神奈川・江ノ島元暴力団員女子中学生銃撃殺害事件

2020年04月

江ノ島に集まる暴走族集団、元暴力団員の男が女子中学生を銃殺

1988年8月30日午前3時10分頃、神奈川県藤沢市片瀬海岸の一方通行の道路で、乗用車に乗っていた元暴力団員・ 鎌田剛(当時21歳)が、後続の乗用車に向かって短銃を一発発射した。

銃弾は、後ろの車に乗っていた横浜市瀬谷区下瀬谷に住む、鶴見女子中学校に通う3年生のA子さん(当時14歳)の頭部にあたり、A子さんは意識不明の重体となった。

その後、藤沢署は同日31日午後、東京都狛江市和泉本町に住む元暴力団員・鎌田剛(当時21歳)を殺人未遂の疑いで逮捕、また、同町狛江団地に住む防水工事業・立原高士(当時20歳)を犯人隠匿の疑いで逮捕した。

銃撃されたA子さんは、伊勢原市の東海大病院に運ばれ、31日午前9時から3時間にわたる弾丸の摘出手術を受けたが意識が戻らず、約2週間後、15歳の誕生日を迎える前日の9月14日、病院で亡くなった。

A子さんは、ごく普通の女子生徒であったが、当時、江の島周辺で暴走族が多く集会していたことから、あたかもA子さん自身も「非行少女」であったかのように錯誤を招くような報道がなされ、遺族が2次被害を受けることにつながった。

事件の経緯と動機

1988年8月30日の夜、鶴見女子中学校(平成20年に共学化、鶴見大学附属中学校に改称)に通う3年生のA子さんは近所のコンビニエンスストアで、金髪の少女・B子(15歳)に声をかけられた。

2人で話をしていたところ、ドライブ中だったという神奈川県茅ケ崎市今宿に住む内装業・丸林建一さんとその友人(ともに当時20歳)にナンパされ、 車へ乗るよう促されたため、2人はこれに応じた。

その後、ドライブをしていたところ、午前3時10分頃、神奈川県藤沢市片瀬海岸の一方通行の道路で 事件が起こった。

現場は一方通行のT字路で、右から直進してきた犯人らの車と、左折しようとした丸林さんの車が、どちらが道を譲るかでトラブルとなった。

先に直進した犯人らの車が、道をふさぐように前方を低速で走行したため、A子さんが後部座席右側の窓から上半身を乗り出すようにして早く行くようにと急かせた。

その直後、助手席に乗っていた男が窓から顔を出し、約10メートルの距離から拳銃を1発、発砲した。

弾丸はA子さんの左目を直撃して後頭部にまで至り、A子さんは意識不明となった。

通報を受け、藤沢署などが緊急配備を行ったところ、間もなくして現場から約6キロ離れた鎌倉市内で、手配中の乗用車が発見された。

警官が、乗用車のそばでたばこを吸っていた東京都狛江市狛江団地に住む防水工事業・立原高士(当時20歳)に職務質問したところ、「ひとりでドライブ中、小田急線片瀬江ノ島駅前ロータリーで、二人組の男に短銃を突き付けられ“車を貸せ”と脅された。犯人二人は途中で徒歩で逃げた」と答えた。

しかし同署は、立原が検問を一度突破していることなど不審な点が多かったため、取り調べを続けたところ、発砲した東京都狛江市和泉本町に住む元暴力団員・鎌田剛(当時21歳)に現金9千円を渡し、鎌倉市内で逃がしていたことが発覚した。

その後、8月31日の午後、藤沢署は鎌田を殺人未遂の疑いで、また、立原を犯人隠匿の疑いで逮捕した。

一方、銃撃されたA子さんは、伊勢原市の東海大病院に運ばれたが、弾丸が左目上部から入り後頭部で止まっていたため、ただちに摘出手術が行われることとなった。

開頭手術は31日の午前9時から、約3時間にわたって行われ、弾丸は摘出された。しかし、その後も意識が回復することはなく、事件から2週間後の9月14日、息を引き取った。15歳の誕生日となる9月15日を迎える前日のことであった。

