JR池袋駅山手線ホーム上立教大生殺人事件

「後から法律を変えてよいことになれば、法を守る意識も薄れてしまう」

1996年4月11日夜、東京・豊島区の池袋駅構内で、立教大学4年・小林悟さん(21歳)が男に殴りつけられ、頭を打って5日後に死亡した。男の行方は現在もわかっていない。

事件の経緯と詳細

1996年4月11日、木曜日の午後11時30分頃、池袋駅の山手線外回り7・8番ホーム。

埼玉県春日部市に住む立教大学4年の小林悟さん(21歳)はこの場所で、男に殴られ、4日後に亡くなった。

小林さんはこの日、大学主催の就職セミナーに参加し、午後7時から午後9時後までは友人2人と居酒屋で軽く食事をして、その後2時間ほどやカラオケ店にいた。午後11時過ぎになって彼らは池袋駅に向かっている。神奈川の逗子方面の友人は少し前に別れていたが、所沢方面のもう一人の友人とは池袋駅の地下切符売り場で別れた。

一人改札口に入った小林さんは7番線、8番線ホームに上がる階段(4番階段)の下で、スーツを着た男から因縁をつけられたが、男が怒鳴った理由はよくわかっていない。

小林さんはいったんホームへ上がっていったが、男につきまとわれ、言いがかりであろう災難から逃れるためか再び階段を降りようとする。しかし男に捕まってしまい、男は何かを怒鳴り、小林さんは弁解するように何かを伝える。人混みのホームで、口論も激しくなっていった。

そして小林さんは男に胸ぐらをつかまれる。二人の後方にいた誰かが「喧嘩はやめたら」と言い、小林さんが振り返ったところ、いきなり男に殴られ、倒れこんだ。小林さんは後頭部を強く打ち、痙攣していた。倒れたところがちょうど視覚障害者誘導用ブロックの突起の上だった。

男に殴られた小林さんが倒れる光景を周辺にいた30名ほどが目撃している。

だが夜も遅かったためか、周りにいた人は電車に乗り込み、救急車が到着するまで小林さんに付き添っていたのは高齢の女性一人だけだった。痙攣していた小林さんはやがて意識を回復させ、立ち上がって「家に帰ります」というようなことを話していたとされる。

小林さんは前頭部を骨折しており、後頭部もぶつけて出血している(駅の階段半ばの手すりにも血痕が付着していた)。当初は搬送先の病院の医師も「命に別状はない」と診たが、翌午前4時半頃に痙攣を起こして容体が急変。別の病院で手術を受けたが、16日早朝に死亡した。

いつもの駅、いつもの改札口、いつものホーム。

小林さんはここから電車に乗り、西日暮里で乗り換え、千代田線で北千住へ、そこから東武伊勢崎線で春日部方面の自宅に帰るはずだった。

いつもの何気ない光景の中で、突然に、命を奪われることになってしまったのである。

事件のその後

小林さんを殴ったスーツの男は誰なのか。

男は小林さんを殴ってから、上野方面行きの山手線に乗り込み、座席に座った。一部始終を見ていたある乗客が、「まずいんじゃないの」と男に駅に残ることをうながしたが、男は怒鳴り返し、その乗客は怖くなって別の車両に移った。

それでも他の乗客がこの凶暴なサラリーマン風の男を見ていた。しかし、それも「日暮里駅までは乗っていた」というようなもので、日暮里駅に着いた時には男はまだ座っていたというが、そのまま鶯谷駅、上野駅以降の駅まで乗り続けたのか、目撃者が目をはなした後に日暮里駅で降りたのか、そこがはっきりしない。

事件当日、混雑する池袋駅構内には120人もの人がいたと推定される。男が小林さんの胸ぐらをつかんでいるのを間近で見ていた人も30人ほどはいた。

もちろんその前後の状況を目撃していた人はもっといた。それでも当初、証言者として名乗りでたのはわずか9名だった。小林さんの胸ぐらをつかむ男に「喧嘩はやめたら」と言った人物すら名乗り出ていない。

