鈴ヶ森おはる殺し事件

大正の冤罪事件、真犯人は有罪を求めて控訴し話題に

1915年4月29日、東京大森の鈴ヶ森刑場跡で田中はるさん(25歳)が殺害されて愛人が逮捕された。

真犯人として石井藤吉(41歳)が自首して逮捕。1度は証拠不十分により無罪判決が出されるも石井が有罪を主張して控訴、死刑判決となり話題となった。

犯行の経緯や動機

犯人の石井は窃盗等の前科が6犯あり、1915年の11月末から12月にかけて東京で強盗強姦事件を起こしていた。

1903年、石井は懲役11年を受けて獄中で当事件の共犯となる男性と知り合う。

出所後、石井は横浜から東京へ向かいながら盗みに入る家を物色していた。

事件当日の1915年4月29日午後9時頃、石井は鈴ヶ森の掛け茶屋で休憩していたところ、通りを通ったはるさんを発見。

周囲に人がいないことから強姦を目論み襲いかかるも、はるさんに騒がれたことで絞殺。財布から現金を奪って捨てた後、遺体の陰部を刃物で突き刺して痴情のもつれに偽装した。

翌朝、荏原郡大井町の旅館街にある空地で鬼子母神堂の尼僧によりはるさんの死体が発見された。

警察は痴情の縺れによる犯行として当時はるさんと交際関係にあった36歳の男性を逮捕。

5月30日に捜査員の追求により男性は犯行を認め、物証の発見には至らなかったものの事件当日にはるさんを連れ出したことが確認されたため起訴された。

男性の自白は同房になった者より、大正天皇即位式で恩赦が受けられるため今は自白するよう勧められたためであった。

6月20日、石井が別件の強盗殺人で逮捕され、当事件の犯行も自白。石井の真剣な態度や供述と現場状態の一致から捜査が再開された。

石井の供述した草むらから、はるさんの財布を発見。当初犯人として逮捕・起訴されていた男性は釈放されて石井が起訴された。

石井は自白した理由として、無関係な人間が死刑になることは可哀想と証言している。

判決とその後

1916年12月4日、東京地裁によって石井の公判が行われた。

別件の強盗殺人については無期懲役の判決が下されたものの、当事件の自白は信用性がないとして証拠不十分で無罪判決となった。

検察側は控訴、更に石井自身も有罪を主張して控訴した。

公判では検察側、弁護側共に供述が一致。弁護士が情状酌量による無期懲役を主張する中、石井は終始死刑を希望した。

1918年3月30日、石井の有罪判決と死刑が言い渡されて改めて最初に起訴された男性の無罪判決が言い渡された。