甲山事件

2019年10月

知的障害者施設の甲山学園で園児二人が死亡した事件は冤罪事件でもあったのだが、死亡経緯などは詳しくわかっておらずいまだに謎が多い事件。

事件の証人となる園児たちが知的障害者だったことで正確な証言を聞くのが難しかったことから当時の捜査は混乱した。

事件概要

1974年に兵庫県西宮市の知的障害佐橋節・兜山学園で二人の園児の死亡事故。

この事件に関して甲山学園の保育士や関係者が起訴されたものの全員の無罪確定した冤罪事件だった。

事件の経緯

1974年3月17日園児の女児12歳と12歳の男児二人が行方不明になる。

同日に学園の浄化槽から二人の溺死体が発見された。

検視の女児は同日に死亡、男児は同日の食後2.3時間後に死亡したことが判明。浄化槽は日頃から園児の遊び場になっていたため、当初は事故死と取る節もあったが、マンホールは17キロと重たく蓋も閉じられていたことから園児の力でマンホールを開け閉めするのは困難と警察が判断、そして短時間の間に二人の死体が続いて放置されてていたのは不自然として殺人事件として捜査が始まった。

甲山学園は外部からは侵入できないように閉鎖されており、外部者が侵入した形跡もなかったことから内部の犯行とされアリバイのなかった当時の保育士、山田悦子が4月7日に殺人容疑で逮捕されたが検察は証拠不十分で不起訴とし釈放した。

しかし山田はこれについて不当な人権損害であると国家賠償請求訴訟を起こす。

同時に被害者の男児の遺族は検察審査会に不起訴に対しての不服申し立てを起こしたことによって検察審査会が『不起訴不当』として再捜索が始まり園児から『女性が園児を連れ出すのを見た』という証言を得て1978年に山田は再逮捕され、殺人罪で起訴される。

同時に山田のアリバイを偽証したとして園長の荒木潔と山田の同僚も偽証罪で起訴された。

1980年、マンホールは園児複数で動かすことで開閉が可能だったこと、そして園児が被害者の女児の手をひっぱったら浄化槽に落ち、その後マンホールをしめた。被告人はその場所にはいなかった事を当時の園児が提供し、一人目の被害者は殺人ではなく事故であるとされた。

1985年一審の神戸地方裁判所は無罪を出すが検察側は控訴。1980年大阪高等裁判所は無罪判決を破棄し地裁に差し戻す判決を下す。

1998年差し戻し第一審、神戸地裁は山田に再び無罪判決を出すが検察側は控訴した。1999年大阪高裁は山田の無罪を支持し検察側は控訴を棄却し最高裁への上告を断念する。事山田の無罪は確定したのは事件発生から25年経過してからだった。

事件の後

山田の無罪が確定したのは事件発生から25年も経過してからである。当時22歳だった山田は48歳になっていた。

アリバイを証言し偽証罪で起訴された園長やその同僚も、同年に無罪が確定したが2011年に園長の荒木潔は死去。

事件後甲山学園は閉鎖され現在は病院が建てられている。

被害者の両親は、社会福祉法人甲山福祉センターを相手取り、精神的苦痛を理由に合計3367万円の損害賠償をを請求し原告が勝訴した。