熊谷小4男児ひき逃げ事件

異例の時効延長。想像を絶する尽力と強い気持ちが警察を動かした。

2009年9月30日、埼玉県熊谷市の熊谷小学校に通う小学4年生の小関孝徳くん(当時10歳)が轢き逃げに遭い命を亡くした事件である。

事件の経緯と詳細

今から約10年前の2009年9月30日、小関代里子さんは轢き逃げという行為によって最愛の一人息子の孝徳くん(当時10歳)を奪われた。小関さん一家は、孝徳君が4歳の時に父親を亡くし、それからは、母親と孝徳くんの2人きりでの生活だった。

この日、代里子孝さんは学校へ向かう孝徳くんを見送った後、仕事へ出掛けた。仕事が終わってから携帯を確認すると、知らない番号から着信が入っており、掛け直すと、すぐに病院に向かうように言われた。

病院に着くと「孝徳くんが亡くなった」ことを告げられ、孝徳くんは既に警察に運ばれており、管轄の熊谷警察署に身元確認のため、向かうように言われた。

通常では顔を見て本人確認するはずなのだが、本件では変わり果てた孝徳くんの姿にショックを受けるだろうという警察の配慮のもと、孝徳くんが身につけていた『腕時計』での本人確認となった。

その腕時計は代里子さんが孝徳くんへ10歳の誕生日プレゼントとして、『時間の管理が自分でできるように』と贈ったものだった。

現場となった場所は、埼玉県熊谷市本石の道路で時刻は午後6時50分。孝徳くんは習い事で通っていた書道教室から帰る途中だった。

すぐに現場検証が実施され、霧雨のなか現場検証を行う警察と、道路に投げ出された自転車の映像は何度も報道された。

通常、轢き逃げ事件は遅くとも1ヶ月もあれば検挙でき、その検挙率は9割以上で、中には100%という年もあった。その1番の理由は容疑者が自ら自首、出頭するケースで、死亡轢き逃げ事故ともなれば、車にも何らかの破損や痕跡が残る。他にも事故発生現場にそこされた証拠や目撃証言、防犯カメラからのナンバーの特定などでの検挙があげられ、轢き逃げの時効が7年、自動車運転過失死の時効が10年となっている。

本件について、現場の記録は「ほぼ完璧だった」と言われている。しかし、犯人逮捕には至らなかった。現実的に証拠の乏しさから捜査は難航しているとの報道が続いた。

代里子さんはいてもたってもいられず、事件が発生してから約3週間後の10月21日、個人的に、犯人逮捕にむけて動き出した。それは孝徳くんが事故にあった現場付近を通る車のナンバープレートと、その車がどこから来てどの方角へ向かうのかを記録することだった。

孝徳くんが事故にあったのは大通りではなく抜け道に便利な生活道路だったため、近隣住民の犯行ではないかという調査だった。しかし、限定的な考えは調査の幅を狭めてしまうとして、ナンバーだけでなく方角も全て記録したそうだ。

警察の捜査に加え母親のナンバー調べが続けられる。ナンバー調べには、級友のお母さん方が10年間以上にわたる手伝いもあり、多い時は30人もの人が手伝ってくれたそうだ。しかし、一向に犯人が捕まることはなく、2019年に入り代里子さんが記録するナンバーの台数が10万台を突破した。

ナンバー調べが10万台に至るまでに、多い時は16箇所もの地点に分かれて車両がどの方角へ行くのかという流れを確認し警察に提出。その情報を警察が集計した結果、車両が向かったと思われる市へ出向きチラシ配りや聞き込みを実施したそうだ。

事故発生が2009年9月30日であるため、轢き逃げについては既に時効が成立しており、2019年9月30日には『自動車運転過失致死』の罪についても時効が成立してしまう「はずだった」。

執念

2019年1月には代里子さんがブログを開設。2月からは、事故調査会社に相談し、県警から返却された自転車などの証拠品を鑑定し、犯人逮捕へ諦めない活動を続けた。

警察も2019年1月からは時効間近ということもあり、15人体制の専従班を設置し7月からは27人に人員を増やし、犯人検挙に動いた。

その時、事故調査会社から新たな可能性について指摘される。その内容は、孝徳くんの衣服についた痕跡などから、「2台の車に引かれた可能性がある」という警察の捜査には可能性としても出ていなかった話だった。

そして、初動捜査についても警察のずさんさが垣間見える事態が9年後に発覚した。驚くことに、証拠品として保管していたはずの孝徳くんの腕時計を、捜査初期段階で紛失していた。紛失に関わったとされる元警部補の男性は書類送検されている。

しかし、この事を嘆いても、とにかく時効成立までの時間がなかったため、仕方がないことだった。

そんな中、代里子さんは事件の調査以外にも動いていた。自ら本件についての情報を発信し、ビラを配り、証拠の再鑑定を独自に実施。客観的な痕跡から事故のシミュレーション再現動画を作成。報道機関を動かし、法務省、国会議員へ自ら赴き、さらなる捜査の嘆願、轢き逃げの時効延長を訴える署名活動を行った。署名活動で集まった人数は延べ3万人を超した。

そして迎えた2019年9月18日、時効成立まで12日と迫ったこの日、警察は異例の決断を下す。それは、『自動車運転過失致死』から『危険運転致死』へと罪名の変更による10年の時効延長を決定することだった。代里子さんの努力と孝徳くんへの強い気持ちが警察をも動かす結果となった。

今なお、孤独の中で闘う代里子さんは「行きながら地獄にいるような想いだ。犯人には聞きたいことが山ほどあった。どういう状況だったのか。最後の瞬間の孝徳の様子は泣いていたのか、苦しんでいたのか。なぜ助けてくれず、逃げたのか。何故、孝徳が死ななければいけなかったのか。」と話している。

代里子さんは引き続き逮捕に向けた活動と轢き逃げの時効撤廃に向けた活動を続けていくとしている。

代里子さんからの手紙

代里子さんは『2台の犯人へ』という手紙を書いている。

生きているなら読んで欲しいです。
事故が起きた時、孝徳は生きていましたか。
痛がっていませんでしたか。
泣いていませんでしたか。
助けを求めていませんでしたか。
その時の孝徳の状況を教えてもらえないでしょうか。
お願いします。
どうして車を止めて救護してくれなかったんですか。
あなたが置き去りにして逃げた後、孝徳がどうなったか…。
あなたに見せて伝えたい。
逃げ切ったとしても、時効を迎えて捜査が終了したとしても真実を聞くまで探し続けます。
生きている限り、あなたと私には終わりがないのです。

事件のその後

孝徳くん死は色々なものを変えた。

・自転車運転時のヘルメット着用の義務
・当時、事故現場付近には無かった信号機の設置

これらに関して、代里子さんは「亡くなってからも、孝徳は今も人のために貢献し続けているのだと思う」と話している。

代里子さんのHP