加古川・2家族7人殺害事件

親類の2家族7人を殺害。貯めていたガソリンで自宅に放火し、その後自殺を図るも逮捕、死刑に。

2004年8月2日午前3時半、兵庫県加古川市西神吉町大国で二家族が親類にあたる無職・藤城康孝(当時47歳)の襲撃を受け、7人が死亡するという事件が起こった。男は自宅にも火をつけ、逃走。自殺を図ろうとしたところを発見され逮捕された。

藤城は法廷での質問に対して「黙秘します」「答えたくありません」とだけ答え、事件については何も口にしなかったが、事件から約11年後となる2015年6月10日、死刑が確定している。

藤城康孝について

1956年生まれ。父親は大手製鋼会社に勤めていた。

地元の小中学校を卒業後、厳しい指導で知られる三重県の全寮制高校に入学。これは中学時代、日常的に暴力沙汰を起こしていたことで、両親の「矯正したい」という思いからのものだった。

卒業後自宅に戻り、飲食店などで働くが長続きせず、職を転々とした。20代の頃には母親の工面した金で料理の勉強のため海外に渡るが、1ヶ月たらずで帰国。

事件の4年前、自宅横のプレハブ小屋でパン製造を始め、できたパンは母親の勤務先の工場などで販売していた。しかし藤城は1年足らずでパン職人の夢を挫折、その後さらに凶暴になっていった。

父親は製鉄会社を退職後「このままでは息子に殺される」と言い残して、家を出ていった。

現場周辺の住民は3年前、藤城の暴力的な言動に関し、警察だけでなく、加古川保健所(同市)にも訪れ「言い掛かりをつけ石を投げる。受診や入院を(同居している)母親に勧めてほしい」と要請していた。しかし仕返しを恐れ、直後に要請を取り下げたという。

加古川署には、近隣住民からの相談が4件あったという。また藤城は数年前からガソリンを少しずつ購入し、アルミ缶で保管していた。このガソリンは後に放火に使われた。

靴下工場でアルバイトをして生計をたてていた藤城の母親は、息子が何か問題を起こすたびに「堪忍してな、堪忍してな」と頭を下げた。

藤城が以前に人命救助で表彰された時には「あの子にもええとこあるねん」とうれしそうに話していた。

犯行の経緯

2004年8月2日午前3時半、藤城は自宅の隣にある伯母宅に侵入、藤城とし子さん(80歳)、従兄弟にあたる勝則さん(55歳)、義久さん(46歳)の3人を包丁で刺し殺し、勝則さんの妻・明美さん(当時50歳)にも重傷を負わせた。最初の通報は勝則さんによる「母が頭から血を流している」と言うものだった。

続いて、自宅の斜め向かいにある遠縁の藤城利彦さん(64歳)宅も襲撃、利彦さん、妻の澄子さん(64歳)、長男・伸一さん(27歳)、長女の緑さん(26歳)の一家全員を殺した。7人を殺害した藤城はその後自宅に戻り、母屋にガソリンを撒いて火をつけた。同居していた母親(当時73歳)はすぐに警察に駆け込み難を逃れていた。

全焼した藤城康孝死刑囚の自宅

藤城は車を出し、実弟の家に行き「母親のことを頼む。わしは死ぬ」と言った。妹宅にも電話で同じことを伝えている。藤城はその後、加古川バイパス西インター付近で灯油缶を積んだ車を信号柱にぶつけ自殺を図るが、炎上したところを発見されて事情を聞いた捜査員に「あれは俺がやった」と話し、身柄をおさえられた。藤城は右腕に火傷を負っていた。

藤城はその後、やけどの治療のため神戸市内の病院に入院、回復を待って、8月31日、退院と同時に逮捕された。

逮捕後、藤城は警察の取り調べに対し「人生、清算したかった」「自分も死のうと思ったが、その前に自分が生活した痕跡や過去を消し去りたかった」と供述した。

同じように親族を7人殺した事件としては80年に起きた三重・一族7人殺し事件がある。この事件の加害者も殺害後、猟銃自殺した。

判決とその後

第一審・神戸地裁

初公判は2005年1月28日に神戸地方裁判所(笹野昭義裁判長)で開かれ、検察側は冒頭陳述で「藤城は事件直前、別の近隣住民も殺害しようとしていた」などと指摘し、藤城は起訴事実を認めたが、弁護側は「近隣住民から迫害を受けているという被害妄想に陥り、妄想性障害の状態だった。犯行当時は心神喪失か心神耗弱の状態だった」と反論し、責任能力について争う姿勢を見せた。

第2回公判は2005年3月11日に開かれ、検察側が事件で生き残った明美さんの「傷が癒えて、事件が心に重くのしかかるようになった」「事件で強いショックを受けたため、今でも左目が見えづらい。夫(勝則さん)を奪われ、藤城を恨んでも恨み切れない」などの強い被害感情を訴える供述調書を読み上げた。他にも4人の供述調書が読み上げられ、被害者遺族らは藤城の極刑を望む一方で「なぜ家族が殺されなければならなかったのかわからない」など、事件の真相解明を求める声が読み上げられた。

2006年10月12日、神戸地裁(岡田信裁判長)で開かれた公判で、神戸地裁は弁護側の請求を受けて実施した精神鑑定の結果として「藤城は精神障害の一種である妄想性障害」と診断し「犯行時、物事の是非や善悪を判断する能力は著しく低下していたが、完全には喪失していなかった」とする結果を公表し、限定的ではあるが責任能力があったことを認めた。

検察側はこれを不服として別の鑑定人による再鑑定を求め、神戸地裁(岡田信裁判長)は2007年2月15日の公判で再鑑定を決定した。

このために公判は一時中断したが、神戸地裁(岡田信裁判長)は2008年11月18日までに「公判を2008年12月5日に再開する」と決定したため1年10か月ぶりに公判が再開されることとなった。