複数の証言から、男の特徴は細部までわかっている。

24歳から38歳、身長170~180cmのがっしりとした体格。右の目尻に古傷が3つ。据わったような目つきで、二重あご。黒っぽいグレーのスーツを着て、サラリーマン風。似顔絵や経年人物像が、上記の通り公開されている。

事件から2ヶ月後、小林さんの父親は北千住駅で似顔絵によく似た男を見つけた。

その男は駅前のパチンコ店に入って行った。父親が男の隣に座ると、右目尻に古傷があるのが見えた。午後10時頃、店を出た男を父親が尾行。男は常磐線の改札口に入ったが、電車に乗る前に公衆電話で「馬鹿野郎!知るかよ!」と怒鳴っていた。

男と父親は快速に乗り、千葉県の柏駅で降りた。男はそごう寄りの改札口から外に出ると、売店でビールを買ってそこで飲んでいた。そして再び定期券で改札口に入り、我孫子方面のホームに下ったところで、電車の乗客が大勢降りてきたため男を見失っている。

なお柏駅は、男が最後に目撃された日暮里駅から常磐線(快速)で5駅目である。

当初は傷害致死事件として扱われていたが、2002年7月に被害者の父親が3万5000人分の署名と公訴時効延長を求める嘆願書を法務省に提出した。その結果、傷害致死罪の公訴時効(7年)成立直前の2003年3月に容疑が殺人罪(当時15年)に切り替えられた。

2010年4月に殺人罪の時効が撤廃されると同時に警察庁の捜査特別報奨金制度対象事件となった。

傷害致死の時効が迫る2003年3月4日、警察は殺人罪に容疑を変更。

2012年4月、小林さんの父親からの要望で、警察庁は公費懸賞金制度からこの事件を外す(1年に1度の更新をせず)とした。

父親は事件から16年経った池袋駅で情報提供を呼びかけ、犯人に「自首して欲しい」と訴える一方で、「警察にこれ以上負担を求められない」と捜査打ち切りを求める意向を明らかにした。

よって、本件は2020年7月現在も、未解決事件となっている。

犯罪被害者家族の会(ポエナ)

この事件の遺族である被害者の父親は、事件発生から10年となる2006年、他の犯罪被害者の遺族らに参加を呼び掛け、「犯罪被害者家族の会 Poena(ポエナ)」(英語表記:Association of Crime Victim’s Families Poena)を発足させた。“ Poena”とは刑罰(罰を与える女神)を意味するラテン語である。

殺人事件など凶悪事件の時効の延長を求める活動(アメリカでは第一級殺人罪に公訴時効はない)や、犯人の情報提供を求めることなどが主な活動内容となっている。

2010年4月27日、殺人罪・強盗殺人罪の公訴時効廃止などが盛り込まれた刑事訴訟法並びに刑法の改正案が成立し、即日施行された。

この法改正は施行時に公訴時効を迎えていない過去の未解決事件にも適用されることとなったが、同会は他の犯罪被害者遺族団体である全国犯罪被害者の会(あすの会)や殺人事件被害者遺族の会(宙の会)の主張とは異なり、既に時効が進行中の事件に対する時効の延長・廃止の適用が近代刑法の原則である法の不遡及に反する可能性があることから、公訴時効の廃止を要望していたものの遡及適用については一貫して反対している。

前述の通り、この事件の遺族である父親は、2012年度の捜査特別報奨金制度における当事件の指定を辞退している。さらに、2012年4月16日には警察庁を訪れて捜査の終結を要望している。

理由について父親は、上述の法の不遡及の問題から、次のように述べている。

「後から法律を変えてよいことになれば、法を守る意識も薄れてしまう。被害者感情が法を歪めてしまうことへの疑問もある」