「昭和の脱獄王」白鳥由栄について

26年間の服役中4回もの脱獄を成功させた「昭和の脱獄王」

白鳥 由栄(しらとり よしえ、1907年7月31日 – 1979年2月24日)は、元受刑者。収容先の刑務所で次々と脱獄事件を起こし「昭和の脱獄王」と呼ばれた。看守に怪我をさせたり、人質を取るという強行突破は1度としてなく、当時の看守の間で「一世を風靡した男」と評されたほどの伝説の受刑者である。26年間の服役中4回の脱獄を果たし、累計逃亡年数は3年にも及ぶ。

白鳥由栄は明治40年青森に生まれ、25歳で強盗殺人を犯した。

ここに記す「白鳥由栄」という男は、けして怪物的連続殺人者というわけではない。しかし犯罪者であり、異端児であることは間違いなく、番外編としてここに紹介させて頂くことにした。しかしこれは殺人者・犯罪者の半生というよりも一種の「超人伝」に近い。

ちなみに白鳥は、一回も看守に怪我を負わせるような「強行突破」はしていない。まさに「脱獄美学」というものを白鳥は持っていた。当時の看守にすら、彼を評して「一世を風靡した男と」言わしめたほどである。

白鳥の信念と特異な身体能力

信念

白鳥は律儀な性格で、受けた恩は決して忘れなかった。だが、自分を攻撃する者には断固たる姿勢を見せた。白鳥には自分のための脱獄はしないという信念があった。刑務所や裁判の矛盾、理不尽さと身をもって戦ったのである。また「人間の作ったものは、人間が壊せないわけはない」というのが白鳥の哲学だった。白鳥の脱獄をきっかけに秋田刑務所の績静房が廃止となったのはその一例である。刑務所関係者の間でも、白鳥の脱獄は刑務所に改革をもたらしたと言われている。

『人間のつくった房ですから、人間がやぶれぬはずがありませんよ』

『ヤモリを考えてもらえばいい』
(高さ3メートル上の天窓からどうやって脱出したか聞かれて)

『毛布をもう一枚下さい。さもないと脱獄します』
(看守に対して)

『実は自分は白鳥由栄です。貴方が逮捕して手柄にして下さい』
(脱走中に職質した警官がタバコをくれたことに感謝して)

白鳥の言葉

身体能力

超人的な体力と腕力を持っていたとされる。1日に120kmもの距離を走ることができ、網走刑務所では、手錠の鎖を引きちぎるという怪力ぶりも見せている(結果、重さ20kgもの特製の手錠を後ろ手に掛けられることとなった)。 地中深く突き立てられた煙突の支柱を素手で引き抜き、40歳を過ぎてもなお、米俵を両手に持って手を水平にすることができるなど、その怪力ぶりは常識をはるかに上回る。 また、白鳥は身体の関節を比較的容易にはずすことができる特殊な体質を持っていたとされ、頭が入るスペースさえあれば、全身の関節を脱臼させて、容易に抜け出すことが出来たという。

受刑生活のはじまり

昭和8年4月9日、盗みに入った家で発見され、殺人をおかしてしまう。2年後、その時の共犯者が別件の「土蔵破り」で捕まったのを新聞で知る。義理堅い白鳥は自首した。昭和10年12月10日、青森刑務所に移送される。

1回目の脱獄(青森刑務所)

白鳥は独房に収容されていた。独房の外に出る機会は少ない。脱獄の為、辺りの観察はおこたらなかった。そなえつけの便器から便捨て場に汚物を捨てに行く時、この小窓と鍵穴の位置を観察した。鍵穴は小窓から手を伸ばせば届く位置にある。ある日、便器の汚物を捨てに行く時、白鳥は針金を見つけ、看守の目を盗んでこれを拾った。針金は汚物入れの底に、ご飯でノリ付するなどして見つからないように、持ち歩いた。白鳥は小窓から手を出し、鍵穴に指を押しつけ鍵穴の形をうつしとり、針金を曲げ、さし込み、何度も試行錯誤し、とうとう合い鍵を作ってしまった。看守の気がゆるむのは真夜中の交代時間で、巡回に15分間のわずかな時間があく。白鳥は、この時間の隙間を狙ったのだ。白鳥の手製鍵は、独房だけでなく、廷物にも、裏門にも全て合った。白鳥は針金一本で脱獄を果たしたのである。しかし三日後にあっけなく逮捕されてしまう。

