練馬一家5人殺害事件

2020年02月

競売不動産の立ち退きトラブルから、一家を惨殺。

練馬一家5人殺害事件とは1983年6月27日に東京都練馬区で不在だった長女以外の家族を男が殺害した事件のことである。

またただの殺人事件ではなく殺害後に遺体をバラバラにした死体損壊もしている狂気的な犯行であるが、同時期に起こった俳優・沖雅也の自殺のためにあまり認知度が高くない事件でもある。

今回は死体をバラバラにするというショッキングな内容があるため不快感を示す方もいるかもしれないが、同様な事件が起こらないためにも動機などを説明していく。

事件概要

1970年犯人の朝倉幸治郎は40歳で不動産鑑定士の資格を取得。不動産鑑定事務所を設立し妻に事務関係を任せて独立をする。

1981年には鑑定士としての仕事も波に乗っていき新宿にマンションを購入して事務所を作っている。

しかし1982年に労力の割に収入が少ない、妻に苦労をかけさせているなどの理由から不動産取引を行いまとまった収入を得ようと決意。

そして手ごろな物件を探しているうちに見つけたのが、後に犯行を行うことになる白井家が住んでいた練馬の2階建て物件であった。

昭和の民家のイメージ画像

朝倉は1憶600万円で購入をしたが白井家が中々立ち退かない状況に苛立ちを覚える

実際この段階では、早めに転売を終わらせないと破産になってしまうほど朝倉は追い込まれている状態にあり(銀行から借りていた)月の金利100万円の返済にも悩んでいた。

そして1983年6月27日に犯行を開始。白井家の妻は玄能で撲殺・母親に泣きついていた息子も玄能で後頭部から殴り撲殺。玄関で震えていた小学1年生の3女は玄能で後頭部を殴ったあと首を絞め窒息死させる。

死体を一階の風呂場に運んだあとは16時ころに帰宅した次女も掃除機のコードで窒息死させる。

同日21時30分に白井さんが帰宅すると再度交渉をするがあっけなく断られ、一度殴ったあとまさかりで殺害した。

その後は死体を植木ばさみや骨すき包丁で解体し、ミンチ状にした肉片などはトイレに流していた

翌日6月28日、連絡が取れない妻の母が様子を見てほしいと近隣の住民に依頼したところ、白井家は引っ越したと朝倉は嘘をつき不審に思った家族が通報して逮捕となった。

動機・経緯

立ち退かない白井家への報復が目的であり、死体をバラバラにするなど相当な恨みがあったと思われる。

もとは売れ残っていた物件を朝倉が購入してしまったことが全ての始まりだが、そんなことは関係なく立ち退かない白井家が悪いと思い込み犯行に及んでいる。

判決とその後

判決は心身耗弱状態だったなどの理由から審議が遅れ、犯行からかなりの年月が立っていたが1996年に死刑判決が下された。

物静かで落ち着いた人物からは想像もつかない人生の幕となった。

2001年12月27日に死刑が執行され朝倉は亡き人となっている。

1人残された長女はかなりのショックを受け中々社会復帰ができていなかったが、現在は結婚し家庭を築いている。