京大生老婆殺し事件

元海軍中尉が盗みを見つかり殺人、時代背景から同情寄せられる

1947年5月23日、東京都北区西ヶ原一丁目の内閣印刷局工場長である石川綾一さんの官舎で留守番をしていた松村あきさん(61歳)が殺害された。

犯人として京都大学文学部哲学科一年生で元海軍中尉の田沢栖雄(27歳)が逮捕された。

犯行の経緯や動機

犯人の田沢は内閣印刷局に勤めながら日大専門部経済学科を卒業後、印刷局を退職して京都大学文学部に進学するも1943年10月に学徒出陣で軍へ入隊。後に海軍中尉となり、敗戦で復員後に改めて京都大学哲学科へ入学した。

戦後は親との不仲から地元を離れて田口屋旅館に長期滞在していたが、金が底を尽いていた。

1947年5月23日午後2時半頃、田沢は印刷局の労務部長を訪ねて、労務部長の同宿先であった東京都北区西ヶ原一丁目にある工場長、石川さんの官舎へ訪問していた。

労務部長が不在のため田沢は玄関先で待っていたが、家の中の衣類が目に入り盗みを働こうと試みた。

その際、石川さんの官舎で留守番をしていた松村さんに見つかり、騒がれたことから兵児帯で松村さんを絞殺。トランク1個と衣類数点を強奪した。

同月29日午後2時頃、田沢は埼玉県浦和市高砂町の田口屋旅館にて逮捕された。

敗戦後の当時は衣類が貴重で食糧と交換していた食糧難の時代であったことから同情が寄せられた。

判決とその後

東京地裁で行われた初公判で田沢は当事件の事実関係を認め、「自分の行為を意識しない瞬間もある。前後不覚というか、無我夢中というか」「人を殺せば悪いと分かっていながら、殺意も殺害した意識もない」等証言して殺人哲学を語ったと世間で話題になった。

また田沢は、あきさん殺害の際の断末魔を覚えていると証言している。

その後の判決は明らかにされていない。