2回目の脱獄(秋田刑務所)

昭和17年3月、白鳥は過酷な扱いと、看守の横暴な態度を直訴したいと考え、再度の脱獄を決意する。白鳥は看守相手に「脱獄するぞ」と小声で言う。その低い声の迫力に看守は威圧された。

鎮静房の璧も扉も破る事は不可能だった。白鳥は天井に目をつけた 天窓には鉄格子が付いていたが、腐りかけていたのだ。白馬は璧の隅を使って、璧をよじ登る事を考えた。角に立って壁に手と足を踏ん張り、登ろうとした。看守が寝静まってから何度も練習して、登れる手応えを得た。練習している時、天窓のワクに取り付けられていたブリキ片と錆びたクギを見つけた。ブリキをクギで突き刺して、ギザギザに尖らせ、即席のノコギリを作った。白鳥は天井に上り、足で体を支えながらノコギリで天窓のワクの四方を切った。看守の交代時間を狙い、1日に10分ずつ地道に作業を進める。ノコギリとクギは敷物から抜き取った糸で天窓の木枠にくくりつけた為、看守に見つかる事はなかった。地道な作業により鉄格子を切り離す事が出来た。白鳥はワクを元に戻し、時を待った。脱獄当日午前0時、暴風雨にまぎれて、白鳥は脱獄を決行する。看守の交代時間で15分の隙があった。璧を上り、天窓を外して屋根に出る。地上に飛び降り、刑務所の裏手に回って中庭を飛び越え、刑務所の工場の丸太を足場にしてレンガの塀を越え脱獄した。

その後、白鳥の行方はまったく知られなかった。だが、脱獄から3カ月経った昭和17年9月20日、白鳥は、小菅刑務所官舎の小林良蔵戒護主任宅に姿を現した。小林は白鳥を家に上げ、熱い茶と芋を出した。白鳥はうれし泣きした。白鳥は小林に秋田刑務所の状態を切々と訴え終わると、翌朝、小林戒護主任に付き添われて小菅警察署に自首した

3回目の脱獄(網走刑務所)

網走刑務所の真冬は零下30℃。独房内でも零下10℃近いのに、看守は白鳥に手錠、足錠を一日中掛けて夏物一枚で独房に放り込んだ。ここで、白鳥の怒りが再燃する。

脱獄を決意した白鳥は、毎日味噌汁を脱獄防止の鉄枠に吐きかけて腐食させた。昭和19年8月26日、ついに鉄枠を取り外し、自身は肩や腕などの関節を外して狭い小窓から脱走したのだった。難攻不落の網走刑務所始まって以来の脱獄者だった。

人里に下りてきた白鳥は野菜泥棒と間違われて地主ともみ合っているうちに短刀で殺傷。2人目の殺人を犯してしまった。

4回目の脱獄(札幌刑務所)

札幌刑務所に収監された白鳥は、看守4人が1組になって監視するという厳重体制であった。だが昭和22年4月1日、今度は床下から穴を掘って脱獄に成功。

札幌市内をうろついていた白鳥は、警邏中の警官に職務質問を受けた。いつもだと「おい、こらっ」というイメージの警察官が、優しく対応し、タバコまでくれたことに感動した白鳥は、この警官に脱獄した白鳥であることを名乗った。再び、収監された札幌刑務所で公判が始まった。判決は、地主殺人に対しては殺意は無かったと認められ傷害致死罪で懲役刑だった。これで、死刑は無いと判断した白鳥は、もう脱獄はせず真面目に服役して出所しようと考えた。

「模範囚」として出所

昭和23年8月6日、札幌刑務所から府中刑務所に移送された白鳥は、最初の数年間は荒れていたようだが、その後模範囚となって昭和36年12月21日仮出所した。その後、日雇い労働でなどで暮らしていたが昭和54年2月24日、都内の病院で心筋梗塞を患って死亡。享年71歳だった。

漫画『ゴールデンカムイ』に出てくる白石由竹は、白鳥がモデルになっているよ!小説『破獄』のモデルも、同じく白鳥!すごいね!