リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件

逮捕直前に警察の前から逃亡。2年7カ月余、逃亡を続けた指名手配犯・市橋達也。

リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件とは、2007年(平成19年)3月26日に日本の千葉県市川市福栄において、英会話学校講師リンゼイ・アン・ホーカー(当時22歳)が市橋 達也(当時28歳)に殺害された殺人事件の一般名称。

正式な事件名としては、「市川市福栄における英国人女性殺人・死体遺棄事件」と呼称される。

犯行の経緯や動機

事件当日、被害者と同居していた女性から行方不明の相談を受けた千葉県警船橋警察署の警察官が、被害者宅を捜索。

市橋達也の電話番号・メールアドレスと、被害者の似顔絵を描いたと思われるメモを発見し、市橋達也宅の家宅捜索に急行した。

同日午後9時40分ごろ、千葉県市川市の市橋達也宅(マンション4階)に生活安全課と刑事課の署員数人が到着した。

市橋達也は部屋から出てきてマンションの共用廊下で応対しようとした。捜査員が部屋に入ろうとすると、市橋は非常階段を駆け下りて同マンション裏の駐車場を経て東京メトロ東西線行徳駅方面に逃走した。予め逃走を防ぐ為に非常階段などにも捜査員が配置されていたが、取り逃がす結果となった。

同日午後10時ごろ、市橋宅のベランダに置かれていた浴槽の内部で、全裸様の前傾座位で土に完全に埋められた被害者の遺体が発見された。

逃走後の市橋はしばらく近隣の住宅地の物陰に潜んでおり、そこで探索中の捜査員に発見されて一旦羽交い絞めにされるが、ここでも逃走することに成功している。

事件直後の捜査

千葉県警行徳警察署は、市橋逃走の翌日、警察犬を投入して臭覚追跡を行ったところ、東京メトロ行徳駅付近で警察犬が感知し得る市橋の臭気が途絶するとともに、同駅付近において市橋が着用していたと見られる衣類(靴下)が落下しているのを確認した。

市橋は死体遺棄容疑で指名手配された。

千葉県警行徳署捜査本部の捜査により、市橋と被害者の両名は被害者が所属していた英会話学校「NOVA」のプログラムとは無関係な個人的レッスンに合意していたことが判明した。

市橋は両親が医師・歯科医師であり、医学部を目指したが4浪ののち千葉大学園芸学部緑地環境学科へ入学、2005年3月に卒業した。

大学では植物や公園のデザイン、建築について学んだが、卒業後は就職していなかった。

当時、海外の大学院に進学するために、親所有の3DKマンションで月12万円の仕送りを受けながら英語の勉強をしていたが、試験に合格せず、事件直前、父親に仕送り停止を通告されていた。

被害者のルームメイト(カナダ人)の証言によると、3月20日、市橋が千葉県市川市の東京メトロ行徳駅の改札前広場で被害者に声をかけ、その後被害者宅まで押しかけて、似顔絵を書く、メールアドレスを聞くなどした。

その後数回のメールの交換を行い、3月25日に英会話レッスンを1回3500円でする約束をした。

3月25日午前9時には、市橋と被害者が英会話レッスンを行うために行徳駅前の喫茶店に来店した様子が監視カメラに映っている。

レッスンの終盤、市橋はレッスンの代金を忘れたことを明かし、2人はタクシーで市橋の自宅にお金を取りに行くために移動した。

9時54分、自宅マンションのエレベーターの監視カメラに2人が映っているのが確認されている。市橋宅に入ったところで被害者を押し倒し、結束バンドなどで拘束して暴行した。

その後取り外し可能な浴槽を和室に置き、被害者を入れて監禁した。監禁中には、拘束を解くように要求する被害者を殴りつけるなどしている。

24時ごろには、当時交際中の女性に1週間ほど会えないとメールで連絡している。

翌3月26日2~3時頃、手の拘束を解いて被害者が逃亡しようとしたため頚部を圧迫して窒息死させた。

被害者の死亡後、ホームセンターで、赤玉土56リットル、園芸土50リットル、シャベル1個、発酵促進脱臭剤2個、脱臭剤2個、苗木1本を購入している。

ベランダに浴槽と遺体を移動させて、購入した土を投入した。

捜査員が訪れたのは、その日の夜であった。司法解剖の結果、死因は、頚部を圧迫したことによる窒息死と判断された。頚部を圧迫されたために2箇所の舌骨骨折を伴っている。

また右眼窩下と左頬部に、殴打痕とみられる皮下出血が確認された。部屋のゴミ袋からは、市橋のDNAと一致する体液が入った避妊具が発見され、避妊具の外側には被害者の細胞が認められた。