2009年2月26日に論告求刑公判が開かれ、神戸地検は藤城に死刑を求刑した。論告で神戸地検の検察官は「犯行当時、藤城に刑事責任能力はあり、生命によって罪を償うべきだ」と述べた。

2009年4月9日に神戸地裁(岡田信裁判長)で開かれた最終弁論公判で弁護側は「公判中に2回実施された精神鑑定はいずれも藤城の完全な責任能力を否定している」と指摘し「親類らに攻撃されるとの妄想を募らせた上での犯行だった」と述べ、検察側の「親類への長年の恨みが動機」との主張に対しては「7人を殺害するほどの動機とは考えられず、事実を正しく評価していない」と反論し「藤城は犯行当時、妄想性障害のため心神喪失か心神耗弱の状態だった」と述べ、無罪もしくは死刑回避を求めた。

2009年5月29日に第一審判決公判が開かれ、神戸地裁第4刑事部(岡田信裁判長)は検察側の求刑通り藤城に死刑判決を言い渡した。神戸地裁は「藤城が親類らに理不尽な扱いを受けていると感じ、殺意を抱いたことは一般人でもあり得ることである」と指摘し、検察側による2回目の精神鑑定の結果を採用し「藤城は当時精神障害ではなく、人格障害の特徴を有していたにすぎない」と結論付けた上で犯行当時の藤城の完全責任能力を認定「冷酷かつ残忍な犯行で、7人の尊い生命が奪われた結果は重大である」と量刑理由を説明した。

藤城の弁護人は判決を不服として2009年6月1日付で大阪高等裁判所へ控訴した。

控訴審・大阪高裁

大阪高等裁判所での控訴審初公判は2010年2月26日に開かれ、弁護側は「事件当時は妄想性障害による心神耗弱状態で、限定的な責任能力しかなかった」と主張し、完全責任能力を認めて死刑を言い渡した第一審判決の破棄を求めた一方、検察側は控訴棄却を求めた。藤城は被告人質問で一審同様、裁判官からの全ての問いかけに対し「答えたくありません」と述べた。

控訴審は当初初公判のみで即日結審し、判決公判は2010年4月23日に予定されていたが、判決期日直前の2010年4月19日付で大阪高裁(古川博裁判長)は判決期日を取り消して弁論を再開することを決めた。

2012年7月13日に大阪高裁の公判で、新たに藤城の精神状態を診断した精神科医が鑑定人尋問で「藤城は事件の約2年前から妄想性障害となり、近隣住民とのトラブルを気に事件を起こした。犯行当時、善悪の判断能力は完全には失われていなかったが著しく低下しており、その判断に伴う行動が難しい心神耗弱状態だった」という鑑定結果を報告し、完全な責任能力を認定した第一審判決とは別の見解を示した。

2012年12月26日に控訴審最終弁論が開かれ、弁護側は改めて「藤城は犯行当時、善悪判断が難しい心神耗弱状態だったのに、第一審判決が完全な責任能力を認めたのは誤りである」と死刑判決の破棄を、検察側は「妄想に基づく犯行ではない」として控訴棄却をそれぞれ求め結審した。

2013年4月26日に控訴審判決公判が開かれ、大阪高裁第4刑事部(米山正明裁判長)は第一審・死刑判決を支持して藤城・弁護人側の控訴を棄却する判決を言い渡した。

大阪高裁は藤城の妄想性障害を認めた一方で「責任能力の有無は藤城の性格や動機が形成された過程や、犯行様態などを具体的に検討する必要がある」と指摘し、以前から見過ごせない攻撃性や、親族らとの間での深刻な確執があった藤城の置かれた状況を考慮した場合、病的な障害が犯行当時の行動制御能力に著しい影響を及ぼしていたとは言えないと結論付けた。

判決後、会見した弁護人は「精神鑑定で心神耗弱と診断されたにも拘らずこんな判決が出て驚いている」と批判し、2013年5月7日付で判決を不服として最高裁判所へ上告した。

上告審・最高裁第二小法廷

2015年1月19日までに最高裁判所第二小法廷(千葉勝美裁判長)は上告審口頭弁論公判開廷期日を「2015年3月27日」に指定した。

2015年3月27日に最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)で上告審口頭弁論公判が開かれ、弁護側は「親族間や近隣でのいじめに影響を受け過剰反応した妄想性障害で犯行時は心神耗弱状態だった」と死刑回避を主張した。一方、検察側は「犯行は計画的で、完全責任能力を認めた一・二審判決に不合理な点はない」と上告棄却を求めた。

上告審判決公判開廷期日は当初「2015年4月24日」に指定されたが、最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)は同期日直前の2015年4月14日までに判決公判期日を「2015年5月25日」に変更することを決定した。

最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)は2015年5月25日に開かれた上告審判決公判で一・二審の死刑判決を支持して藤城の上告を棄却する判決を言い渡したため、死刑判決が確定することとなった。

判決では藤城の妄想性障害を認定した上で、責任能力については「藤城の行動は目的に合わせて首尾一貫しており、犯行動機も了解可能だ」と指摘した上で「障害のために怨念を強くしたとはいえるが、犯行に与えた影響はその限度に留まる」として完全な責任能力を認定し、その上で「障害が犯行に一定の影響を与えたことなどを考えても、刑事責任はあまりにも重大だ」として一・二審の死刑判決は妥当だと結論付けた。

藤城は上告審判決を不服として最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)へ判決訂正申立書を提出したが2015年6月10日付で棄却決定がなされたことで正式に死刑判決が確定した。

藤城は法廷での質問に対して「黙秘します」「答えたくありません」とだけ答え、事件については何も口にしなかった。