奈良・看護婦長女毒殺未遂事件

「生活苦で娘を殺し自分も自殺しようと思った」男遊びに消えた保険金2000万円

2000年7月16日、奈良県奈良市の準看護師の坂中由紀子(当時43歳、以下Y子)が殺人未遂で逮捕された。保険金目当てで高校1年の長女・A子さん(当時15歳)に薬物を飲まそうとして殺そうとしていたというもので、A子さんの体内からは硫酸サルブタモールが検出されたが命に別状はなかった。

1度服用したくらいでは入院に至ることはないことから、Y子は連日服用させ続けていたものと思われる。

硫酸サルブタモールは気管支拡張剤で、せっけんのような味。点滴には利尿薬が配合される場合が多いが、硫酸サルブタモールと併用すると不整脈や心停止を起こす危険が非常に高まるという。

犯行の経緯と動機

Y子について

Y子は1957年、奈良県天川村で4人姉妹の次女として生まれた。父親はアルコール依存症で、酒を飲んでは母親に暴力をふるっていた。また父親に性的虐待などを受けたこともあったという。

1981年、Y子は24歳で結婚し、子供を3人もうける。

1993年に看護士の夫と離婚。夫と父親の折り合いが悪かったようだ。その後は両親、子供3人とともに、家賃が月約9万円の奈良市内の団地に住んでいた。一家の働き手であるY子は家事はほとんど母親にまかせていた。

父親、二女と長男

1997年、Y子の二女(9歳)と長男(15歳)が相次いで「肺水腫」、「脳浮腫」という病気で亡くなっていた。

2人とも保険金がかけられていた。長男の臓器からはサルブタモールが検出されたが、これは治療にも使用されていたため、証拠が不充分だった。

1997年末、A子さんは同級生の母親に「お兄ちゃんも妹も同じ病気で死んだ。今度は私が死ぬのかな」とつぶやいたという。二女、長男が相次いで死亡したことを不安を覚えていたらしい。

続いて、Y子の父親(65歳)も不審死していた。父親は99年10月から、持病の腎不全のため、月に3回ほど診療所に通院してステロイド剤の投与などの治療を受けていた。

2000年2月になって、動悸と不整脈が多発し、診療所で検査したが、原因は分からなかった。ステロイド剤は、Y子がA子さんを殺害するために飲ませたとされる硫酸サルブタモールと併用した場合、不整脈など重大な副作用が出る。

長女への殺意

2000年3月から7月にかけて、今度はA子さんが市内の病院に3回入院した。3回ともY子が用意した弁当などを食べた直後、発作を起こして入院していた。症状はいずれも手の震えや動悸といったものだった。A子さんにもまた約3000万円の保険金がかけられていた。

1回目の入院日は3月8日で、自宅でY子が用意したシュークリームを食べ、お茶を飲んだ祭、変な味がしたので飲食をやめようとしたが、Y子は強く勧めたという。入院したA子のもとに、父親、つまりY子の前夫が見舞にやってきた。A子は「お母さんの出したお茶や食べ物は変な味がする」と訴えたため、前夫は医師に相談していた。

2回目のケースは5月8日で、Y子が自宅で作った弁当を食べたら、味がおかしかった。入院したA子にY子がスポーツ飲料を手渡すが、そこから局所麻酔薬「リドカイン」が検出されていたことが分かった。

リドカインは局所麻酔薬。歯科や眼科など幅広い治療で使用され、毒性は比較的低いが、投与し過ぎると不整脈などの副作用が表れる。味は苦味がきつい。リドカインに含まれる「エピネフリン」と利尿剤や硫酸サルブタモールを併用した場合、危険な副作用を引き起こす。

3回目は6月15日、Y子の作ったラーメンを食べると酸っぱい味がしてA子は食べるのを拒んだ。

この時Y子は「(退院をしたばかりだから)栄養をつけないといけない。スープだけでも飲みなさい」と強要していた。A子は翌日入院したが病名の診断はつかず、4日後退院した。

