新潟県長岡市・嬰児投棄殺人事件

夫に育児「甘ったれるな」妻は娘を2階から3回落とした

2019年6月12日、自宅2階の吹き抜け部分から1階の階段上り口に長女を3回落とし、殺害した。

起訴されたのは、長岡市末広2丁目の同市職員、伊藤法子容疑者(31)。起訴状や逮捕後の県警の発表によると、6月12日午前11時ごろ、自宅の2階廊下で、両手に抱えていた生後3カ月の長女光ちゃんを、1階に続く階段の上に3回落とし、脳挫傷など頭部損傷による外傷性ショックで殺害したとされる。

2020年2月19日、新潟地裁で懲役3年執行猶予5年が言い渡され、両者控訴せず刑が確定している。

事件の詳細と背景

冒頭陳述などによると、女性は同じ市役所に勤める夫と2014年に結婚。16年に長男、昨年の19年2月27日に長女を出産した。

その後、女性は育児休暇を取る。生後1カ月ほど経つと長女の夜泣きが始まり、女性は不眠や倦怠(けんたい)感に悩むようになった。授乳は多いときは1日に14回。いったん長女が夜泣きを始めると1時間ほどかけてあやさなければならず、まとまって眠れる時間は1日1~2時間ということもあった。

重ねて、4月に入ると夫が異動で忙しい部署に配属され、帰宅は深夜に。日付を越えることもあった。

そんな女性の姿をみて、義母が手を差し伸べた。ほぼ毎日、家に手伝いに訪れ、孫にあたる長男の夕食を作ったり、掃除をしたりしてくれた。それでも、長女のおむつ交換や洗濯などの育児や家事が女性の負担になり、次第に体調は悪化した。

台所に立っても何をすればいいか分からず、「死んでしまいたい」「消えてなくなりたい」と考えるようになった。弁護人がその当時の気持ちや状況を被告人質問で聞いた。

 弁護人「死にたいという思いはいつから」
 女性「5月中旬からだったと思います」
 弁護人「その気持ちは強くなったか」
 女性「毎日のように死ぬことばかり考えるようになりました」
 弁護人「夫は何と」
 女性「『どうしてそんなこと言うの? 言わないで』と」
 弁護人「長男はどうだったか」
 女性「私がぐったりして遊んであげられず、だんだんなつかなくなりました」
 弁護人「それをみて夫は」
 女性「『母親の愛情が足りてないんだ』と言われました」

2019年5月、自分で車を運転し、心療内科を受診した。SDS(自己評価式抑うつ性尺度)と呼ばれる心理テストを受けた。80点が上限の中、女性の点数はうつ病の判断基準を大きく上回る65点。重度の産後うつと診断された。診療した医師の供述調書によると、このときの女性は「顔に生気がなく、やっとの思いで言葉を発しているようだった。典型的なうつ病の症状だった」という。

女性は処方された薬で眠れるようにはなったが、死にたいという気持ちは消えなかった。電気コードをドアノブにかけて首をつろうとしたり、風呂場で左手を包丁で切ったりもした。長女が泣いている時、長男から呼ばれると、どうしたらいいかわからずパニックになった。

当時の女性の心に迫ろうと、裁判官や裁判員も質問を重ねた。

 裁判員A「育児上で参考にしていたものは」
 女性「2人目なので1人目のときの経験や、義母からのアドバイスから。授乳のコツなどはネットで調べました」
 裁判員A「友人などに相談は」
 女性「同じタイミングで出産した職場の同期と情報交換はしていました」
 裁判員B「同年代の子どもがいる家は近所になかったか」
 女性「隣の家に小学校低学年と、長男と同い年の女の子がいました。でも、顔を合わせたらあいさつする程度の関係でした」
 裁判官A「大変なことをしたと思ったのはいつか」
 女性「警察署での最初の取り調べで『殺人罪』と言われ、我に返って自白しました」
 裁判長「この子を育てれば明るい未来があるという考えはなかったか」
 女性「私のことでいっぱいで、育児に頭が回りませんでした」

女性はスマートフォンの通信アプリを使い、長女が泣きやまないことを職場にいる夫に相談したことがあった。弁護側が示した証拠によると、「母親なんだからしっかりしろ」「甘ったれるな」といった返信があったという。

夫は公判で証言することはなかったが、検察側が供述調書を読み上げた。

長女を妊娠したときの女性の様子について、夫は「女の子をほしがっていたので喜んでいた。つわりがひどかったが頑張っていた」と振り返った。

しかし、長女出産後に女性は「消えてなくなりたい」「家族みんなで死のう」などと話すようになり、女性の手首に傷も見つけた。「皮むきのときに切った」という説明を不自然に思って問い詰めると、女性は「自分で切った」。夫は「そういうことしたらだめだよ」と諭したという。

それが、事件のあった6月に入り、女性から「死にたい」「消えたい」といった言葉は聞かれなくなった。育児や家事に励んでいるように見え、夫は「症状が改善してきたな」と感じていたという。

