京都中央信用金庫立てこもり事件

信用金庫のランキング1位「中央信金」の悪質な偽装融資疑惑。警察の介入を求めて立てこもり。

2002年12月27日、中信との間に取引上のトラブルを抱えていた男性・徳田衛一(60)が、「警察や検察に、このトラブルに介入してほしい」との要求を突き付けて中信本店に人質とともに立てこもった事件。

徳田は人質強要処罰法違反などの罪で、懲役9年の実刑判決を受けているが、その後、中央信金による悪質な融資の実態が明らかになった事件でもある。

事件の経緯と動機

2002年12月27日、事件は京都・下京区の京都中央信用金庫本店で、午前10時過ぎに起こった。

中信との間に取引上のトラブルを抱えていた徳田衛一(60)が、「警察や検察に、このトラブルに介入して欲しい。1億円返すので8億円を免除して欲しい」との要求を突き付けて中信本店に四人の人質と共に立てこもった事件だ。

一人の人質である岩谷登(52)ともうひとりの人質は解放されたが、まだ二人の男性が人質になっていた。その中には債権管理部の部長・課長が人質としていた。

現場に集まった機動隊に対して、徳田は「婦人警官をよこせ」と言った。徳田は不敵な笑みを浮かべていたという。

手元には拳銃を持っていた。そんな中、元部下が説得にあてられた。午後10時過ぎのことだった。

徳田は不動産会社の役員を務めていたが、経営者が夜逃げしたことで残務処理を担うことになった。そこに中信が現れ、「残務処理に必要な資金を全て融資する」と勧誘し、徳田の個人保証を取り付けた。

しかし、結局中信は融資を実行することなく手を引き、徳田は個人財産を切り崩して関係各所への支払いをせざるを得なくなってしまった。

「中信に裏切られた」と感じた男性は警察などに相談したが、全く相手にされなかったという。そうした一連の状況が犯行の根底にあったと考えられる。

徳田は結局警察の説得に応じて人質を解放して投降。逮捕・起訴された。

判決とその後

一審の京都地裁において人質強要処罰法違反などの罪で懲役9年の判決を受けて控訴するも、2005年1月11日、大阪高裁は一審判決を支持し、控訴を棄却したため、懲役9年の実刑判決が下された。

徳田被告側は「融資を一方的に打ち切るなどした信金側の対応によって犯行に追い込まれ、心神耗弱に近い心理状況だった」などと主張したが、白井万久裁判長は「一方的な言い分を押し通すための犯行で、信金側に非難されるべきことはない」と退けた。

しかし、信用銀行の偽装融資疑惑はまだ、他にもあった。ついには行員も裁判で不正行為を白状する事態になったが、京都信用金庫の悪質融資の実態はまだまだ続いていたという。それが、「押し貸し」と「貸し剥がし」事件である。

押し貸しと貸し剥がし事件

とある個人商店では長年赤字が続いていたが、中信は融資に応じた。貸付にあたって、中信から斡旋を受けたコンサルティング会社が財務調査と事業計画立案を請け負うのだがその内容は在庫調整や実態のない資産計上など、いわば「粉飾決算」をアドバイスするものであった。

そして、当該事業計画を基に融資は実行されるが、もともと赤字になるくらいの低収益事業であるため返済は滞る。すると中信は突然、経営者をはじめとする連帯保証人の私財を担保として引き上げにかかることになる。

話はここで終わらない。中信はその後、経営者の親族や役員に近づき、「追加融資をするから経営を引き継いで欲しい」「引き受けてくれれば、今の経営者の連帯保証は外すように努力する」等と甘言を持って提案してくるのだ。

彼らはその言葉を信じて経営を引き継ぐが、結局中信は新経営者に対しても連帯保証を付け、彼らの私財までも引き上げにかかる

中信を訴えていた被害企業の経営者親族は、次のように答えている。

経営が危ないとなってから親族の会社の経営の中身を初めて見たのだが、何年も前から不良在庫を黙認し、財務状況を紛飾させた上で、本来なら貸すべきでない資金の貸付を行なっていた。そのために、親族は借金をどんどん膨らませて、私財を全て失う状況になっている。借りる方も悪いのだが、私としてはなぜあんな状態になっても事業を継続させて赤字を垂れ流させたのか?然るべきタイミングで会社をたたんでいれば、何も私財を全部失う事などなかったのに、金融機関の姿勢としてどうなのか?と憤りを感じてならない

