ホテルニュージャパン火災事件

2020年07月

オーナー・横井英樹のケチケチ経営が招いた、史上空前の「人災」で33名が死亡も、禁錮3年のみ。

1982年2月8日の午前3時24分にホテルニュージャパンで火災が発生した。主に火元の9階と10階を中心に同日12時半過ぎまで9時間に渡って燃え続けた。

炎は7階にまで達しており、延焼面積は約4,200㎡に達した。ホテルの宿泊客を中心に死者33名、負傷者34名を出す大惨事となった。

出火の原因は9階938号室に宿泊していたイギリス人の男性宿泊客の酒に酔った寝タバコが原因であった。極初期のボヤで一度目が覚め、毛布で覆って完全に消火したつもりで再び寝入ってしまうが火は消えておらず覆った毛布に着火し部屋中に燃え広がったと見られる。(刑事罰は受けていない)

消防に通報が入ったのは15分後の3時39分だが、この通報は通行人のタクシー運転手からのものであり、この間はホテルの従業員からの通報は誰もしていなかった。

廊下での焼死など火災による死者が多かったが、有害ガスを含んだ煙から逃れるために窓から飛び降りて命を落とした人も13人いた。なお、9階と10階の生存者の中には火災で非常口から避難ができず、シーツをロープ替わりにして窓から下の階へ避難した者や消防隊に救出された者もいた。

この火災では、鎮火まで、およそ9時間に渡って燃え続けた。この日の宿泊客は442人。うち9階と10階に宿泊していたのは103人で、この多くは台湾や韓国からの宿泊者だった。

火災が広がった原因

ホテルニュージャパンは、度重なる消防当局からの指導にもかかわらず、経費削減を理由にスプリンクラー設備などの消防用設備を一切設置せず、消防当局や専門業者による防火査察や設備定期点検も拒否し続けていた。

同ホテルが開業した1960年当時の消防法では防火設備に乏しい建物でも営業に問題は無かったが、国内で発生したビル火災では史上最悪となる118人もの犠牲者を出した1972年の「大阪千日デパート火災」を教訓に特定防火対象物においてはスプリンクラーや防火扉などの設置義務と不燃材による内装施工必須、さらには既存不適格の防火対象物に対する設置基準と技術基準の遡及適用の実施を盛り込んだ改正消防法が1974年に施行された。

それらがあったにも関わらず、社長兼オーナーへ就任した横井英樹は、経費削減を理由にそれらの安全や災害対策関連の予算執行を認めず、消火器を買い増す旨を指示しただけだった。さらに設備点検費や更新費の滞納により定期点検業者を撤退させた結果、館内の消防用設備の故障が長期間に亘って放置された。

具体的には、火災報知器や煙感知器も故障したまま修理されず放置されていた。館内非常ベルは手動式で、警備員または従業員が操作しない限り鳴らない仕組みだった。更にホテルの館内放送設備も壊れたまま手をつけず、その使用方法にも誤りがあった。

また、通常は24時間常時稼働しているはずの全館加湿装置が電気代を節約する目的で横井の独断により止められ、暖房のみが稼働する状態になっていた。火災発生時のホテル内は湿度が極端に低く、静電気が発生するほどの異常な乾燥状態になっており、その影響で延焼拡大が起こりやすくなっていた。

さらに、本件ホテルは、当初の計画では高級アパートとして建設する予定だったが、高度経済成長で急増する宿泊施設の需要に対応する目的で急遽「ホテル」へ用途を変更した。そのため、初めて利用する宿泊客や外国人客には方向感覚が麻痺しやすく解りにくい特殊な構造であり、内部が迷路のような空間になることで火災発生時の避難行動に支障を生じさせる要因になった。

1960年の開業当時のホテルニュージャパンには320人の従業員が在籍していたが、横井は利益第一主義を掲げて安全対策費用も含めた経費削減を徹底させた。そのため、火災発生当時の在籍従業員は134人にまで減少しており、火災発生当夜の当直従業員はわずか9人だった。

