名古屋妊婦切り裂き殺人事件(名古屋・臨月若妻殺人事件)

2020年08月

妊婦を殺害の上、胎児を取り出し、お腹に電話機を入れた猟奇殺人

1988年3月18日、名古屋市中川区の住宅街のマンションで、この家の主婦・守屋美津子さん(27歳)が殺害されているのが見つかった。

美津子さんは出産予定日も過ぎていた臨月だったが、その腹は無惨に切り裂かれ、赤ちゃんが取り出されており、中にはなぜか電話の受話器とミッキーマウスのキーホルダーが入れられていた。

未解決の猟奇事件として知られる。

事件の経緯と詳細

1988年3月18日、名古屋市中川区の近鉄線戸田駅から北東約500mに位置する新興住宅街のマンション、レジデンス美里Bの2階、202号室で事件が起こっていた。

現場はいまでこそ、飲食店や大きなマンションなどが点在しているが、当時は畑が残る人通りも多くない住宅地だった。

守屋美津子さん(当時27歳)は臨月の妊婦で、ソニー系の機器販売会社社員の夫・真一さん(当時31歳)と第一子の誕生を今か今かと心待ちにする幸せな日々を送っていた。

ところが、出産予定日の13日からわずか5日後の3月18日、平凡だが幸せに満ちていた若い夫婦の生活を一変させる事件が起こった。

事件当日の朝、美津子さんはいつもどおり夫を送り出していた。一方、夫の真一さんも、妻が出産予定日を過ぎていたため、いつもするように時間を見つけては電話をかけ、美津子さんの様子を聞くようにしていた。

この日も真一さんは2回電話をかけている。

一度目は午後1時過ぎ、生まれそうな様子はないか、外出の予定はないかなどを聞き、変わった様子はないことを確認して、1分ほどで電話を切った。このとき、真一さんの「大丈夫か?」という問いかけに「大丈夫よ」と元気に答えていたという。

ちなみに、美津子さんはこの日の正午過ぎに自宅近くの食料品店で菓子パンを購入していたことが確認されている。

2度目の電話は午後6時50分頃、真一さんは仕事を終えると会社から自宅に電話をかけた。ところが何度ベルを鳴らしても妻は出なかった。(ちなみに、このプッシュ式の電話機は、子機のコードが切断されていても呼び出し音が鳴るため、このとき既に犯行後であった可能性が高い)

真一さんは自分が帰宅する頃には美津子さんも家にいるだろうと考え、そのまま帰路につき、午後7時40分頃自宅に到着した。

名古屋駅から近鉄線に乗って「戸田駅」下車5分、かかった時間は合わせて30分ほどだろうか。

午後7時40分、マンション2階の自宅に帰宅すると、不審な点があった。いつもは施錠してある玄関のドアがなぜか施錠されておらず、また、部屋の電気もついておらず真っ暗だった。

妻の姿が見えず、おかしいなとは思ったものの、真一さんは玄関右側の寝室に行ってスーツを着替えた。すると、居間の方から赤ん坊のような泣き声が聞こえてきた。

「生まれたのか」と思いつつ真一さんが居間(6畳間)の電気をつけると、青いマタニティドレスを着て、ピンク系のジャンパーを羽織り、黒のパンティストッキングをはいた美津子さんが、衣服をたくし上げた状態で仰向けで倒れていた。その足の間で生まれたばかりの赤ん坊が泣いていたのである。

当初、真一さんは妻が自力で出産したのかと錯覚したが、すぐに妻が、両手を白っぽいタオルのような紐で後ろ手に縛られており、首にはコタツのに接続したままのコードが巻かれ、辺りには血だまりができているのに気づいた。

この時、美津子さんの意識はすでになく、呼吸もしていなかったことが夫の証言で明らかになっている。

このとき、夕食の準備などはされていなかったという。

真一さんは慌てて、119番通報しようとしたが、電話がいつもあるダイニングキッチンから消えていた。真一さんは仕方なく、階下の部屋に電話を借りて通報した。

「電話が引きちぎられて赤ん坊が出ているから、電話を貸してください!」と血相を変えてやってきた真一さんに、電話を貸した住民は「ああ、赤ちゃんが生まれたのかしら」と思っただけだったという。

部屋に戻った真一さんは赤ん坊の体を拭いていたが、妻の腹部に異変があるのに気づいた。

よく見ると、腹部が切り裂かれており、中にはミッキーマウスのキーホルダー、紛失していた電話の受話器が詰めこまれていた。

それは、幸せな家庭を築いていた真一さんにとって、あまりにも残酷な光景だった。

後の記者会見で真一さんは「普通の人にはその時の様子を想像できないような恐ろしい状態」だったと表現している。またこの日、現場に急行した機動捜査隊の警官は現場から「あんな現場は見たことが無い」と口々に言い合いながら戻ってきたという。

