千葉県・女子中学生誘拐事件

女子中学生・佐久間奈々さん(当時13歳)が補導員を名乗る男に誘拐された事件。現在も未解決。

1991年10月27日未明、千葉市大宮台の中学1年生・佐久間奈々さん(当時13歳)が補導員を装った中年の男に誘拐された事件。

千葉県警と千葉東署は同年12月4日、手がかりが少なく捜査に進展がないため、中学生の名前と写真を公表した。

佐久間奈々は失踪時、毛糸の縄目もようの白いセーター、紺色のミニスカート、茶色いひもの白いスニーカー姿で、直前に寄ったコンビニエンスストアで買い物をしたビニール袋を持っていたという。

事件の詳細

1991年10月27日未明、千葉市大宮台の女性スナック経営者(当時)の長女で中学1年生の佐久間奈々さん(当時13歳)が午前1時すぎ、友人3人と自宅から約4kmのところにある小倉台のコンビニエンスストアに自転車で夜食を買いに行った帰り道で、補導員を装った中年の男に誘拐された事件。

約30分かけてコンビニに到着し、佐久間さんは缶入りのウーロン茶やポテトフライ、ピザを買いビニール袋に入れた。買い物を終え帰宅中だった佐久間さんは台風の影響で歩道に倒れたままになっていた木にぶつかり転倒した。

そこに後ろから歩いてきた男に「こんなところで何をしているんだ。16歳未満の者が11時過ぎに歩いていると犯罪になる。普通なら警察に連絡するが話を聞くだけで許してやる。お前が代表でついてこい。」と言われ、佐久間さんだけを連行し、後の3人には「お前たちは帰れ」と言い残し、佐久間さんを連れて細い道の方に消えていった。

連れ去られたのは奈々さんだけであった。

3人は佐久間さんの家に着き、玄関前で佐久間さんの帰りを待っていたが、佐久間さんはなかなか帰って来なかった。そこにたまたま2人の同級生の男子生徒が通りかかり、これまでの経緯を説明すると男子生徒は「おかしい」と思い、親に連絡した。

親たちは手分けして佐久間さんを探したが見つからず、午前4時20分に警察に通報した。身代金目当ての誘拐の可能性も考えたが、佐久間さんの家に身代金を要求する連絡はなかった。

警察は同年11月6日に捜査本部を設置し、男の似顔絵を公開した。しかし、この時点では、母親の強い反対もあり、本人の顔などの情報公開には至らず、匿名のまま公開捜査を行っていた。

情報公開

1991年12月4日、千葉市の女子中学生誘拐事件で、県警と千葉東署は被害者の佐久間奈々さん(当時13歳)の写真を、名前とともに公開した。

事件発生からほぼ5週間、入ってくる情報も少なくなる中で、これまで母親を説得した結果だが、背景には捜査陣の焦りがあった。犯人が奈々さんをどこへ連れ去ったか、足取りはいまだにつかめていなかったからだ。

奈々さんの名前や写真の公開は、母親が強く反対したため、見送られてきた。県警も、奈々さんが無事で帰ってきた場合、将来に影響することを考慮して、「匿名、顔写真も出さない」という異例の形での公開捜査を続けてきた。

ちなみに、県警によると4日までに、奈々さんと犯人らしい2人連れを事件当日に目撃したという情報は約50件寄せられたという。しかし、そのうち、有力と見られる情報は数件程度という。

「誘拐直後に2人が現場から200メートルほど離れた国道126号の交差点で信号待ちをしていた」というドライバーの目撃情報のほか、約1時間後に、現場からさらに遠いモノレールの千城台北駅の近くを2人が歩いていたという情報もある。また、事件前日の夜、誘拐現場から約1キロ離れた自動車教習所の近くの市道で、中年男がふらふらと歩いていたとの目撃情報があり、県警は事件との関連を調べている。

しかし、これらはまだ犯人には結びついていない。早期解決にはより具体的な情報を公にした方がいいと判断し、母親の同意を取りつけたという。

市民からの情報は最近減ってきていた。このまま事件が忘れられることを心配していた県警は、今回の公開で、「この顔なら見たことがある」といった情報が集まるのを期待して、情報の公開に踏み切った。

当時、検問で顔写真を使って情報収集も行っていたようで、朝日新聞の記者が、次のような記事を残している。

10月に千葉支局に赴任して以来、1年生記者には大きな事件や事故が相次いだ。一番印象深いのは10月27日に起きた佐久間奈々さん誘拐事件だ。私は現場担当を命じられた。