偽装融資と会社ぐるみの書類偽造事件

また、あるホテル事業会社(企業A)では、代表者の親族が営む別会社(企業B、中信の融資先)に対する不信債権回収のため、中信担当者がその親族(企業B社長)をそそのかし、勝手に企業A代表者らの印鑑を持ち出させた上、担当者が企業A代表者の署名も偽造するという形で、偽装融資を繰り返し行った。

被害者である企業A代表者は、身に覚えのない担保設定がなされていることに気づき、中信の不正を知ることとなった。

その後、中信とのやり取りの中で偽装された多数の契約書類が存在することと、企業A代表者と会ったという当時の担当者は中信の中に誰一人存在しないことが明らかになった。

中信は一旦は謝罪し、一億五千万円の担保を無条件で外す等の余談案を提示してきた。しかし、真実を明らかにしたいと考えた企業A代表者は、偽装融資だけでも10億円を超える金額を中信に収奪されたとして中信を訴えた。

ところが裁判となるや一転、中信は「企業A代表者本人と契約をした。」と虚偽主張をしてきた。中信は裁判の中で様々な虚偽主張を展開し、証拠を変造・捏造するなどして不正を隠蔽し続けた。

例えば、企業A代表者親族の個人財産までもが企業Bの債務担保に取られ、無断で収奪されていたことが判明したが、その親族の中には、入院中で寝たきりの者や障害で判断能力のないもの、小学生の子供など、物理的に契約ができないものまで含まれていた。

また、中信はすべての契約について「企業A代表者本人と契約した」、そして多数の偽造契約書類について「保存期間経過で廃棄した」との主張を繰り返していた。ところが、裁判所が「金融機関が常に正しいことをしているとは思っていない。契約書類がないならないという前提で判断せざるを得ない」と述べた途端、中信はそれまで「廃棄した」と言い張っていた契約書類を多数証拠資料として提出してきた。

当然、それらの契約書の署名は偽造であり、「いつ」「誰が」「どこで」契約したのかを記録するための「面前自署確認欄」には、会ってもいない企業A経営者から「署名押印をもらった」との虚偽記録までなされていた。

しかも中信は、その虚偽記録の事実を認めた上で、「そのようなことは当時はよくあった」と、全く悪びれる様子もなく開き直った。

結局、中信が所持していた口座明細記録から、偽装融資の融資金は、企業Bの中信への返済金に流用されていたことが判明した。

つまり中信は、融資金を企業A代表者が使っていない事実を知りながら、意図的に裁判で虚偽主張をしていたことになる。

そして最終的には、中信側の証人として出廷した同庫元行員2名が、それまでの中信側の意向の沿った発言を覆し、「ホテル経営者と会ったことも意思確認したこともなく、全て経営者の親族(企業B経営者・中信の不良債権者)と契約した」と証言。

また、別の職員は「契約内容白紙の書面に保証人4名の署名押印をもらい、その後、その白紙の書類に契約内容を執筆し、しかも保証人を連帯債務者に置き換えて全く別の融資契約を捏造した」との事実を法廷で証言。

こうして中信は、ついに真実を認めたことになった。

結果、大阪高裁は「証拠として提出されている債権関係書類について、経営者や家族は書類作成に何ら関与していない」「行員が署名を面前で確認したとは認めることはできない」と判断。企業B代表者が勝手に企業A代表者らの印鑑を持ち出し、中信職員らと無断で偽装契約等を行っていたと中信の不正を認定し、その後、最高裁で確定した。

雑誌の取材に対し、裁判進行中であった2017年当時、中信側は「当金庫は地域金融機関として、経営改善、再生支援について、金融庁の行政方針に基づき再生支援協議会や経営改善支援センターをを活用して真摯に取り組みを行っている。ご質問のような事案は認知してない。したがって前提事実が異なるためご質問にお答えすることができない」と答えている。

しかし、最高裁判断が出た後には「個別案件について回答する事は差し控えさせていただく」との内容に変化していたという。

おそらく誰にも知られないまま内々で処理しようとしていた不正が明らかになったことで、不用意に多くを語りたくない意図があるものと思われる。

しかし事態は一転、2020年2月、京都地裁で「原告経営者が敗訴」という不可解な判決が下された。これは最高裁判所の判断と異なるものであり、異例中の異例となる判決である。また、最高裁の判断のどこに間違いがあったというのか具体的な理由については一切示されていないという状況である。

今後、上級審での審理が行われることになる。