美津子さんと赤ちゃんが病院に運びこまれたのは午後8時29分。当直医が懸命に心臓マッサージを続けたが、間もなく息を引き取った。

救われた命

赤ん坊は犯人が取り出したと見られ、赤ちゃんのへその緒はすでに切られていた。(翌日19日の中日新聞朝刊では「へその緒をつけたままの赤ちゃん」と表記、翌20日の朝日新聞では「救急隊員はへその緒を切ると」と表記されていたが、その後、あまりの猟奇的な現場に、報道規制がかけられていたことが明らかとなっている。)

赤ん坊を取り出すと言ってもそれは簡単なことではなく、下手をすると足の骨が折れたり、窒息したりするが、幸運にもそういったことはなかった。ただ、左ひざの裏、左臀部、下腹部などの4箇所に切り傷があった。

真一さんが帰宅した頃、赤ん坊が取り出されて2時間ほどが経過していたと見られるが、真一さんの帰宅が遅れれば赤ちゃんの命も危なかった。赤ん坊は低体温で貧血を起こしており、チアノーゼ症状も出ていたが、手術により一命をとりとめている。4月2日に無事退院した。

犯行の状況

美津子さんの死因はこたつの電気コードで首を絞められたことによるものと判明した。胃の内容物から午後3時過ぎに殺害されたと見られる。性的暴行の形跡はなかった。

腹部は鋭利な刃物で"下腹部から"みぞおちに向かって縦38cm、深さ2.8cmに渡って切り裂かれており、凶器らしきものは現場には残されていなかった。ちなみに、帝王切開は医療的な知識なしに行うことが難しいため、医療関係者による犯行の線も疑われた。しかし、腹部がカッターナイフのような薄い刃物で同じ個所を「縦に」2,3度なぞるように切られていたことや、また、一般的な帝王切開では縦ではなく横に切ることが一般的なため、やはり素人による猟奇的な犯行の可能性が高いとされている。それでも、素人ではへその緒の切断が難しいと思われるため、何かしら知識を準備して犯行が行われた可能性が高いと思われる。

さらに、現場に指紋などは残されておらず、足跡から足の大きさが25cmであることくらいしか判明しなかった。付着した血液を台所で流した形跡があったものの、犯人特定に至る証拠は得られなかった。

美津子さんはサイドビジネスで家庭用品販売をしており、また、午後1時50分頃に近くの主婦が子連れで美津子さん方を訪れていた。ちなみに、家庭用品販売関係のトラブルでの線での捜査も行われたが、目立ったトラブルもなく、有力な情報は得られなかったとされる。

午後3時頃まで談笑したあと、美津子さんは階下の駐車場までこの主婦を送っていったが、この間カギをかけずに出ていた。犯人はこれをどこからか見ており、家に侵入、自宅に戻ってきた美津子さんと鉢合わせになったという見方もある。

訪問した主婦は手みやげにイチゴを持って来ており、一緒に食べたが、発見された時はその食器がコタツの上に置かれたままだった。と言う事は、食器を片付ける間もなく襲われたのではないのかと想像できる。

犯行後、財布が紛失していたことが判明。だが、それ以外の金目の物は不思議と手をつけられていなかった。

疑いの目はまず第1発見者である真一さんに向けられた。臨月の美津子さんがいないというのにスーツを着替えていたことや、記者会見で「家内はワインが好きだったから、ワインを注がせてください」と言って、グラスに赤ワインをそそぎ、霊前に備えていたからだった。報道陣はこれを芝居がかったパフォーマンスとも受け取った。

だが真一さんは殺害が行なわれていた頃は会社でデスクワークをしていたため、当然疑いもすぐ消えた。

残酷な犯行のため、命の尊さを知らない少年の犯行ではないかとも見られたが、犯人は真一さん宅に土足であがりこんでおり、靴跡は25cmほどであったことから、子どもの犯行ではないとの見方が強められた。しかし、高校生くらいになると、足の大きさは大人とさほど変わりはないとの見方もされた。

不審な人物の目撃情報

「丸顔の男」

階下に住む主婦によると、当日の午後3時10分から20分頃の間に、自宅玄関のドアノブを何者かにガチャガチャ回される音がしたという。

そしてチャイムを鳴らされたため、出てみると、30前後くらいのサラリーマン風の、中肉で丸顔の小柄な男がおり、「ナカムラさんのお宅を知りませんか」と聞いてきたという。付近に該当する家はなく、主婦は気味が悪いので、すぐに「知りません」と言ってドアを閉めた。

