名張毒ぶどう酒事件

2019年10月

54年間冤罪を訴え続けた奥西勝さんの事件との闘いをどうみるのか。

名張毒ぶどう酒事件の概要

名張毒ぶどう酒事件とは、1961年(昭和36年)3月28日に三重県名張市で起こった毒物混入事件です。

公民館で行われた懇親会でぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡し17人が中毒症状を起こした大量殺人事件として世間から騒がれました。被疑者として逮捕されたのが奥西勝(事件当時35歳)という人物だが、「警察に自白を強制された」と訴え、無実を主張し続けました。

2審で死刑が確定し、自己の無実を訴え続けたが2015年10月4日、89歳で獄死し、事件の謎は闇と化した殺人事件です。当事件を題材とした出版物やテレビ番組、映画などが制作されており、ご存知の方も多いでしょう。

事件の経緯と逮捕された要因

懇親会では、仕出しの折詰めや女性たちが持ち寄った料理が振舞われました。男性には日本酒、女性にはぶどう酒が出され、乾杯後しばらくして、女性ばかりが倒れたのです。

女性参加者の20人のうち、ぶどう酒に口をつけなかった3人だけが無事であり、その後の検査で、ぶどう酒には有機リン系のTEPP(テップ)剤が入った農薬が混在されていることが判明しました。

容疑者として3名、ぶどう酒の購入を決めた会長、酒屋でぶどう酒を買った青年、そして会長宅から公民館まで運んだ奥西さんの3人が聴取されました。

捜査当局は、被害者の中に妻と愛人が含まれていたことから三角関係を解消しようと犯行に及んだとみて奥西さんを追求し、4月3日に奥西さんは自ら容疑を認め逮捕されたのです。捜査の最終段階では無実を訴え続けましたが、4月24日殺人罪で起訴となりました。

判決とその後

逮捕後、無実を主張し1審では無罪判決となりましたが、2審は逆転死刑判決を言い渡されました。

目撃証言の変遷もあって、犯行可能な時間はあったと判断されたのです。奥西さんは判決を不服として最高裁判所に上告しましたが、1972年6月15日、最高裁判所は上告を棄却。死刑が確定しました。

死刑確定後は、自力で再審請求を始め、1974年から1988年の5次に渡りましたがすべて棄却。弁護団による何度もの再審請求と差戻し異議審も棄却され、請求人奥西さんの死亡に伴い、第九次再審請求審は終結となったのです。

その後は、奥西さんの妹、岡美代子さんによる死後再審請求により兄、奥西勝さんの名誉回復のために動いています。第10次再審請求事件で、弁護団の新証拠として、奥西さんが自白させられた農薬と事件で使用された農薬が異なるという鑑定が出たのです。

この事件は、奥西さんの獄死により迷宮入り事件となってしまいましたが、先述したメディアでの番組等の制作により、多くの人たちが奥西さんは冤罪との見解を示しており、弁護団は奥西勝さんにかけられた冤罪を晴らせると確信しているのです。