永山則夫連続射殺事件

2020年07月

少年が軍施設から拳銃窃盗、永山基準の原点

1968年の10月から11月にかけて東京都港区、京都府京都市東山区、北海道函館市、愛知県名古屋市港区にて拳銃による連続殺人事件が発生した。

犯人として永山則夫(19歳)が逮捕・起訴された後死刑となった。

後に最高裁判所判例にて「永山基準」として死刑適用の基準が設けられた。

犯行の経緯や動機

犯人の永山は北海道網走で生まて両親から育児放棄を受け育ち、19歳で神奈川県横須賀市にあるアメリカ海軍の横須賀海軍施設から拳銃を窃盗した。

1968年10月11日、永山は東京都港区芝公園の東京プリンスホテルにて綜合警備保障に勤務するガードマン(27歳)に対して拳銃を2発撃ち射殺した。

同月14日、永山は京都府京都市東山区祇園町北側の八坂神社にて境内を巡回中の守衛(69歳)に対して拳銃を6発撃ち射殺した。

同月26日、永山は北海道亀田郡七飯町にてタクシー運転手(31歳)に対して拳銃を2発撃ち射殺した。

翌11月5日、愛知県名古屋市港区にて2タクシー運転手(22歳)に対して拳銃を4発撃ち射殺した。

犯行から約1か月後に永山は横浜市の寺院である大聖院の敷地内に拳銃を埋めた。

また永山は中野区の都立家政駅付近のアパートへ移り、歌舞伎町のバーや喫茶店に勤務する。

1969年4月7日、永山は当事件に使用した拳銃を持ち、千駄ヶ谷の専門学校である一橋スクール・オブ・ビズネスに金銭目的で侵入。

警報で駆けつけた警備隊員に発見されたため発泡して隊員の隙をつき逃走した。

その後、警視庁が緊急配備を発令。永山は数時間後に代々木警察署の警察官に逮捕された。

判決とその後

東京地方裁判所にて永山の公判が開かれた。約10年の審理により1979年7月10日付で永山に死刑判決が下された。弁護側は控訴。

永山は獄中で書いた手記を通して出会った女性と文通の後に獄中結婚した。

東京高裁にて控訴審が行われ、1981年8月21日、家庭環境や生育状況が劣悪であったことや配偶者を得たこと、犯行時未成年であったこと等から永山に更生の余地があるとして酌量減軽。永山に無期懲役判決が言い渡された。

検察側が上告。1983年7月8日に控訴審の無期懲役が棄却されて審理は控訴審に差し戻された。

この際に最高裁が示した死刑適用基準は永山基準と呼ばれ、以降は刑事裁判の死刑基準として採用されている。

差し戻し控訴審が行われて1987年3月18日、東京高裁は永山に死刑判決を言い渡した。弁護側は上告するも劣悪な生育環境と連続殺人に決定的な関連性は認められないとして棄却。1990年4月17日に永山の死刑判決が確定した。

1997年8月1日に永山の死刑が執行されている。

当事件以降では4人以上の殺人に関しては情状酌量等による減刑がない限り死刑が続き、一方で1人を殺害した事件では殺人の前科がない限り死刑を回避する傾向にあった。

しかし松戸女子大生殺害放火事件の裁判員裁判での死刑判決が棄却されて無期懲役となったことにより、先例が重視されており裁判員制度が生かされていないとして永山基準が問題視された。