住民が好みの女性であるか、また、部屋の内部はどのような構造になっているかなどを確認したものではないかとも考えられる。

また、同じ時刻頃、何者かがアパート2階の美津子さん宅のドアノブを回し、遊びに来ていた友人が音に気付いたが、美津子さんは「換気扇の音でしょ」と気にかけなかったという。美津子さんはこの後、友人を見送るため、施錠せずに外出した。

この男は現場付近で何人かの人に目撃されていた。後述の通り、近鉄戸田駅方面からアパートやマンションを一軒一軒うかがうようにして歩いていたという。

警察はこの男の行方を「最重要人物」として行方を追ったが、足取りはつかめていない。

黒い革コートの男

最初は、午後4時30分頃で、守屋さんのマンションの北東50~60mくらいにあった公園で、サッカーをしていた近所の小学5年と小学3年の男の子が同公園北側の道路を見知らぬ男が10mくらいの間を、約15分間行ったり来たりしているのを目撃している。

男は年齢37~38歳程度、身長175cmほどで、ひざ下まである黒の長い革コートを着ており、薄茶色のベレー帽をかぶっていた。コートの襟を立て、顔をうつむき加減にし、ポケットに手を入れて歩く様子が、男の子たちには異様に感じられ、気になったという。また、男は時々、周囲の家や守屋さん宅のある建物の様子をうかがっている様子だったという。

2度目は午後7時ごろ。別の小学5年生の男の子が、そろばん塾からの帰りに、守屋さんのマンション西側の路上をやはり同じ人相の男が10分ほどうろうろしているのを見ている。

白い車

犯行当日の18日午後2時30分から3時30分にかけて、守屋さんのマンションの北側にある駐車場に不審な白の軽自動車が止まっていたとの目撃情報が寄せられた。

警察は捜査

結局、それ以降の有力な情報もなく、2003年3月18日、時効を迎えた。

関連が疑われる「愛知・岐阜女性2人死亡事件」

2006年、本件の時効の3年後の、7月28日、愛知県豊川市でベトナム人女性が殺害される事件が発生した。

この事件の容疑者の男は、名古屋の事件当時、28歳。目撃情報と一致する。

容疑者の供述によれば、事件当日、ドアの鍵が開いていたことから、一旦鉄パイプを取りに戻り犯行に至ったというが、死因は絞殺。ベトナム人女性を絞殺後、室内にあった果物ナイフで被害者女性の腹を切り、携帯電話のカメラで撮影したという。

腹を切った理由について、容疑者は「殺害後に腹を切ってみようと思いついた」と供述した。

その後、写真の残された携帯電話、また、容疑者宅から犯行に使用されたナイフが押収されている。

鍵が開いていたから侵入、絞殺してから腹を切り裂くという手口は、名古屋の事件との類似性が非常に高いと考えられる。

ちなみに、豊川の事件が発生した2006年7月28日は金曜日。
名古屋の事件の発生した1988年3月18日も金曜日のことである。

腹を切って、中に物を詰めこむというのは常人には理解できない発想だが、両事件には何か共通した犯人の心理が存在するのかもしれない。

「加茂前ユキさん失踪事件」との関連性

愛知・岐阜女性2人死亡事件では、岐阜県下呂市の山林で、同県に住むアルバイト店員の女性(44歳)が、山林で白骨遺体となって発見されている。

ちなみにこの人物は、遺棄した死体のそばに「白骨死体がこの下にあり。110番通報願う」という書置きを残し、遺体の発見を促している。

ここでもう一つの事件との関連性が浮かび上がる。それが、加茂前ユキさん行方不明事件だ。

この事件では、ユキさんの失踪後、犯人は「トミダノ股ワレ」だとする怪文書が送り付けられてきている。

ユキさんが失踪したのは、三重県四日市市富田。名古屋の事件が発生したのは、愛知県名古屋市中川区富田。

どちらの事件も、犯人は白い車に乗った30代前後の男だとみられている。

「トミダノ股ワレ」と下腹部から腹を裂かれた臨月の妊婦。
ユキさん失踪が1991年3月15日の金曜日、名古屋の事件発生も1988年3月18日の金曜日。

ちなみに、加茂前ユキさんの失踪現場と、名古屋妊婦切り裂き事件の現場の距離は25kmしか離れておらず、この犯人が70km以上も離れた愛知県豊川市で女性を殺害していたことを考えれば十分に犯行可能な範囲内だと考えられるだろう。