘されている事件

1984年11月17日栃木県足利市大久保町の幼稚園児・長谷部有美ちゃん(当時5歳)が、家族で出かけた足利市内のパチンコ店「大宇宙」から行方不明となった。

2年後の1986年3月7日有美ちゃん宅から1.7kmほど離れた足利市大久保町の市立大久保小学校東側(現、毛野小学校)の畑で、飼い犬がさかんに土を掘ろうとするので、畑の所有者が掘ってみたところ、女児の衣類が見つかった。

1986年3月8日翌朝から捜査員がこの畑を発掘捜査してみると、他の衣類と子供の白骨死体が見つかり、これが有美ちゃんであることがわかった。

事件の経緯と詳細

1984年11月17日栃木県足利市大久保町の幼稚園児・長谷部有美ちゃん(当時5歳)が、家族で出かけた足利市内のパチンコ店「大宇宙」から行方不明となった。

有美ちゃんは両親がパチンコをしているあいだ、店内や店の外で遊んでいたが、いつのまにか姿が見えなくなった。

両親がいないことに気づいたのは午後6時ごろで、店の周囲を探し回ったが見つからず、足利署に届け出た。

同署は直ちに署員70人を招集、足利市消防本部にも協力を求め消防団員ら70人、地元山川町の住民や長谷部さんが住んでいる近所の人たち約200人が出て有美ちゃんの捜索を開始。

翌18日午前2時まで、パチンコ店周辺にある空き家、倉庫、転落事故の危険のある側溝、堀などを検索すると共に、目撃者捜しの聞き込みを行なった。

また、同署が警察犬を使って捜したところ、有美ちゃんの足取りは現場から北方の長林寺方面へ行く道で約400mのところでプッツリと途絶えていることがわかった。

18日も午前7時から前夜と同様の体制でパチンコ店を中心に1kmの範囲を徹底捜索。午後は足利署員がパチンコ店の北方の山狩りも実施したが有美ちゃんは発見できず、同日午後6時で打ち切られた。

一昼夜以上を経過しているにも拘らず何の連絡も無いことから、同署は、迷子の線は揺らぎ、変質者に連れ去られたなど、何らかの事件に巻き込まれた可能性が強くなったと判断した。

有美ちゃんは身長約108cm。

おかっぱ頭で、失踪時には胸に白いラインの入った薄紫色のセーターを着て、兎の絵の付いた青色のスカートを穿いていた。

靴は漫画『アラレちゃん』の絵入りのズック。普段は口数が極めて少なく、独りで出歩くような子供ではなかった。

有美ちゃんが失踪したパチンコ店は、国鉄両毛線足利駅から約2km東の旧国道50号沿い。周辺は住宅地だが、北側は山に囲まれ、山の麓には長林寺がある。

パチンコ店の一軒おいて東側はスーパーマーケット。長谷部さんの自宅は、パチンコ店から旧国道50号を更に佐野寄りに約3km行った新興住宅地の一角にある。

パチンコ店には、長谷部さんはバイクで、妻と長男と有美ちゃんはバスで来ていた。

Y・T足利署長は18日午後6時過ぎから記者会見し、「期待したいのは単なる迷子であってくれればということだが、変質者に連れ去られたなど、あらゆる事態を想定、捜査本部は置かないが“準本部体制”で3日間は徹底してパチンコ店周辺1kmの捜査を行う」と話した。

翌19日の捜索は午前9時から始まり、パチンコ店の裏手(北側)の山と山の麓のため池を重点に、パチンコ店の周辺1kmの範囲で行なった。

山狩りには警察官、消防団員、幼稚園の父母ら100人が当たり、シノ竹が繁った藪の中を掻き分けるようにして広い範囲を捜索したが、成果は無かった。

また、転落したことなども考えて、パチンコ店から直線距離で約500m北方の「長林寺ため池」と、約1.2km北方のマリンパレス跡南側の「百間ため池」(大沼田町)の検索も行なった。

足利消防署員、県警機動隊員が池にゴムボートを浮かべて水中を竹竿で捜したが、有美ちゃんは見つからなかった。

一方、県警捜査一課の応援を得てパチンコ店の出入り客、パチンコ店の一軒隣にあるスーパーの買い物客らからの聞き込みを行い、買い物客の主婦数人が「17日午後5時半頃、パチンコ店の外で有美ちゃんらしい女の子を見かけた」という情報を得たが、有美ちゃん発見の手掛かりとなる有力な証言は無かった。