離れて暮らしていた女性の実母は証人尋問で、事件2日前に娘から電話があったと明かした。

 弁護人「その時の被告人の様子は」
 実母「『頭が真っ白で何もできない』『料理も作れない』と。カレーライスも作れないのかと聞いたら、『作れない』と言っていました」
 弁護人「どう思ったか」
 実母「ただ事ではないと思いました。電話が昼過ぎだったので、行こうかどうか迷いましたが、この次にしようと思いとどまりました」
 弁護人「誰かに連絡はしたか」
 実母「次の日に向こうのお母さん(義母)に連絡しました」
 弁護人「どんな話をしたか」
 実母「迷惑をかけて申し訳ない。娘も大変そうなので、うちに帰ってこさせたいと話しました」
 弁護人「義母は何と」
 実母「『帰っていい』と言ってくれました。私は『(娘の)旦那さんに電話してみます』と言いました」
 弁護人「被告人の夫とはどんなやりとりをしたか」
 実母「『5月に比べると状態は良くなっている。帰らせなくても大丈夫ですよ』と言われました。私は安心して、もう少し様子を見ようと思いました」
 弁護人「事件を防ぐにはどうすればよかったと思うか」
 実母「これほどひどいというのを直接見ていなかった。会いに行ってやればこうならなかったのでは、と悔やんでいます」

事件の詳細

事件のあった昨年6月12日。女性はいつも通り午前6時に起きた。薬を飲んでいたため睡眠は取れたが、倦怠(けんたい)感は残っていた。長男の朝食にパンや果物を用意し、水筒にお茶を入れて保育園に行かせる準備も済ませた。夫は朝食を食べず、午前8時ごろに保育園に送る長男を連れて家を出た。その後の出来事であった。

 弁護人「長女と2人きりになった。何があったか」
 女性「洗濯物などをしていたら、娘が泣き始めました。ミルクをあげたり、抱っこしてあやしたりしました」
 弁護人「そして」
 女性「家の中で、1階と2階を行ったり来たりしました。それでも泣きやまず、頭がパニックになり、2階から落としていました」
 弁護人「理由は」
 女性「……。特にありません。落としたら泣き声が聞こえなくなると思いました」
 弁護人「そのときの記憶はありますか」
 女性「ほとんど残っていません。まるで夢の中にいるようで、頭の中がぼーっとしていました」
 弁護人「3回落としたことは」
 女性「ぼんやりとですが、覚えています」
 弁護人「長女が動かなくなり、どう思ったか」
 女性「悲しくて涙が出る、ということもなく、ただぼうぜんと『私も死のう』と思い、キッチンから包丁を持ってきて自分の首に突きつけました」

女性は仰向けになり動かなくなった長女の隣で、うなだれた。約30分後、家事の手伝いに来た義母に警察を呼ぶように伝えた。

 弁護人「長女に対して、今はどう思っているか」
 女性「娘は3カ月になって、あやすとかわいく笑ってくれるようになりました。そんな娘を見ても笑顔で接することができませんでした。こんな目に遭わせてしまったことを本当に申し訳なく思っています。深く深く反省しています」

それまでよどみなく冷静に質問に答えていた女性が、声を詰まらせながら涙を流した。

判決とその後

2020年4月13日、生後3カ月の長女を自宅2階から落として殺害したとして殺人罪に問われた被告の裁判員裁判が新潟地裁(山崎威裁判長)で始まった。公判では、出産後に重いうつ病を患い、心神耗弱状態での犯行だったと明らかにされた。今後、情状面をどう考慮して量刑を決めるかが争点となった。

事件から8カ月。初公判に臨む長岡市職員、伊藤法子被告(31)は短い黒髪、白いシャツに上下黒のパンツスーツ姿で入廷した。裁判長に名前を確認され、静かにはっきりとした口調で答えた。起訴内容の認否を尋ねられると、「間違いありません」と述べた。

起訴状と検察側の冒頭陳述によると、伊藤被告は昨年6月12日、自宅2階の吹き抜け部分から長女を約3・5メートル下の階段上り口に3回落として殺害したとされる。前述の通り、当時、自宅に長女とふたりきりで、泣きやまない長女を黙らせようと殺害を決意したという。

冒頭陳述では、出産後の伊藤被告の精神状態も明らかにされた。1カ月ほど後に不眠などに悩むようになり、そのひと月半ほど後、心療内科で重度の産後うつと診断された。事件はそれから約1カ月後。逮捕後の鑑定留置では、伊藤被告は事件当時、心神耗弱状態だったと判断された。

そのうえで検察側は犯行の重大性などを量刑判断で重視すべきだと訴えた。

弁護側は冒頭陳述で、被告が産後うつの診断を受けた後、事件までに自殺を試みたり、家族に「死にたい」と話したりしていた点を強調。「(被告は)刑務所に入るのではなく適切な治療を受けるべきだ」と訴え、執行猶予付きの判決を求める方針を示した。

この日は、逮捕後に精神鑑定をした医師に対する証人尋問もあった。医師は、被告がパニックを起こして衝動的に犯行に至ったと指摘。重いうつ状態の影響で、死にたいという思いと殺意が同時に形成されたという見解を示した。

