小野悦男事件(首都圏女性連続殺人事件)

16歳から服役・出所を繰り返し、現在も無期懲役で服役中の「冤罪のヒーロー」

この事件は1968年から1974年にかけ6年間という長期間にわたり、首都圏の1都2県(東京、千葉、埼玉)で多発した連続女性暴行殺人事件である。

犯人として小野悦男が逮捕・起訴されるも、最高裁まで争い、無罪判決を得た。その結果「冤罪のヒーロー」といわれる存在となったが、その後、別の殺人事件で逮捕され、1999年2月に無期懲役の判決が確定している。

首都圏女性連続殺人事件

事件は主に1人暮らしの女性が深夜に強姦された上、さらに殺害されるというものである。殺害された女性の大半は20代であり、その方法は暴行焼殺9件・暴行穴埋め2件と手口に類似点があった。

また、現場に残されていた加害者と思われる者の血液型はO型のものが多かった。従って、これらの事件は同一犯によるものなのではないかという見方が強かった。

犯人として茨城県行方郡北浦村(現行方市)生まれの元建設作業員、小野悦男(逮捕当時37歳)が逮捕されたが、裁判の結果、証拠不十分で無罪判決。

一連の事件(首都圏女性連続殺人事件)は以下の通りである。

  • 1968年7月13日 被害者は26歳のOL。東京都足立区の空き地。暴行をうけた上に焼殺される。小野が犯人だという密告の電話あったが、物的証拠なし。(松戸OL殺人事件)
  • 1973年1月26日 被害者は22歳のOL。東京都北区のアパート。就寝中に絞殺され放火される。事件発生2日前にアパート現場近くにおいて深夜パールを持ち歩く小野が逮捕。
  • 1973年2月13日 被害者は22歳の男性と67歳の女性。東京都杉並区のアパート。放火され2名が焼死。
  • 1974年6月25日 被害者は30歳の主婦。千葉県松戸市。8月10日に同市内にある造成地にて絞殺体で発見。
  • 1974年7月3日 被害者は信用金庫に勤める19歳のOL。千葉県松戸市。8月8日、宅地造成地より遺体が発見(松戸OL殺人事件)。
  • 1974年7月10日 被害者は21歳の女性教師。千葉県松戸市内のアパート。暴行をうけた上に焼殺された。アパート近くにおいて小野が目撃。
  • 1974年7月14日 被害者は48歳の料理店経営の女性と58歳の女性店員。東京都葛飾区。暴行された上、焼殺。
  • 1974年7月24日 被害者は22歳の薬局店勤務の女性店員。埼玉県草加市内のアパート。暴行されて放火。東武伊勢崎線草加駅の始発電車で駅員が小野に似た男性を目撃。7月1日小野がの向かいのアパートにて女性の部屋に侵入。だが逃走。
  • 1974年8月6日 被害者は24歳のOL。東京都足立区内にある42歳の会社員男性宅。暴行された上焼殺。男性宅付近において小野に似た男が目撃。小野は事件1年前(1973年)に会社員宅に侵入していたことがわかった。
  • 1974年8月9日 被害者は21歳のOL。埼玉県志木市のアパート。暴行の上焼殺。

「冤罪のヒーロー」

一連の主な事件のうち松戸OL殺人事件で小野が逮捕されている。

この事件の現場付近で発見された足跡が小野と一致し、また被害者の信用金庫OLの遺体から検出された犯人の血液型がO型だった。これらの証拠から、警察は小野を犯人と特定し、9月12日にまず窃盗の別件逮捕に踏み切った後、松戸OL殺人事件の殺人容疑で再逮捕した。

警察による送検前にマスコミは小野が連続女性暴行殺人事件の犯人であると断定するような報道を行ってしまった。

またマスコミはその後、検察が松戸OL殺人事件の1件しか起訴していなくとも、あたかも小野が連続女性殺人事件の犯人であるかのごとく報道を続けた。この報道が後の冤罪支援運動のきっかけとなった。