事件後、A子さんの尿などから、硫酸サルブタモールとリドカイン以外に、添加剤ベンザルコニウム、かん腸液のグリセリン、皮膚薬に含まれる尿素などの5成分が検出された。

また、2000年12月に亡くなったY子の母親の尿からもサルブタモールが検出されたことで、母親殺害の容疑でも再逮捕されたが、これも「充分な証拠がない」として処分保留となった。

Y子はそうした薬物の情報をインターネット上のホームページなどで集めており、硫酸サルブタモールの性質や効能が書き込まれている医学系のホームページのコピー数枚を所持していた。

さらに、Y子の勤務先である京都府の病院では、薬品類の在庫管理が不完全で、Y子が持ち出しても分からない状態だったという。

同病院では硫酸サルブタモールの小瓶を院内の薬局に5~10本常備されていた。各科の責任者がサインした伝票と引き換えに1本ずつ配られる仕組みだったが、4月までは婦長の机の引出しに薬局のカギが入っており、Y子がそれを持ち出すことは可能だった。

母親の男遊び

Y子は離婚後、テレホンクラブで知り合った複数の男性と親密な交際を続けていた。20代の男性とも付き合っていた時期があるという。
 
1997年に二女と長男が死亡して以降、精神的に不安定となり、自宅で自殺を図るが未遂。98年6月から翌年9月にかけて勤務先の病院を休職し、甲府市内の病院に一時入院した。この病院でも何度か手首を切ったりしたという。当時、大阪府内の40代の男性と交際していたが、入院の際、新たに山梨県内の40代の男性と知り合った。

入院中、この男性が付き添っていた。退院後、坂はA子さんにかけていた生命保険を3倍の3000万円に増額。A子さんは「お母さんが夜帰ってこないことがよくある」と友人に話していたが、Y子は男性と金沢市の温泉へ出掛けるなど、Y子は2人の子供の保険金2000万円のうち、1000万円をこうした男性との交際費に使っていたという。

Y子はこの山梨出身の男性と再婚を考えていた。知人に「結婚を考えている人がいる」と話している。また近所が人には「子供が大変。何もかも忘れて出直したくなる」と話し、前夫との子供が邪魔になったことを匂わせている。Y子の家族殺害、殺害未遂はY子1人によるもので、交際男性の共犯性はなかった。

「生活苦で娘を殺し自分も自殺しようと思った」

事件後、Y子はこう語った。だがY子は二女と長男の2000万円以上の保険金を手に入れており、月々25万円の給与所得のある準看護師で、貯金も数百万あった。

当面の生活費には困らなかったはずだが、逆に考えれば2000万を上回る保険金が数百万円しかのこっていないことから、かなりの金をこの短期間で使用していたことになる。

近所の人によると、Y子一家の生活ぶりは決して派手でなかったというから、金のほとんどは男に貢いでいたのだろうか。

判決とその後

2002年3月15日、懲役3年の実刑判決。刑は確定した。

父親、母親、長男、二女の家族4人が不審死したものの証拠が不充分で、A子殺害未遂の件でのみ裁かれることとなった。またA子さん自身も母親の処罰を望んでいない事情から、判決は軽いものとなった。

またこの裁判では殺害の動機がはっきりしないことや、Y子が心の病気から睡眠薬を乱用していたことから弁護側が「心神耗弱状態であった」と主張、精神鑑定が行なわれた。それによると、「代理ミュンヒハウゼン症候群」という診断が「疑いとして」認定された。

代理ミュンヒハウゼン症候群は、1977年にイギリスで初めて発表された児童虐待のタイプ。母親が毒物を与えるなど、子供の病気をつくりだすもので、目的は献身的看病をする母親として周囲に認められたいためだという。

2007年10月25日、大阪市西成区の地下鉄御堂筋線の動物園前駅構内で、ふらふらと歩いている女が警官の職務質問を受け、覚せい剤所持で逮捕された。これがY子であった。

Y子は2004年に出所した後、家族と暮らしていたが、やがて一人暮らしを始めた。

覚せい剤は同棲していた男から勧められ、計17回使用したと12月の初公判で証言した。法廷でY子は「普通のおばさんになりたい」と述べた。