事件のその後

事件翌日の1988年9月1日、東京新聞神奈川地方版は「 江の島、危険と紙一重 深夜まで中高生たむろ 藤沢市」と題打ち、次のような記事を掲載した。

夏休み最後の日の悲劇--江の島で31日未明に起きた発砲事件は、江の島の夏が持つ「解放性」が常に若者にとって危険と紙一重にある実態を浮き彫りにした。暴走族であふれ、深夜まで若者たちがたむろする夜の江の島は、子供を持つ親にとって、不安な存在となっているようだ。
暴走族のたまり場となっている国道134号沿いには、4、5年前からモダンなレストランや外食産業の店が立ち並び始めた。ここが、中、高生を中心とする暴走族の見物人の遊び場となっている。
近所に住む主婦(40)は、「朝6時ぐらいから中学生らしい女の子ばかりのグループがうろついていますよ。そこに男の子が近付いてきて、さっといなくなってしまいます」とまゆをしかめながら話す。
藤沢署防犯課では、江の島周辺やJR藤沢駅周辺などで夜間補導にあたっているが、署員や少年補導員の姿を見るとすぐ逃げてしまう中学生らが多い、という。「イタチごっこみたいなものです」とあきらめ顔だ。
しかし、今夏、江の島にやってくる暴走族は、藤沢署が2月から週末に国道134号の一部を完全封鎖したため、数はめっきり減り、かつてのように500台の改造車がジグザグ運転する光景などは見られなくなっていた、という。終夜営業の外食産業も9月3日から営業時間を短縮するという。
だが、地元住民からは、「午後9時ごろからオートバイや見物の中学生らが集まり、深夜までうるさくて眠れない」との声はまだまだ多い。
発砲現場近くに住む主婦(27)は、「今の若者の姿は許せないものがあります。親は知らないのだろうけど、いつ、今回のような事件が起きるかもわからないのに、夜遅くまで帰ってこないことを知りながら無責任です。自分の娘だけはこのようなことをさせたくありません」と、現場を通っていく若者たちを見ながら話す。また、「今回の発砲事件で、若者が当分寄りつかなくなることを期待します」と話す主婦もいた。

「江の島、危険と紙一重 深夜まで中高生たむろ 藤沢市」1988.9.1 東京新聞地方版(神奈川県版)

また、本事件は全国ニュースでも取り上げられたが、取材に応えた少女Bが金髪であったことや、また、上記の報道も相まって、あたかもA子さんが「非行少女」であったかのような誤解を招いた。

県青少年保護育成条例違反、適用されず

県内では、県青少年保護育成条例により「何人も正当の理由なく、保護者の承諾を得ないで深夜(午後11時~午前4時)に青少年を同行して外出してはならない」と定められていた。

藤沢署は、銃撃されたA子さんを誘って車に乗せた、茅ケ崎市内の内装業・丸林建一さん(当時20歳)について「条例の適用対象となるが、今回は、発砲による殺人未遂事件という特殊な性格があり、被害者的な立場なので、捜査の関係上、事情を聴くにとどめた」として、条例違反としなかった。

私立鶴見女子中学校に関する報道

横浜市鶴見区鶴見2丁目の私立鶴見女子中学校では、夏休み中ということもあり、午前中、登校した教職員は数人だけであった。

事件のあった31日、中根専正校長と2人の副校長は出張中であったため、3年生の副主任佐藤英文教諭ら2人の教諭が、次々とかかってくる電話の応対に追われた。

佐藤教諭は、31日午前7時過ぎに、A子さんの担任の坪井俊弘教諭から電話で連絡を受けて事件を知ったとのことであったが、詳しい内容は聞いておらず、報道陣に「本当にうちの生徒なんですか」と聞き返す一幕もあった。

同校の夏休みは、7月21日から8月31日までであり、夏休み直前には「休み中の指導目標」というプリントを作り、深夜の外出などをしないよう十分に指導していたという。

佐藤教諭は「中学3年といえば、最も精神的に不安定な時期なので、指導には細心の注意を払っていた。なぜ、あんな遅い時間まで…」とショックを隠せない様子で、報道陣の取材に答えた。

また、午後3時前、出張先から戻った武田真哉副校長も「日ごろの生活指導、校外指導は十分すぎるほどしているつもりだった。あんな時間に外出していたなんて、どういうことか状況が想像もつかない。指導が至らなくて子供にかわいそうなことをした」といい、翌1日に職員会議を開くことにしたと発表した。

同年に発生した凶悪事件

事件のあった1988年には「名古屋アベック殺人事件」や「臨月若妻殺害事件」、「巣鴨・子ども置き去り事件(「誰も知らない」事件)」などが発生しています。詳細は記事にてお読みください。