千葉地検は小野逮捕後、いったんは物証能力に乏しいと判断し小野を釈放した。しかし警察は、小野自身の自白から被害者の所有物の発見に至ったこと、血液型や毛髪などが小野と類似していたことから、小野を再逮捕した。

1975年3月12日、検察は小野を信用金庫OL殺人の被疑者として起訴した。この起訴時に、冤罪支援運動が起こり、「小野悦男さん救援会」が浅野健一、宗教関係者、弁護士などにより結成された。小野の弁護人である野崎研二は代用監獄など自白の信ぴょう性を切り崩す戦略をとった。

1986年9月4日に千葉地裁松戸支部において小野に無期懲役の判決が下された。

1991年4月23日東京高裁は、自白に信用性が乏しいと無罪判決を言い渡し、松戸OL殺人事件において小野の無罪が確定した。

小野には別件の窃盗罪と婦女暴行で懲役6年判決が下されていたが、それよりも未決勾留日数が長く、服役することはなく、小野は16年ぶりに釈放された。

そして、未決拘置期間6068日のうち別件で有罪となった6年を除く3871日について総額約3650万円が小野に支給された。

小野は1991年に無罪が確定した直後は、警察の代用監獄や自白偏重捜査を批判する「冤罪のヒーロー」としてあがめられ、冤罪被害の集会などで講演をこなしていた。

別事件で無期懲役に

しかし、1992年に窃盗をはたらいてしまったため、懲役2年の刑が下され服役した。

1996年に出所した後、後述の「足立区・首なし女性焼殺事件」を起こし、41歳の女性を殺害。

この事件で小野は、公園で出会い同居生活を始めた女性が家事をしなかったことに腹を立て口論となり、
その結果女性の頭をバットで殴り、殺害している。

殺害後は体を切断し、自宅の冷蔵庫や裏庭などに隠ぺい工作をはかった。

この事件は、松戸OL殺人事件とは異なり、警察は決定的な証拠を小野に突きつけたため、小野は犯行を認め、
1999年に起こった裁判により無期懲役が確定している。

強姦した後、証拠隠滅のために遺体を焼くという手口は首都圏連続殺人事件と類似していることから、事件後、やはりいくつかの事件は小野の犯行ではないのかとの声も上がったが、小野は否定。

法律上も無罪が確定しているため、再捜査が行われることはない。

足立区・首なし女性焼殺事件

1996年1月9日、東京都足立区の駐車場で、布団にくるまれた首のない女性の焼死体が発見された。遺体からは下腹部が切り取られており、パジャマを着ている状態であったという。

捜査開始後、警察はすぐに容疑者を特定していた。その人物こそ近所に住む小野であり「同居していた女性の姿が最近見られない」との証言も得られていた。

しかし、「冤罪のヒーロー」だった小野への事情聴取は簡単なことではなかった。小野が捜査対象になったと知られれば、支援者らから猛抗議を受けることは火を見るより明らかであったからである。

そのため、捜査は極秘裏に進められた。小野には尾行が付けられ、捨てたゴミからDNAが採取され鑑定にかけられた。

3か月後の4月21日、公園で遊んでいた女児が男に暴行されたあと、首を絞められ失神するという事件が発生し、目撃情報から小野が逮捕された。

小野は首なし事件への関与を否定したが、付着していた体液と小野のDNAが一致。さらに、家宅捜査を行ったところ、小野宅の裏庭から殺害された女性の頭部と切断に使われたノコギリが発見された。また、部屋の冷蔵庫からは女性の下腹部が発見された。

決定的な証拠を突き付けられたことで、小野は首なし事件についてのみ、犯行を認めた。

ちなみに、小野は16歳のときに無免許運転で逮捕されたのを皮切りに、火事場泥棒や窃盗・詐欺などで計14回もの逮捕歴があり、計13年間近くを刑務所で暮らしていた。

1998年3月27日、小野に無期懲役の判決が言い渡された。小野は殺意を否定し控訴したが棄却され、1999年2月9日に無期懲役が確定している。