 現場付近の検問で連れ去った男の似顔絵写真を見せていると聞きこんだ。わざと検問にかかり、写真を見ようとしたが失敗。手を変え別の日にもう一度、挑戦したが、これも失敗。

 3回目はタクシーを使うことにした。夜、街をながすプロの運転手には必ず写真を見せるだろうと思ったからだ。

 同僚記者と私は千葉駅周辺で飲んで、家に帰る会社員。警官が運転手にしか写真を見せなかったら、酔ったふりをして運転席に身を乗り出し、写真を見る--とのシナリオだ。疑われないようにビールを飲む。同僚はすぐ真っ赤になるので、こんな時は便利だ。

 現場に到着。警官が寄ってきて、窓をノックする。運転手が窓を開ける。

 警官「土曜の今ごろここを通りましたか」。運転手「いいえ」。警官「じゃあ、行っていいですよ」。打ち合わせを含めた約1時間は、5秒でむだになった。結局、公開捜査まで写真を見ることはできなかった。

 事件当夜、佐久間さんが行ったコンビニエンスストアに自転車で出かけて、往復でどれだけの時間がかかるかを調べたり、刑事の聞き込みを横で聞いたりと様々なことをしたが、収穫は少なかった。

 記者にとって、悔しいのは取材がむだ足に終わること。疲労もたまる。しかし、自分が手がけた事件が未解決ということが何よりも悔しい。事件が解決する日はいつなのだろうか。

似顔絵写真「検問での一見」作戦空振り(メモ帳回顧)千葉 1991.12.11 東京地方版/千葉

6件の未解決事件

1991年12月、瀬が迫っている頃、千葉県警は今年、まだ6件の未解決捜査本部事件を抱えていた(後述の表参照)。松戸市のトンネル冠水事故以外の5件は、いずれも千葉市内の女性が被害者だった。「当たり年」ともささやかれるほど、今年は例年に比べて事件が多かったが、背景に社会環境の変化があるとの声もあった。

捜査本部が設置された重要事件は今年は13件で、過去5年は年間7~8件程度であり、例年にほぼ倍増して、大事件が起きたことになる。解決したものでは市原の塗装業者誘拐事件や安房信用組合背任事件などの「お手柄」もあった。

しかし、千葉市の女性が被害者の事件に限っては5件とも未解決。いずれも夕方から深夜にかけての犯行。「かつては女性や中学生が深夜に出歩くことはなかった。日本の治安の良さを支えてきた、そうした条件が崩れつつある。今後、事件はさらに増加するのでは」と、ある捜査関係者はいう。

千葉市で起きた未解決捜査本部事件の概要と捜査状況は次の通り。

  • 中国残留孤児3世少女殺人事件:千葉市黒砂台3丁目の中国残留孤児2世、趙鳳海さんの養女で市立弥生小6年の麗娜(れいな)さん(当時13歳)が1月14日午後、自宅から約400メートル離れた空き地で、遺体で発見された。首を絞められての窒息死。凶器らしいネクタイが首に巻かれていた。顔見知りの犯行の可能性が高いと見られる。
  • 独身OL殺人事件:千葉市末広3丁目のアパート1階の自室で7月24日夜、自動車販売会社に勤める独身OL(当時23)が頭を鈍器で殴られ、殺されているのが見つかった。交友関係も調べたが手がかりはなく、通り魔的な犯行の線が濃厚。
  • ホステス殺人事件:千葉市磯辺2丁目の造成地道路で9月27日正午前、同市高洲2丁目のホステス(当時25歳)が全裸死体で見つかった。頭を鈍器で殴られ、死後1週間。交友関係などを洗っている。
  • 団地OL殺人事件:千葉市磯辺6丁目の磯辺第1団地内で10月25日朝、近くに住むOL(当時23歳)が頭を殴られて殺されているのが発見された。死亡推定時刻は同日午前零時から1時ごろ。通り魔殺人と見られ、不審な男性の似顔絵が公開されている。
  • 女子中学生誘拐事件(本事件):千葉市大宮台の市立中学生佐久間奈々さん(当時13歳)が10月27日午前1時すぎ、友人3人と買い物をした帰り道、補導員を装った中年男性に連れ去られ、行方不明に。男の似顔絵や奈々さんの写真などを公開して捜査しているが、足取りはつかめていない。

事件発生から1年後

行方不明のまま奈々さんは2年生に進級、家族は「元気に戻って」と願いながら、1年を過ごした。母親(1992年当時43歳)は、朝日新聞の取材に対し「どうか奈々ちゃんを返して」と答えている。

