中津川女子中学生殺害事件(岐阜中2少女殺害事件)

廃墟のパチンコ店で、15歳の少年が13歳の女子中学生を殺害

現場となったパチンコ店の廃屋(2011年以降、解体)

中津川女子中学生殺害事件(岐阜中2少女殺害事件)は、2006年4月21日、岐阜県中津川市内の空き店舗となっていた元パチンコ店で、中津川市立第二中学校の中学2年生女子生徒・清水直さん(13歳)が遺体となって発見された事件。

女子中学生の交友関係から、15歳の岐阜県立坂下高等学校一年生の男子生徒が浮かび、中津川署で任意で事情を聞いたところ、女子中学生を殺害したことを認めたため、緊急逮捕された。

ちなみに本事件は、事件発生の2年前となる2004年に、女子高生が千葉県内の廃墟「ホテル活魚」で殺害された事件、「千葉県茂原市女子高生殺人事件」が起きており、廃墟に対する世間の目が厳しくなっている中で発生し、類似の事件として注目を集めた。

そして、この事件を機に、岐阜県および岐阜県警は県内全域で廃屋の緊急調査を始めることとなった事件である。

事件の経緯と動機

清水直さん(13歳)は、2006年4月19日、JR中津川駅近くのアピタ中津川店で友人と別れたあと、持っていた携帯電話から自宅に「もうすぐ帰る」と言い残して、消息が分からなくなった。

家族は心配をして携帯電話に電話をかけ続けたが繋がらず、同日19日夜に中津川署に捜索願を提出。

4月21日、女子中学生を捜していた中津川署員が、以前から若者達のたまり場となっていた空き店舗(元パチンコ店)を捜索したところ、頭から血を流して倒れている女子中学生を発見した。

このとき、直さんは既に死亡しており、持っていたはずの携帯電話が無くなっていた。

また、致命傷は、首を絞められたことによる窒息死(絞殺)の疑いが強かったことから、同日21日、岐阜県警察本部と中津川警察署は殺人事件と断定し、中津川署に特別捜査本部を設置、捜査を開始した。

現場から携帯電話がなくなっていたことから「顔見知りの犯行」と推定され、また、死亡推定時刻である19日夕方に、「現場近くで、不審な若い男と女子中学生が話しているのを見た」という目撃証言が得られた。

失踪から3日後、遺体発見の翌日となる22日、女子中学生の交友関係から、岐阜県立坂下高等学校一年生の男子生徒(15歳)が浮かび、中津川署で任意で事情を聞いたところ、女子中学生を殺害したことを認めたため、緊急逮捕された。

その後、同日22日午前4時、岐阜県警が記者会見を開き、犯人は15歳の高校一年生の男子生徒と発表した。

また、男子生徒は女子中学生と同じ中学校を同年3月に卒業したばかりであり、また、この少年は別の16歳女性との間に2歳の子供がいることも報じられた。

24日には、逮捕された高校1年の男子生徒(15歳)が接見した尾関恵一弁護士に「ついかっとなって、とっさにやった」と話していることが報道された。

また、同弁護士は事件発生時の状況について「現場で男子生徒が被害者にジャージーを渡す直前にけんかとなり、そのまま(殺害した)」と話した。

逮捕とその後

岐阜地方・家庭裁判所の全景

少年は殺人容疑で逮捕され、岐阜地検は検察官送致(逆送)を求める刑事処分相当の意見を付けて少年を「殺人の非行事実」で岐阜家裁に送致した。

同家裁は7月、非行事実を認定し、殺意についても「未必の故意があった」としたが、少年を3年以上中等少年院に送る保護処分を決定した。

なお、少年院を出た加害少年は民事調停中に子供をつくって結婚し、覚醒剤事件を起こして逮捕されており、さらに数年後に再逮捕され、刑務所に入ったことが明らかとなっている。

加えて、遺族は、賠償金である「月3万円」が振り込まれなくなったことを公表している。

問題となった「報道被害」と隠された真実

逮捕された少年は、犯行当時15歳であったため、報道された情報はかなり限定されたものとなった。

そのような状況で、付添人弁護士が接見に於いて少年と話した内容を真実かのように話したため、加害少年の一方的な供述があたかも真実のように報道され、被害者は「万引きや家出の常習犯」であるとされたり、「加害少年と直さんは交際関係にあった」とされたりするなど、真偽の定かでない情報が広く流布されるという「報道被害」が発生した。

また、裁判においても、加害少年の「直が廃虚の中に入ろうと言い、割れたガラスの中に手を入れてカギを開けた」「交際をめぐり口論になった」という、被害者が主導的に犯行のきっかけを作ったかのような供述が採用されたため、その後、遺族は少年に対して調停を10回以上も申し立てている。

「怖がりの直が、あんなところに自ら入るはずがない」として、遺族が加害少年に対し、何度も「正直に言って」と促したところ、少年は裁判で認められた事実とは異なった供述を始めたという。

それは、「僕が中へ行こうと誘い、カギを開け、先に入りました」というもので、また、殺害状況についても「落ちていたのぼり旗で首を絞めたのではなく、別の部屋から持ってきたのぼり旗を輪っか状にしたものを用意していて、それを首にかけて引っ張って絞めた。口論もなくいきなり殴られ、「何するの」が直の最期の言葉だった」というものであり、裁判で認められたような場当たり的な犯行ではなく、周到に用意された計画的犯行であったことが明らかとなった。

遺族は取材に対して「付添人弁護士が罪を軽くさせるために尽力し、裁判所でも警察でも嘘が通じれば、少年が更生するわけがない」と話している。