赤報隊事件

朝日新聞社への殺意、テロの犯人未だ見つからず

1987年から1990年にかけて、赤報隊を名乗る犯人がテロ事件を起こした。

事件では新聞記者が2人殺傷され、首相が2人脅迫された。

2003年、全ての事件が公訴時効となり、未解決事件となっている。

犯行の経緯や動機

1987年1月24日午後8時頃、朝日新聞東京本社1階の植え込みから2階に向けて散弾銃が2発発射された。社員数人が窓ガラスに何かが当たったような音を2度聞き外の様子を見ていたが、特におかしなこともなかったため通報しなかった。

時事通信社と共同通信社へ「日本民族独立義勇軍 別動 赤報隊 一同」を名乗る者から犯行声明が届き、朝日新聞社の耳へも入るが散弾銃の痕跡が見つけられず、3社ともに報道しなかった。

二通の犯行声明は朝日新聞に激しい敵意を示し、マスコミを標的としたテロの継続を示唆する内容であった。

1987年5月3日午後8時15分頃、朝日新聞阪神支局へ黒装束の男が編集室に押し入り、犬飼記者の左胸へ散弾銃を発射した。左胸のポケットに皮製の札入れ等を入れていたため一命を取り留めた。

小尻記者は発砲音で目が覚め起き上がり、驚いた犯人は脇腹めがけて2発目を発砲。

高山記者は銃声を聞いて隠れたが、犯人は一瞬銃口を向けたものの、発砲せずに立ち去った。

高山記者が警察に通報。小尻記者は搬送先の関西労災病院で翌日午前1時10分まで手術を受けたものの死亡した。

5月6日、時事通信社と共同通信社の両社に「赤報隊一同」の名で朝日新聞社員への殺意を示す犯行声明が届き、1月の朝日新聞東京本社銃撃も明らかにされた。

1987年9月24日午後6時45分頃、名古屋市東区新出来にある朝日新聞名古屋本社の単身寮で無人の居間兼食堂と、隣のマンション外壁に1発ずつ発砲された。その後、朝日新聞への敵意を示す犯行声明文が送りつけられた。

1988年3月11日、静岡市追手町の朝日新聞静岡支局の駐車場で紙袋に入った時限発火装置付きの爆弾が仕掛けられ、翌日に発見され未遂となった。

1988年3月11日の消印で、群馬県の中曽根康弘前首相の事務所と、島根県の竹下登首相の実家に脅迫状が郵送された。靖国神社参拝に関する内容であった。

1988年8月10日午後7時20分頃、江副浩正リクルート元会長宅に向けて散弾銃1発が発砲された。犯行声明に動機として朝日新聞に広告を出したことを挙げた。

1990年5月17日午後7時25分頃、名古屋の愛知韓国人会館が放火された。犯行声明では当時の韓国大統領へ、来日すれば在日韓国人に危害を加えるとい旨の内容が記されていた。

判決とその後

警察は全国的な捜査を行ったが、2003年に静岡支局爆破未遂事件が公訴時効となり、全事件が未解決のままとなった。

兵庫県警察は時効後も真相解明を目指しており、朝日新聞社も時効を越えて真相に迫る努力を続けるとしている。