三島由紀夫割腹自殺事件

様々な人に影響を与えた、有名作家の三島由紀夫割腹自殺事件。

1970年11月25日、三島由紀夫割腹自殺事件とは、戦後の日本文学界を代表する作家の一人である、三島由紀夫氏が中心となって、自衛隊の陸上自衛隊の総監部を「楯の会」のメンバー4人(森田必勝、古賀正義、小川正洋、古賀浩端)ら共に、総監を人質にして立てこもり、当時その場にいた自衛隊員たちにクーデターを促す演説をし、演説が終了後、自ら切腹し自決した事件の一般名称とされている。

他にも、「三島事件」、「三島由紀夫自殺事件」などとも呼ばれている。

犯行の経緯や動機

1970年11月25日の事件当日の11時頃、三島由紀夫ら5人は1等陸佐に案内され、総監室へと入った。部屋に入るとすぐ、ロープなどで総監を椅子に拘束し、机や椅子などで出入り口にバリケートを作った。

自衛隊員らは、一度入り口のバリケードを破壊し部屋へ突入したが、人質の総監の安全を考え、部屋から退散した。その際、刀で切られ8人の自衛官が負傷した。

その後、幕僚幹部らは三島の要求であった「演説」を許可した。

三島は、中庭に集合させた自衛官たちに向かい、絶叫しながら、

「おまえら、聞け。静かにせい。静かにせい。話を聞け。男一匹が命をかけて諸君に訴えているんだぞ。いいか。それがだ、今、日本人がだ、ここでもって立ち上がらねば、自衛隊が立ち上がらなきゃ、憲法改正ってものはないんだよ。諸君は永久にだね、ただアメリカの軍隊になってしまうんだぞ。(中略)おれは4年待ったんだ。自衛隊が立ち上がる日を。……4年待ったんだ、……最後の30分に……待っているんだよ。諸君は武士だろう。武士ならば自分を否定する憲法をどうして守るんだ。どうして自分を否定する憲法のために、自分らを否定する憲法にぺこぺこするんだ。これがある限り、諸君たちは永久に救われんのだぞ。」

と、演説し、側らにいた森田必勝と共に、「天皇陛下万歳」を歌いながら、総監室へと戻った。

自衛官がこれに応えなかったことに、三島はひどく絶望したという。

その後、三島はバルコニーに出てきて、総監らが止めるのを聞かず、「万歳三唱」を三唱したのち自分の腹を刺し、森田と古賀が二太刀で、三島の頭と胴体を切り離し、三島は死亡した。

三島が自決した後、「楯の会」メンバーの一人である森田必勝も、三島の遺体の前で自ら自分の腹に短刀を刺し、古賀が一太刀で介錯した。

そして、午後0時20分過ぎ、「楯の会」メンバーの3人は総監を連れて総監室から出てきて、日本刀を自衛官に渡し、警察に逮捕された。

「楯の会」とは間接侵略に備えるために、三島由紀夫が結成した民間防衛組織。隊の名称の由来は、万葉集防人歌と、歌人橘曙覧の2首の中に出てくる「大皇の醜の御楯」に由来していると言われている。

三島は、日本国憲法9条第2項がある限り、自衛官は「違憲の存在」でしかなく、自衛隊が治安維持のために決起すれば憲法改正につながると考えた。

当日三島に同行した「楯の会」メンバー

  • 「森田必勝」当時25歳で、「楯の会」の第二代学長。
  • 「小賀正義」当時22歳で、「楯の会」の2期生で、第五班班長。
  • 「小川正洋」当時22歳で、「楯の会」の3期生で、第7班班長。
  • 「古賀浩端」当時23歳で、「楯の会」の2期生で、第五班副班長。

逮捕された3人への判決

古賀 正義、小川 正洋、古賀 浩端の3人は、嘱託殺人、傷害、監禁致傷、暴力行為、職務強要の5つの罪で起訴され、懲役3年の実刑判決が下された。

三島由紀夫が切腹した要因

三島由紀夫が自決した理由は、諸説あるが、一番有力な説としては、

三島少年時代、文学の師として、精神的な支えの一人でもあった蓮田 善明が天皇を愚弄した連隊軍を射殺し、自らピストルで自決した事が、影響していると言われており、三島由紀夫は身体の虚弱から来る気の弱さなどが、三島にとって生涯コンプレックスとなり、以降の三島に複雑な思いを抱かせたとも言われている。

他にも、少年時代にレイモン・ラディゲの夭折に憧れていたことや、、『豊饒の海』で副主人公の本多の老醜を描いていることなどから、三島自身の「老い」への忌避が推察される。そして、三島の作品からはヒロイズム(英雄的自己犠牲)に対する憧れがあることを感じさせ、切腹に対する官能的な嗜好やこだわりなども、三島自身が制作した小説『憂国』や、榊山保名義でゲイ雑誌に投稿した小説『愛の処刑』からも読み取ることができ、それも要因自決のの一つに数えられる。

著名人の反応

  • 川端健成さん「ただ驚くばかりです。こんなこととは想像もしなかった。もったいない死に方をしたものです。」
  • 開高 健さん「三島さんは本気だったんだな。」
  • 五木康之さん「もし三島さんがロックに興味を持っていたのなら、ああいうことにはならなかったろうと思う。」