閉廷後、被告と同じ職場で働いたことがあるという60代の女性は「真面目でいい子だった。なぜこんなことになったのかを知りたくて来た。周りのサポートが少しずつ遅れてしまったのかな」と涙を浮かべながら話した。

2020年2月13日、生後3カ月の長女を自宅2階から落として殺害したとして殺人罪に問われた被告の裁判員裁判が新潟地裁(山崎威裁判長)で始まった。

2020年2月17日、事件の裁判員裁判の論告求刑公判が新潟地裁(山崎威裁判長)であり、検察側は懲役5年を求刑した。弁護側は執行猶予付きの判決を求め、結審した。判決は19日に言い渡される。

検察側は論告で、被告が心神耗弱状態であったことなど考慮すべき事情があったことを認めつつ、危険な行為を繰り返す犯行だったことから強固な殺意に基づくものだったと指摘。犯行後に自分の状況を家族に説明できていた点などを挙げて、「善悪を判断する能力は失われていたとはいえず、著しく減退していたにとどまる」として懲役5年を求刑した。

弁護側は最終弁論で、被告の犯行について「重い産後うつの影響で判断力が著しく低下し、普段の人格からは考えられない異質な行動だった」と指摘。過去の類似事件で同様の判決が下されているなどとして、執行猶予付きの判決を求めた。

また、伊藤被告は最終陳述で、「後悔してもしきれない。娘はもう戻ってこないことを重く受け止め、一生をかけて償っていきたい」と述べた。

2020年2月19日、判決が言い渡された。山崎威裁判長は「自分の大切な子どもを、ただ泣きやまないという理由で殺すという行動は合理的でなく、明るくまじめな被告人の性格とも合わない」と述べ、犯行にはうつ病が強く影響していたと指摘。逮捕後の精神鑑定で判断された通り、善悪の判断やその判断に基づいて行動する能力が通常より著しく劣る「心神耗弱」の状態だったと認定した。

その上で、犯行態様は危険で執拗だが、計画性はなかったとも判断。「うつ病に対して、できる限りの対処をしてきた」と女性の努力を認めた一方、「周囲の家族は病気に対する支援や理解がやや不十分だった」と述べ、「同情できる面が大きい」として、同種事件の中でも刑事責任は軽い部類と結論づけた。

女性が反省し、実母が監督を約束したことなども考慮して宣告されたのは、懲役3年執行猶予5年だった。山崎裁判長が判決理由を述べる間、法廷には女性がすすり泣く音が響いた。

言い渡しを終えた山崎裁判長は、女性に少し長めの言葉をかけた。

「症状が悪化することがあれば、家族や医師、保健所に相談するなど、どんな手段を尽くしても抱え込まないでほしい」
「もうすぐ○○(長女の名前)ちゃんの誕生日です。誕生日や(事件があった)6月12日は毎年訪れますが、そのたびに○○ちゃんがこの世に生まれてきた意味を考え、冥福を祈ってあげてほしいと思います。被告人が立ち直ってくれることが裁判官、裁判員の願いです」

赤くなったほおを涙でぬらした女性は、証言台の前で大きくうなずいた。

検察側、弁護側とも控訴せず、判決は確定した。

トピック:産後うつ

出産後、心の問題を抱える女性は少なくない。

2019年9月5日、長岡市大手通2丁目の子育て支援施設「ちびっこひろば」の一室。市内に住む母親4人が子連れで集まっていた。

「イヤイヤ期で、どうすればいいのか……」「私もついダメっていっちゃう」

市の家庭児童相談員による月に一度の相談会。母親らが次々と悩みを口にし、相談員は共感を口にしつつ、やんわり助言もしていく。会は30分ほど続いた。

生後7カ月の長男を連れて参加した長岡市の女性(28)は出産直後、気持ちが不安定になったという。身体が弱って十分に眠れなかったうえ、赤ちゃんとどう接していいのかわからない。育児が忙しかったこともあり、家にこもりがちに。気分転換のため眺めたSNSで友人の子の近況を知ると、長男の成長の遅さが気になった。事件について、「きっと思い詰めていたんだと思う」と話した。

家庭児童相談員の布施真美さんは「ママが悩みを言える環境が必要」と話す。

事件を受けて長岡市が7月末まで設けた相談専用電話には、「子どもをかわいく思えない」「(母親が)元気がない」といった相談が17件あった。市子ども家庭課にも産前産後の悩みが電話で44件寄せられた。

日本周産期メンタルヘルス学会顧問で県立看護大副学長の長谷川雅美教授(精神看護学)は「周囲の人がよく観察し、母親の精神状態や行動のわずかな変化に気づくことが求められる」と指摘する。部屋の片付けがおろそかになったり、人づきあいが面倒になったりする変化があった場合、「じっくりと耳を傾けることが大切」という。母親も病院や役所の母親教室などで悩みを口に出すことが有効という。「自らの変化に少しでも気づいたら声を上げてほしい」と話した。