行方不明から丸二昼夜が経つというのに期待された一般市民からの情報提供は一件も無く、有美ちゃんが行動できるとみられるパチンコ店周辺1kmの範囲はこの3日間くまなく捜しているにも拘らず有美ちゃんを発見できなかったことから、足利署は、迷子や事故ではなく、変質者が連れ去ったなど事件に巻き込まれたとの見方を更に強めた。

19日の山狩りを主体とした大捜索には有美ちゃんが通っていた旭幼稚園(大沼田町)の同級生の父母40人も協力した。

「警察や消防の人たちが一生懸命やってくれているのだから」というI・C園長の呼び掛けに、強制ではないにも拘らず、わざわざ仕事を休んだ父親も含む40人が集まった。

大半は30代の若い母親であり、これといった道が無い一面竹薮の山を捜索するのは大変だったが、

「同じ子を持つ母親として人ごととは思えない…」

と、ジーパンやトレパン姿で手に棒を持ち、警察官や消防団員らと一緒に捜索を続けた。

捜索に当たっている人たちの間では、5年前(1979年)の8月3日、足利市通り五丁目の会社員・福島譲さんの長女・万弥ちゃん(当時5歳)が自宅隣の八雲神社の境内に一人で遊びに行ったまま行方不明となり、6日後に同市田中町の渡良瀬川河原の草むらでリュック詰めの遺体で見つかった「万弥ちゃん事件」(北関東連続幼女誘拐事件の第1事件)を連想する人も多く、有美ちゃんの安否を気遣った。

翌20日は、パチンコ店の南側の河川敷を重点的に捜索を行なった。袋川には足利署員70人が、渡良瀬川の田中橋下流には県警機動隊員30人が動員され、冷たい雨が降る中、草むらなどを捜した。

足利消防署員、幼稚園の父母、長谷部さんの会社の同僚ら130人は、パチンコ店を挟んで助戸町から大久保町まで約6kmの旧国道50号沿いの空き家、側溝など転落の恐れのある危険箇所を捜索したが、有美ちゃんは発見できなかった。

足利署は有美ちゃんの捜索と併せて県警捜査二課の応援を得てパチンコ店の客、一軒隣のスーパーの買い物客、周辺住民の聞き込みを行なったが、情報は少なく、有美ちゃんの足取りは「パチンコ店の外、出入り口付近で遊んでいた」にとどまり、肝心な「その後」の消息はわからなかった。

同署は20日夕、捜査会議を開き、21日以降は捜索隊の規模を縮小、聞き込みによる目撃者探しに全力を挙げることを決めた。

不審な電話

4日後の1984年11月21日、有美ちゃんの通う幼稚園に、有美ちゃんと見られる女児と40~50代ぐらいの男からの電話が入る。

電話を受けたのは園長で、1回目は午後4時過ぎで、女児の声で「せんせい…」と言っただけで切れた。

その3分後、再び電話が入り、女児は「せんせい、いま、こうせいびょういんにいる」と泣き声で訴え、続いて男が有美ちゃんの自宅の電話番号を聞いてきた。

午後4時21分頃、今度は有美ちゃんの自宅に電話が入る。

女児は「たすけてちょうだい」と、か細い声で話し、父親が所在を問うと「佐野のこうせいびょういん」と答えた。通報を受けた足利署はすぐに佐野市の「佐野更生病院」、足利市の「更西病院」、さらに群馬県桐生市、館林市の厚生病院に捜査員を急行させたが、有美ちゃんの姿はなく、捜査本部は後にこれをイタズラ電話と断定している。

遺体発見も時効成立に

2年後の1986年3月7日有美ちゃん宅から1.7kmほど離れた足利市大久保町の市立大久保小学校東側(現、毛野小学校)の畑で、飼い犬がさかんに土を掘ろうとするので、畑の所有者が掘ってみたところ、女児の衣類が見つかった。

1986年3月8日翌朝から捜査員がこの畑を発掘捜査してみると、他の衣類と子供の白骨死体が見つかり、これが有美ちゃんであることがわかった。

栃木県警は足利事件で逮捕した犯人を有美ちゃん事件などでも再逮捕したが、宇都宮地検が「犯行を立証する決め手がない」として不起訴処分とした。その後、本件は時効が成立。

2011年に5つの事件が同一の犯の可能性がある北関東女児連続誘拐事件の家族会参加に参加した有美ちゃんの父親の秀夫さんは「家族にとっては時効なんてない。警察には必ず白黒はっきりしてほしい」と訴えた。