大阪・女性連続バラバラ殺人事件(小3女児誘拐殺人事件)

2020年07月

女性を連れ込み殺害、金の交渉でトラブル

1985年5月から1994年3月までの約9年の間に大阪市で女性4人のバラバラ遺体と少女1人の遺体が発見された事件。

その後、1995年4月、大阪市西成区の無職・鎌田安利が窃盗容疑で逮捕された。

鎌田は1985年から逮捕直前まで、女児を含む5人の女性を殺害したことを自供。同時期のオウム真理教事件の陰に隠れがちで印象が薄いが、稀に見る凶悪犯罪である。

2005年7月8日に鎌田の死刑判決が確定、2016年3月25日に死刑が執行されている。

犯行の経緯や動機

1994年4月3日、大阪府箕面市の山中で、頭と両手足がノコギリ状のもので切断された女性の胴体部分、左足が見つかった。

翌日には現場から150m離れた林で別の女性の白骨死体が発見された。この死体もノコギリ状のもので切断された跡があった。

この遺体は3月に失踪した中央区の居酒屋接客係・中野喜美子さん(38歳)、前年7月に失踪した西成区のスナックホステス・須田和枝さん(45歳)で、ともに失踪直前は西成区で働いており、店に出入りした客が容疑者として洗われた。

1995年4月10日、洋品店の倉庫から紳士用スラックス78本入り段ボールを盗んだとして、西成区の無職・鎌田安利(当時54歳)が逮捕された。

鎌田の指紋は、10年前の1985年6月に奈良県内で見つかった知的障害者施設の寮生・知念みどりさん(19歳)のバラバラ殺人事件で、送られた挑戦状の封筒から検出されていたことがわかり、鎌田も殺害を自供。

さらに大阪の中野喜美子さん、須田和枝さんの殺害も自供。そして1987年に起こった小3女児誘拐殺人事件など計5人の女性殺害を自供した。

6月12日、警察庁は「広域重要指定122号」に指定。

鎌田安利について

鎌田は愛媛県大州市で生まれた。実家は旅館などに割り箸を納入する商売をしていたが、本人は「有名旅館の跡取だ」などと言っていた。

父親が亡くなったのを機に高校を2年で中退。大阪へ出て板前修業をするが、20歳の時に地元に戻って結婚した。一男一女をもうけているが、妻と死別。

それからは奈良県大和高田市の靴下製造工場に勤務したあと、職を転々とするが、子どもを連れて大阪市西成区に移った。

ここでは飲み屋の女性と再婚して、子ども達もこの女性を慕っていたが、カッとしやすい鎌田はたびたび妻の首を絞めるなどして子どもに止められていた。結局、安田は外に女をつくり家を出て、妻が子どもの面倒を見た。わずか数ヶ月の結婚生活だった。

それから鎌田は衣類やアクセサリーを自転車に積んで、飛田新地や釜ヶ崎筋の飲食店の女たちに売り歩くようになる。肩書は衣料品販売だが、それらはすべて盗品で、逮捕されることも度々だった。

繊細な性格で、客へ対して些細なことで逆上しやすい様子を見せていた。

10年間で5人を殺害

殺害されたのは、いずれも知り合ってまもなかったり、通りがかりで出会った女性ばかりである。他人に知られた関係ではないから、容疑者を特定するのは難しかった。

1985年5月、鎌田は家出中であった主婦の東富佐枝さん(46歳)と飲食店で意気投合した後、自宅アパートへ連れ込み絞殺。遺体を解体して兵庫県神戸市の雑木林に遺棄した。

1985年6月、富田林市で4月に知的障害者施設を抜け出して通天閣付近で遊んでいた知念みどりさん(19歳)に鎌田が声をかけ、寿司屋に寄った後で自宅アパートへ連れ込み関係を持ったが、小遣い1万円を渡したところ少ないと言われたため殺害。遺体を解体して奈良県広陵町の竹薮に遺棄した。遺体は同月17日に発見された。

鎌田はグリコ・森永事件を模して怪人22面相と署名した文書を奈良県警高田署の署長宛てに送り、その1ヶ月後には行きつけのスナックで聞きこみがあったことを聞いて新幹線の使用済み切符を東京に行っていてため犯行は不可能とする文言と共に送り付けた。

1987年1月、鎌田は大阪市住吉区で小学3年生の辻角公美子さん(9歳)をわいせつ目的で自宅アパートに連れ込むが、騒がれたため絞殺。豊能町に遺体を遺棄して公美子さんの家族へ身代金を要求する電話をかけた。

1993年7月、鎌田はホステスの須田和枝さん(45歳)を自宅アパートに連れ込み、関係を持とうとするも金の交渉を持ち出され、須田さんに貢いでいた鎌田は逆上して絞殺。遺体を解体して豊能町に遺棄した。

1994年3月、鎌田は大阪市中央区在住で鎌田の常連客であった飲食業の中野喜美子さん(38歳)を自宅アパートに連れ込み関係を持ったが金の交渉がこじれたため絞殺。遺体を解体して箕面市の山林に遺棄した。

1995年4月10日、鎌田は洋品店の倉庫から衣類を盗んだとして逮捕される。その後で鎌田の指紋が知念さん殺害の事件で警察に送られてきた文書から検出された指紋と一致して鎌田は5人の殺人事件を自供した。

遺体を解体したことに関して鎌田は隠蔽する目的ではなく、運搬しやすくする目的であったと供述している。

鎌田は強面だが、その反面人が良さそうで、羽振りも良く見えた。特に女性には滅法優しいところがあり、褒めることも忘れなかったのでよくモテたという。そのため誘われて鎌田のアパートまでついて行った女性があとを断たなかった。殺害の動機からは金に細かいことや、カッとしやすい性格が窺える。

判決とその後

大阪地裁で鎌田の公判が開かれて鎌田は無罪を主張。遺体遺棄は頼まれたものと説明し、共犯がいると主張した。

1999年3月24日に地裁から鎌田へ死刑判決が下されて、身代金要求に関しては無罪判決となった。

身代金要求に関しては控訴審が開かれて2001年3月27日に一審の判決を棄却して有罪判決となった。

そして、2005年7月8日、最高裁・福田博裁判長は「女児を殺し、安否を気遣う父親に身代金を要求するなど非人間的な所業。非情な犯罪を重ねており、人命尊重の念はみじんもうかがわれない」と上告を棄却。死刑が確定した。

2016年3月25日に死刑が執行されている。