女性連続毒殺魔事件

1960年11月から12月にかけて熊本市の主婦・杉村サダメ(当時48歳)が4人の女性を金目的で毒殺を図り、3人を死亡させた事件。

70年9月に死刑が執行されている。

事件の経緯と動機

杉村サダメについて

杉村サダメは1911年12月に生まれた。

19歳の時、トビ職の男性と恋愛結婚。翌年には長女をもうけたが、夫は酒癖が悪く、結婚して10年もたった頃には子連れの愛人が家に入りこむようになり、ひと部屋に複雑な関係の数人が寝起きする生活を送るようになった。

1950年、夫がメチルアルコール中毒で死亡。

1954年、乳酸菌飲料配達人の妻子ある男性と愛人関係になり、同棲生活をはじめる。ところがこの愛人はサダメの稼いだ金をすべて妻子に送っていた。

毒殺魔

1960年、この頃のサダメには親戚、近所の八百屋、酒屋、魚屋などに合わせて16万5800円の借金があり、かなり焦っていた。

11月6日、サダメの家に姑にあたる杉村クラさんが訪ねて来た。クラさんは小金を貯め、いつも肌身離さず持ち歩いていたおり、この日も手提げバッグを持っていた。

そこでサダメはクラさん好物の乳酸飲料に農薬ホリドール(メチルパラチオン)を混入して飲ませた。

クラさんは自分の家に帰る途中、隣家の家の前で気分が悪くなり倒れ、そのまま死亡した。しかし、この時に限ってクラさんは現金を持っておらず、バッグの中に入っていたのは汚れた下着で、サダメが金を手にすることはできなかった。

まもなく医者が駆けつけてきて「卒中だろう」と診断、犯行は明るみにでずに済んだ。

クラさん殺しがバレなかったことに自信を持ったサダメは次のターゲットを見つける。隣家の主婦・嘉悦タケさんである。少し前に嘉悦さんの息子の結婚式があり、その祝金を狙った。

12月14日、サダメは農薬を塗った馬肉を持って隣家を訪れた。タケさんは死亡。またしても「卒中」ということで片がついた。結局、この時もタケさん手持ちの財布を奪えずに終った。

12月17日、3人目の被害者がでる。この日の昼頃、顔なじみの依頼行商人・山本富士子さんに農薬入りの鯛味噌を食べさせた。だが薬の量が少なかったためか、山本さんは死に至らなかった。この3件目の毒盛りでサダメは初めて1万3500円の現金を手にすることに成功した。山本さんは重い命を取りとめたものの重い障害が残った。この一件でサダメの犯行は露見し始める。ところがサダメは逮捕前にもう1人を殺害していた。

12月28日、行商人・奥村キヨノさんを農薬入り納豆で殺害。しかし、財布に入っていたのは15円だけだった。

翌日はサダメの49歳の誕生日だったが、この日熊本市川尻署に任意同行を求められた。取り調べでは「なにも知らない」と犯行を否認していたが、家宅捜索の結果、サダメ宅の台所から、納豆の入った壷、鯛味噌が残っていた小皿などを押収されており、証拠をつきつけられたサダメは行商人2人の殺害を認めたが、「あれは卒中だ」とクラさん、タケさん殺害は否認した。

30日、クラさん、タケさんの死因に関して医師の脳出血との診断は誤りだったということが判明。追い詰められたサダメはいっさいを自供した。「年末をひかえ、借金返済に迫られていたためお金が欲しかった」とその動機を話している。

判決とその後

1963年3月28日、死刑確定。

死刑囚となってからのサダメは荒れ狂う日と、逆に落ちこむ日々をすごしていたが、教誨師の導きで仏門に帰依。

それからは生まれ変わったような模範囚となったという。

同囚者たちからも「4階のおばあちゃん」と呼ばれ、親しまれた。免田事件の免田栄さんも獄中記のなかで「驚くほど立派な最後だったといわれている」と記している。

1970年9月19日、福岡拘置所で死刑執行。女性としては「ホテル日本閣事件」の小林カウについで戦後2人目の刑死だった。執行の前、サダメは「私を真人間に生まれ変わらせて下さった」と感謝の言葉を口にしたという。