ホテル日本閣殺人事件

商売人の女性、経営で揉めた末に夫婦殺害

小林カウがホテル日本閣の経営者夫婦と元夫の計3人を殺害した。

1961年に発覚し、主犯の小林は日本で戦後初めて死刑を執行された女性死刑囚となった。

犯行の経緯や動機

小林カウは1908年、埼玉県の現・熊谷市の農家に生まれた。

16歳のときに上京して東京の旅館で女中として働く。

故郷に帰った後、22歳で見合い結婚。夫は徴兵の後、体を壊して帰ってきたため、小林の働きで生計を立てる。

1952年10月2日、青酸カリで夫を殺害。医師は脳出血と診断した。

カウ夫妻が度々喧嘩をしていたことで近所でもその死を疑う噂が流れたが、熊谷署は捜査を打ち切った。

後の経営者夫婦殺害による裁判中に投書が送られるまで、夫殺害は発覚しなかった。

前より関係のあった年下の警官と同棲するが、2年で破綻。小林は姉と共同経営をして、外交を受け持ち、後に事件を起こす塩原へ行く。

1956年、行商先の塩原温泉で土産屋を開き、翌年に食堂を開いて財を築く。その頃から旅館を持ちたいと思うようになり、ホテル日本閣が売りに出されているのを見つける。

その後、ホテル日本閣の買収に乗り出し、ホテル日本閣経営者の生方鎌助(53歳)と日本閣の雑用係の男大貫光吉(36歳)と共謀し、経営者の妻ウメ(49歳)を殺害する。

小林の命令で大貫がウメを絞殺し、遺体をボイラー室に埋める。

しかし遺体がボイラー室に埋められていると噂が出回り、3人で近くの林に埋め直す。

ウメ殺害直後、女将におさまり出資。しかし自分の名義になってるはずの新館が旧館とともに近々競売に掛けられていたことで、騙されたと思い、生方の殺害を決意する。

12月中旬、生方の食事や酒に塩酸を混ぜるが味が吐き出したことで失敗。

大晦日、大貫と共謀し、経営者を殺害する。客には金策に出たと説明する。

小林は保険金目的で旅館に火をつけ共犯の大貫も口封じのために殺害するつもりであったが、夫婦の相次ぐ行方不明で警察が動き、共犯の男が自供したことにより事件が発覚。逮捕される。

判決とその後

1963年、宇都宮地方裁判所の一審で死刑判決となり上告中、投書により10年前の前夫の不審死が発覚。

小林は当時同棲していた元警官と共謀して夫を殺害したと話したが、元警官は否認。

メッキ工場が制服警官に青酸カリを渡したことが明らかになるも、同一人物か判明せず、元警官は無罪となった。

1966年、最高裁によって上告が棄却され、死刑が確定する。

1970年、死刑が執行された。