名古屋・「軽急便」籠城ガソリン爆破事件

2020年05月

過酷な労働契約への不満から、ガソリンを撒き人質をとって籠城。放火し爆発、犯人を含む3名が死亡。

2003年9月16日午前10時過ぎ、運送業・別府昇(当時52歳)が名古屋市東区のビル4階にある運送業「軽急便名古屋支店」に押し入り、ガソリンをまき8人を人質にして立てこもった。

同日午後1時10分、別府がガソリンに火をつけ、爆発。

別府と、人質として残った吉川邦男支店長(当時41歳)、説得のため現場にいた愛知県警機動捜査隊の村瀬達哉巡査長(当時31歳)の3人が死亡した。

その他にも、警察官や消防隊員ら10数人、および通行人やマスコミ関係者ら計41人が負傷(うち5人は重傷)した。

劣悪な労働環境に対して、世間からは非難する声が多く寄せられた。

事件の経緯と動機

2003年9月16日午前8時40分頃、別府は名古屋市内のガソリンスタンドでガソリンを大量に購入した。

ガソリンを新しいポリ容器を2缶に分けて入れたあと、「まだ使い道がある」と言い、さらにポリタンク6缶にガソリンを入れた。

別府は合計144Lものガソリンを購入していたことになる。この時、別府は店員に「機械の部品を洗うのに使う」などと説明していたといい、会計はクレジットカードで済ませた。

大量のガソリンを購入した別府は、軽急便の配達に使っていた軽トラックに乗り、JR大曽根駅の北東側にある「軽急便名古屋支部」へと向かった。

午前10時過ぎ、別府は台車に18Lのガソリン入りポリ容器2個のポリタンクを乗せ、また、刃渡り25cmのサバイバルナイフ、ボウガン、出刃包丁、火炎瓶などを持った状態で、軽急便営業所のあるビルに到着した。

軽急便の営業所内に入った別府は、ガソリンを撒き始めた。当時、営業所内には33人の社員らがおり、男性社員の1人が制止しようとしたが左手首を切りつけられ、切り傷を負った。

まもなく、別府は怪我をした社員を含む25名を解放し、ソファやカウンターなどを動かして出入口を塞いで籠城を開始。

通報を受け駆けつけた警察官が説得を試みるも失敗。別府は、吉川支店長に本社に電話をかけさせ、「7、8、9(月分)の給与を振り込め」と委託運送代金の振り込みを要求した。

同社は要求に応じ、同日昼ごろ、指定口座に25万円を振り込んだ。

ちなみに、同社発表の情報によれば、契約料は2カ月後に支払う約束となっていて、7月分の代金は9月29日に支払われる予定であったという。

午後1時頃、警察は説得を続けていたが、別府は「警察官を一人でもみたら火をつけるぞ」とガソリンをさらに撒いた。

その後、吉川さんを除く社員7名が解放されたが、解放された人の話によると「(別府は)とても落ち着いていて、殺気立ったものが感じられず、かえって不気味だった」という。

人質を解放した直後、別府はさらにガソリンを散布し、ついに火を放った。

引火したガソリンは大爆発を起こし、別府容疑者、支店長の吉川邦男さん(当時41歳)、説得のため現場にいた愛知県警機動捜査隊の村瀬達哉巡査長(当時31歳)の3人が死亡した。

また、待機していた消防隊員や警察官、マスコミ関係者や通行人など、41名が負傷(うち5人は重傷)した。

別府容疑者について

別府は大阪市内の中学を1966年に卒業した後、建具製作会社に就職。1981年に退社した後、4社の運送会社に勤めたという。

この時の運送会社の同僚は「同僚と酒を飲みに行くことはあまりなく、常に一人だった」と別府容疑者について振り返った。

また、別府について、近所の人の印象は「まじめそう」「おとなしそう」「無口そう」というものばかりで、別府容疑者が近所付き合いをしていた様子は、ほとんどみられなかったという。

そして、2003年1月、運輸会社4社を渡り歩いた別府は「自分で仕事を始める」と軽急便の新規運転手として契約し、3月から仕事を始めた。

別府容疑者は9月初め、会社が紹介した荷物の配送を期日までに終えられず、黙って自宅に持ち帰っていた。客からの苦情で会社側が面談に出向き、理由を問いただしたが返事はなかったという。

そして、9月11日、別府は会社に「辞める」と話していた。

事件後、軽急便は別府について、「割のいい荷物だけ運ぼうとしていた」「よく『道を知らない』など顧客からクレームがあった」「『日曜の仕事は眠い』などと仕事を受け付けないことがあった」と話したが、一方で、別の軽急便関係者は別府について「超まじめ。顧客や社とのトラブルも聞かなかった」と話している。

その後、明らかになった過酷な契約

軽急便HPより引用

軽急便は会見で「世間に迷惑をかけて申し訳ない」と陳謝するとともに、前述の通り、別府容疑者について「別府容疑者は客からのクレームが多く、今月で仕事を辞める予定だった」と説明した。

軽急便は、個人事業者を「会員」とする形で契約し、荷物輸送を委託していた。

会員は「登録料7万円」「指導料7万円」を支払う必要があった。また、自家用車の持ちこみは禁止されており、「100万円前後の専用車両を購入」しなければならなかった。

別府容疑者は1月に契約、3月から荷物の配達を開始していたが、「会員は月に40万~50万円の収入が可能」と謳われていた期待される収入からは程遠く、別府容疑者の売り上げは、7月から9月までの3ヶ月間で約25万円にとどまっていた。

しかし契約ではさらに「売り上げから16~20%を手数料として支払う」必要があり、また、「保険料や燃料代は自分で負担しなければならい」とされており、労働者に対して一方的かつ過酷な状況となっており、全国の消費生活センターに相談が多く寄せられていた。

関係者の話によると、軽急便では軽貨物の運賃について「1個あたり約450円」と説明していたが、当時の軽貨物におけるドライバーの取り分は「1個あたり100円強だが、中には90円や80円の時もある」というのが現実であり、求人広告などに明記されていた「30万円以上の収入が可能」というのは、実際には「20人に1人いるかいないか」という状況であったという。

こうした苦しい条件のもと、別府は挫折してしまった。しかし、業績が上がらなくて辞めようにも2年間は解約できず、退会するのにも違約金がとられた。

同社は「収入は完全出来高制で、本人次第。紹介した客に働きぶりが気に入られれば、次から指名されるようになる。最低保障がないことは、契約時に説明している」と強調した。

ちなみに、別府が所属した軽急便・名古屋南営業所は、所長1人で約160人の運転手を抱える状況であった。

募集広告では「万全サポート体制」と謳っていたが、事件後、和田憲治常務(当時)は「重大な事件が起きたという結果から見れば、もっと密にコミュニケーションをとっていれば良かったとの反省はある」と話した。