従業員らは、火災発生時にもしも小火程度で収まって大事に至らなかった場合は「無意味な騒ぎを起こした」と横井から叱責されるのを恐れ、非常事態においても社長の顔色を伺うような雰囲気に陥っていた。

従業員らは、火災発生に際して緊急事態を大声で周囲に知らせず、通常の巡回時と同様に小声で各部屋を軽くノックする方法で客に火災発生を知らせるだけで、手動式非常ベルの操作方法を知らず、火災発生の緊急館内放送も行なっていなかった。

客室内の内装にはベニヤ板に壁紙を貼った可燃材が使われていた。また防炎加工なしの化繊を用いた絨毯やカーテン、シーツ、毛布類も使われていたことから、延焼した際に可燃性の有毒ガスを多量に発生させた。それらの要因が重なったことでフラッシュオーバー現象による燃焼拡大の危険性を高めた。

煙を感知すると自動的に閉まる仕組みの防火扉は、各階の廊下の適切な場所に設置されていたが、その大半は廊下に敷かれていた絨毯に阻まれて火災発生時に閉鎖せず、防火戸はその機能を果たさなかった。

防火扉の不作動の問題の他にもスプリンクラー設備の配管が最初から設置されておらず、天井にスプリンクラーヘッドを単体で接着して、あたかもスプリンクラーが設置されているかのように偽装して消防当局を欺いていたことも明らかになった。

その後

本件ホテルの代表取締役社長である横井英樹は、火災発生現場に蝶ネクタイ姿で登場し、報道陣に対して拡声器で「本日は早朝よりお集まりいただきありがとうございます」「9階10階のみで火災を止められたのは不幸中の幸いでした」などと現場の状況を一切考慮しないような緊張感に欠ける不謹慎極まりない発言をしたことに加え、「悪いのは火元となった宿泊客」と責任を転嫁するかのようなコメントを発した。また横井は、火災当時に人命救助よりもホテル内の高級家具の運び出しを指示したとされる。

横井は火災発生翌日以降の記者会見で

「お客様には大変申し訳なく思っています。大切なお客様のご遺体がホテル内に多数残されていたことを考えますと、ご遺族の皆様には何とお詫びすれば良いのか言葉が見つかりません」

と謝罪はしたものの、消防当局より再三にわたり指摘されていた防火管理体制の不備による責任、利益第一主義と安全対策予算を削ってまでの経費削減主義を貫いた自身の経営責任を報道陣より問われても

「申し訳ございませんでした、お詫びのしようもありません。ご遺族の皆様へは誠心誠意対応して参ります」

と述べるにとどまり、自身の責任については曖昧な発言に終始した。横井の責任逃れとも取れる言動は、遺族などから手厳しく非難された。のちに横井は「衆議院地方行政委員会」へ参考人招致され、その席上では「従業員に対しては日頃からお客様の安全を守るように教育してきた」と述べていた。しかし実態は横井の答弁と正反対で、少ない人員の割に膨大な仕事量という環境から従業員への防災訓練は殆ど行われていなかった。

ホテルニュージャパンは、火災発生から2日後の1982年2月10日に東京都より「消防法違反と業務上過失致死傷による営業禁止処分」を受けた。同年3月2日に東京消防庁は、消防法第5条に基づき2階以上の部分の使用停止を命令した。さらには同日に東京都都市計画局は建築基準法第9条第7項の規定に従って是正措置が完了するまで2階以上の使用を禁止する命令を出した。同ホテルは、その後に廃業し、2014年に千代田生命が落札。「ブルデンシャルタワー」に生まれ変わっている。

1982年(昭和57年)11月18日、警視庁は横井ら4人を業務上過失致死の容疑で逮捕。横井は1993年に禁錮3年の実刑が確定し、八王子医療刑務所に服役した。