ジョン・ゲイシー

2020年04月

青少年33人連続殺人事件の殺人ピエロ

アメリカ合衆国にて、1972年から1978年の間で青少年33人が性的暴行を受けた果てに殺害された事件。

アメリカを震撼させたこの事件の犯人は、ジョン・ゲイシーというひとりの男だ。

ピエロ姿で子どもを楽しませていたこともあって、キラー・クラウン(殺人ピエロ)という異名を持つ。

彼はどのような人生を送ってきたのか、なぜ青少年33人を暴行し殺害したのか、事件の結末はどうなったのかなどから、ジョン・ゲイシーという男を解明していく。

ジョン・ゲイシーの生い立ち

ジョン・ゲイシーは、1942年3月17日にアメリカで生まれた。

父・スタンリーは、情緒不安定で、ジョン・ゲイシーは虐待を受けていたようだ。

身体的な虐待にとどまらず、生まれつき心臓疾患を持ち身体の弱かったジョン・ゲイシーを「オカマ」「お前はホモになるのさ」などと罵倒し、精神的に追い詰められていた

あまりのストレスに頻繁に失神するようになり、失神症と診断され、普通高校にも落第してしまった。

その後編入した職業訓練校では、好成績をおさめ、働き口を勧められる。

1962年20歳、ラスベガスに家出した際の葬儀屋のアルバイトが彼の異常性を目覚めさせたのかもしれない。

ジョン・ゲイシー本人は否定しているが、

「若者の死体を見ると胸が疼き、それも少年の死体だと、異様な感覚に支配され、仕事に慣れてくると、自分の気に入った少年の死体が入った棺の中に潜り込み、死体の皮膚に身を寄せていた

と言われている。

ビジネスの専門学校に進んだ後、大手靴販売店のセールスマンになり、エリアマネージャーに抜擢され、青年会議所でも有力会員となる。

事件の経緯

22歳になるとマリリンという女性と結婚したが、その前に飲みに行った男と関係を持った。

3年後には、ある青年会議所会員の15歳の息子ドナルドと関係を持ち、1968年に少年への性的虐待で服役している。

釈放後、パーティーで知り合った少年と再び関係を持った。

翌朝、少年が調理のために持っていたナイフに混乱し、争いの末に殺害してしまう。とっさに床下に死体を隠し、以降習慣となってしまう

ポゴというピエロに扮し、福祉施設を訪れて子どもを楽しませたり、建築ビジネスを立ち上げたりするなど一時犯行は落ち着き、キャロルという女性との再婚も果たした。

33歳の時、キャロルと離婚をし、これを機に犯行の頻度が上がる

1978年、ジョン・ゲイシーの会社のアルバイト面接から帰ってこなかった15歳の少年ロバートの捜索をきっかけに、警部補がジョン・ゲイシー宅に入る。

家に立ち込める異臭からジョン・ゲイシーを追うようになり、強制捜査に踏み切った。

床下から腐敗した大量の死体が見つかり、ジョン・ゲイシーの犯行が明らかになった。

ジョン・ゲイシーが少年33人を殺害した手口

ジョン・ゲイシーの犯行は、少年に対して「ポルノ映画を観よう」と誘い、地下室に連れ込んで行われた。手錠をかけて自由を奪い、凶器で脅しながら強姦する。その後ロザリオにボールペンを入れ、じっくりと回し、首を絞めて殺害したとされる。塩酸をかけて殺害することもあったと言う。

殺害した死体は、自宅の床下に埋葬され、その上に石灰を撒いていた。ほとんどの死体は床下の埋葬であったが、いくつかの死体は近くの川に遺棄されていた。

少年33人連続殺人事件の判決

少年33人連続殺人事件を起こしたジョン・ゲイシーは、1980年に12回の死刑判決と21回の終身刑判決を受けた

莫大な資産による上訴模範的な服役生活冤罪の主張などで免れ続けた。

だが文通をしていた少年との面会で再び犯行に及び、再審請求は取り下げられた。

1980年から始まった公判を経て、1994年5月に薬物注射による死刑が執行され、彼の生涯は終わりを迎えた。