日航機逆噴射墜落事件

2020年02月

副操縦士は「キャプテン、やめてください!」と叫んだ。

日本航空350便墜落事故(にほんこうくう350びんついらくじこ)は、1982年2月9日、当時の日本航空、福岡発東京行350便、ダグラス DC-8-61型機(機体番号JA8061)が羽田空港沖に墜落した事故。一般的に日航羽田沖墜落事故、羽田沖事故、日航逆噴射事故と呼ばれた。

事件概要

事故を起こした350便は、9分遅れの午前7時34分に福岡空港を離陸した。その後、フライトプランに沿って順調に飛行し、8時35分には羽田空港RW34L(当時の33R)への着陸許可を受け車輪、フラップをおろして着陸準備に入った。

高度200フィート(約61メートル)までは順調であったが、その直後の8時44分1秒に機長は自動操縦装置を切ると、突如として操縦桿を前に倒し、機首を下げながらエンジンの推力を絞る操作とエンジン4基のうち2基の逆噴射装置を作動させる操作を行ったため、機体は前のめりになって降下し始めた。

エンジン音の異変に気付いた航空機関士が「パワー・ロー」と叫んで推力を戻し、副操縦士が操縦桿を引き上げたが8時44分7秒、対地接近警報装置 (GPWS) の警告音「Glideslope!」がコックピットに鳴り響くなか、滑走路手前の海上にある誘導灯に車輪を引っ掛けながら滑走路直前の浅い海面に機首から墜落した。機体は機首と機体後部で真っ二つになったが、墜落現場が浅瀬だったため機体の沈没は免れた。

この墜落により乗客24名が死亡し、乗客乗員149名が重軽傷を負った。

ホテルニュージャパン火災の翌日であり、東京消防庁は対応に追われている中であったが特別救助隊や水難救助隊、消防艇を出して救助活動にあたった。

事件の経緯と詳細

昭和57年2月9日の朝、羽田空港の天候は、ほとんど雲はなく視界は極めて良好だった。福岡発羽田行きの日本航空DC8型旅客機は、高度500メートル、速度240キロで着陸体勢に入った。しかし午前8時44分1秒、旅客機は突然失速、急降下して滑走路手前約300メートルの東京湾の海面に突っ込んだ。墜落現場は水深1メートルの浅瀬だった。

同機には乗務員8人、乗客166人が乗っていたが、この事故で24人が死亡、149人が重軽傷を負った。事故機は衝撃で機首部分が折れ、胴体部分に食い込んだため、機首をなくしたような輪切りの状態でテレビに映し出された。この事故で亡くなられた人たちは、墜落による外傷もあるが、むしろ座席に挟まれ、あるいは重傷のため身動きができず水死した者が多かった。救命活動は墜落直後から行われ、乗客、乗務員の多くが救助されたが、操縦桿を握っていた機長(35)が事故発生時から行方不明だった。

航空管制官や乗客の証言から、墜落の直前に機体が異常に降下したことが分かった。そのため機長の操縦ミスによる事故が疑われた。ところが肝心の機長の姿は見当たらなかった。そのため「機長死亡確認」「機長の生死不明」の報道が5時間にわたり交錯した。だがこれは日航が仕組んだ機長隠しだった。機長はほかの負傷者とともに羽田東急ホテルに搬送され、後に慈恵医科大に収容されていた。

機長は、事故機に負傷者が残っているにもかかわらず、乗客や客室乗務員よりも早く救命ボートに乗って現場を去っていた。羽織っていたカーディガンが胸の機長マークを隠していたため、誰も機長に気付かなかった。日航側はこの機長の不可解な行動を知りながら、「機長死亡説」を故意に流し、機長と副操縦士(33)から事情を聴取していた。

事故から3日目、ようやく日航側は記者会見を行い、墜落事故の真相を明らかにした。日航の高木養根社長は席上、墜落の原因について、「着陸直前の高度500メートルで、機長が自動操縦から手動操作に切り替え、全エンジンの出力を最低にした。さらに機体のスピードを落とすためエンジンを逆噴射させた」と述べた。機長が空中で突然逆噴射のレバーを引き上げたため、減速した旅客機が海上に突っ込んだのである。これを裏付けるように、事故機の逆噴射のレバーは引き上げられたままであった。逆噴射とは飛行機が着陸する際に、滑走路の作動距離を短くするために、エンジンの排ガスを前方に噴出させることで、一種のブレーキとして使われていた。

この逆噴射を行った機長は「心身症」の病歴があり、副機長に降格した後に機長に復帰していた。いわゆる精神の異常をきたした機長の行動がこの事故の原因だった。事故前日にも、飛行機を急上昇、急降下させていたことが乗務員の証言で分かっていた。

事故発生直後から、この機長の担当医だった聖マリアンナ医大の精神科助教授はテレビ出演を繰り返し、機長の病名が「心身症」であること、さらにこの聞き慣れない病気の説明をとうとうと繰り返した。しかし多くの精神科医は、助教授の説明する機長の症状は、心身症ではなく、「統合失調症(精神分裂病)」であると直感していた。このことが指摘されると、マスコミに浮かれていた助教授はマスコミを避けるようになり姿を消した。

機長は5年前から幻聴、被害妄想、異常行動があって、この症状は心身症ではなく明らかに統合失調症だった。機長は「自宅に盗聴器が仕掛けられている」「家の周りをうろつくやつがいる」と警察に届け、機内で急に笑い出すなどの奇行を繰り返し、精神科に通院していた。研修医でも統合失調症と分かるような症状なのに、主治医は心身症と診断していたのだった。心身症とはストレスなどの心理的要因から来る身体の異常で、明らかな誤診であった。

日航乗員健康管理室の精神科医も、主治医である助教授の診断を疑わず、心身症の診断のまま機長を治療していた。機長の妻は、機長の異常行動について健康管理室の精神科医に相談したが無視されていた。後に行われた精神鑑定でも、機長の病気は心身症ではなく統合失調症と診断され、都立松沢病院に収容された。

聖マリアンナ医大助教授と健康管理室の精神科医が下した誤診について、その責任が追及されたが、結局不問にされた。日航の乗員管理機構上の不備も指摘されたが、責任追及までには至らなかった。

この墜落事故は、機長が着陸直前にエンジンを逆噴射させるという信じ難いものだった。フライトレコーダーには、墜落直前にマイナスGが記録されていた。事故時の操縦室の様子もボイスレコーダーに残っていて、副操縦士が「何をするんだ。機長、やめてください」と操縦桿を引き戻そうとして叫んだ声、墜落後に機長が「やっちゃった」とつぶやく声が記録されていた。

この事件で、「逆噴射」と「心身症」が流行語になった。救助に来たボートに乗っている機長の薄笑いの写真が週刊誌に掲載され話題を呼んだ。

機長の精神障害が原因とされた航空事故は世界でも例がなく、日航機逆噴射事件は航空機事故史上極めて特異なケースとなった。機長は統合失調症のため刑事責任は問えず、不起訴処分となった。

この事故で死亡した乗客の遺族には、ホフマン方式により日航から補償額が支払われた。精神障害の機長を乗務させた日航の責任は重いが、この事件で最も重要なのは、統合失調症を心身症と誤診した医師の責任である。