市橋達也・逮捕へ

2009年11月、名古屋の整形外科医院が、過去の患者の顔写真に市橋と一致するほくろがあることに気づき、警察当局に通報した。

検証の結果、同一人物であると断定されたため、以降、指名手配の写真が整形後の写真に差し替えられることとなった。

左は指名手配時の市橋達也容疑者。右は2009年10月、愛知・名古屋市の美容整形外科で手術を受ける前に撮影された同容疑者の写真。鼻の下に無精ひげ、あごには数センチのひげが生えていたが、千葉県警は「そっている可能性もある」として、画像を処理してひげのない写真を公開した。

2009年11月9日、死体遺棄容疑で指名手配中の市橋達也容疑者(当時30歳)の指紋が大阪府茨木市内の建設会社の社員寮から検出された。

捜査関係者や建設会社関係者によると、11月5日に、千葉県警が名古屋市で整形手術を受けた後の市橋容疑者の顔写真を公開したところ、茨木市内の建設会社の関係者から「住み込みで働いていた男に似ている」との情報が寄せられたという。

連絡を受け、同県警などが調べたところ、社員寮から検出した指紋が同容疑者のものと一致した。

捜査関係者によると、市橋容疑者は「イノウエ・コウスケ」という偽名で約1年1カ月、建設会社関係者によると、市橋容疑者は「井上康介」という偽名で2008年8月19日から働き、当時33歳と年齢も偽っていた。

2009年10月8日、建設会社の上司に「1、2日休ませてほしい」と言った後、給料を受け取ると、「また帰ってくるので、使ってください」と言い残し、荷物を置いて11日朝に出掛けたまま戻らなかったという。

最後に見掛けた同社社員によると、同容疑者は紙袋とリュックサックを持っていただけだった。

市橋容疑者の手取り給料は寮費などを除くと月10~15万円で、6月末ごろには行き先を告げずに出掛け、4日ほど不在になったこともあったという。会社関係者は「100万円ぐらいはためていたと思う」と話した。

市橋容疑者が同月24日に名古屋市内の美容整形外科で手術を受けた際、手術代数十万円を現金で支払ったことから、千葉県警などは同容疑者が顔の整形手術を受けるために建設会社で働いた後、さらに数十万円の資金を持って逃走しているとみており、行方を追が追われた。

そして、2009年11月10日、大阪府警は市橋を大阪市住之江区の大阪南港フェリーターミナルで発見・逮捕した。

切符売り場の担当者から「沖縄行きの航路の問い合わせをした男が市橋に酷似している」との110通報を受けた警察が待機していたため、身柄を拘束された。

捜査本部によると、市橋容疑者は駆けつけた署員に「市橋です」と認めた上で、「弁解することは何もない。何も話したくない」と述べたという。

判決とその後

2009年12月2日、千葉地検は死体遺棄罪で市橋を起訴。同年12月3日、現場に残された精液が市橋のDNAと一致したことから、千葉県警行徳署は、殺人ならびに強姦致死容疑で再逮捕し、同年12月4日付、千葉地検あて送検した。

市橋は逮捕後数日間にわたって絶食していたが、同年11月24日に初めて食事をとり、以後は毎日食事をとっている。取調べに対しては、逮捕初期には黙秘を続けていたが、食事摂取開始に前後して具体的な供述を開始した。

千葉地検は同年12月23日、殺人と強姦致死の罪で市橋を追起訴した。裁判員裁判で審理された。

千葉地方裁判所における初公判は2011年7月4日。起訴状の公訴事実は、殺人罪・強姦致死罪・死体遺棄罪。被害者の両親と姉妹の計4人が被害者参加制度を利用して裁判に参加した。

検察側は市橋が事件の発覚を恐れて殺害に至ったとしたが、被告・弁護側は強姦と監禁、死に至らせた事実は認めたが、殺意については否認し、殺人罪と強姦致死罪ではなく、傷害致死罪と強姦罪だと主張した。

検察側は、市橋は非常に強い力で3分以上に頚部を絞めており殺意は明らかで、蘇生措置をしたというのは被害者の肋骨に損傷がないことから信用できないと主張した。

被害者の遺族は、市橋の発言は刑の軽減を意識したパフォーマンスで、反省が見られないとして死刑を求めたが、検察は市橋に前科がなく犠牲者が1人のことから死刑は躊躇せざるを得ないと無期懲役を求刑した。

2011年7月21日、無期懲役の刑が下され、控訴するも棄却、その後上告しなかったため、2012年4月25日、無期懲役が確定した。