また、母親は警察だけに頼らず、自らも手がかりを追った。現場には何度も足を運び、「犯人に似た人を見た」と聞くと、自ら出向いたりもした。

車を運転すると、犯人と奈々さんの姿を捜すため、すれ違う車にまで目を向けた。1991年のクリスマスや6月19日の誕生日には、ケーキやプレゼントも準備したという。

取材(1992.10.27)に対し「今日も奈々ちゃんが元気に帰ってきた夢を見ました」と答えている。

同年、奈々さんの通っていた市立大宮中学校は今年4月、奈々さんを2年C組に進級させた。「机も用意してある。いつ戻ってきても大丈夫です」と古谷司朗教頭はいう。母親は、ずっと給食代も払い続けている。ぬいぐるみや人形でいっぱいの奈々さんの部屋は1年前のまま、洋服ダンスにかかった制服のネクタイは1年生用のエンジ色から2年生用の紺色に変わった。奈々さんはバスケットボール部員で、この秋、奈々さんの背番号も新しくなった。同級生部員(取材当時13)は「番号は7番です。早く帰ってきて。私が預かっているので、いつでも渡せます」と答えている。

また、学校では、事件以後、下校時に教員2、3人で学校近辺をパトロールを実施していたという。

捜査本部に寄せられた情報は北海道から福岡まで約850件で435人が対象に上がったが、いずれも事件には結びつかなかった。

捜査本部は誘拐の可能性を重視する方針を変えていないが、当初、110人だった捜査員の数は他の事件に割かれて、30人に縮小された。県警幹部は「非常にミステリアスな事件。犯人と被害者の接点をさらに捜したい」と話している。

事件から2年、卒業へ

1993年10月27日、佐久間さんが行方不明になって2年が経ち、新たな手掛かりも得られないまま捜査は三年目に入った。

「いってらっしゃい、バイバイ」

二年前の10月26日の夜、仕事に出掛ける母・初枝さんに、奈々さんが言ったという。その後、奈々さんがいなくなってから、初枝さんは「今にも連絡があるのでは」とじっと待っている。

いつでも迎えられるよう、部屋は二年前のまま。タンスにかかった制服のネクタイを、三年への進級を控えた春休み、白に変えたという。また、奈々さんが通っていた中学校では、えんじ、紺、白と学年ごとにネクタイの色が違う。中三の教科書なども用意された。

本来ならば、受験生になる奈々さんあてに、高校の説明会のパンフレットなどが送られて来たという。母親は、他の子が塾に通うのをみると、同じように受験勉強をしているはずの奈々さんを思うという。

中学校では、奈々さんは欠席扱いとなっており、いつでも出席できるよう、机、いす、げたばこも用意がされていた。1934年3月卒業を控える同級生とともに、卒業アルバムに写真が掲載される。教頭(52)は「卒業までに帰ってきてほしい」と話した。

事件の手掛かりは、一緒にいた友達の「40歳ぐらい、身長約155センチ、小太りで黒っぽい毛糸の帽子、白っぽい長そでシャツ姿の男が奈々ちゃんを連れ去った」という話だけにとどまったままであった。

捜査本部は現場付近で、タクシー運転手、新聞、牛乳配達など深夜、早朝に働く人の話を聞き、同じ時間帯に現場を通る車の検問をして、目撃情報を求めた。寄せられた情報を確認し、聞き込みを繰り返す、地道な捜査の中で2年が経ち、捜査員は14名まで縮小された。

捜査員の一人は「現場付近の家には、何十回と足を運んだ。歩き回るため、靴も警察から支給される底の丈夫なものを使っているが、三足もはきつぶした。一人ずつ当たって行けばいつかは、犯人に当たる、と思って捜査を続けている」と話した。

卒業

1994年3月10日、千葉市若葉区の市立大宮中学校(浅野興治校長)が、誘拐されて行方不明になっている奈々さんの卒業を認めることを決め、同日の卒業式で名前を呼び上げることになった。

意思に反して行方不明になっているとの理由で、「特例中の特例」という。

佐久間さんは当時、一年生で、自宅近くの路上で補導員を名乗る男に連れ去られた。同校は誘拐という事情を考慮して、二年、三年と進級させてきた。卒業については職員会議などで話し合い、母親、市教委とも相談したという。

10日の卒業式では、卒業生として佐久間さんの名前が呼ばれ、証書は後日、家族に渡された。母親は「娘は学校が大好きで、友達を大切にしていた。娘がいない式に出るのは耐えられないが、みんなと一緒に卒業できてよかったと思う」と話している。

佐久間さんの行方は2020年7月現在も分かっておらず、千葉東警察署はこの事件に関する情報提供を呼び掛けている。