朝霞自衛官殺害事件(赤衛軍事件)

新左翼・赤衛軍によるテロ、首謀者は京都大学助教授

1971年8月21日に東京都練馬区や埼玉県朝霞市、和光市、新座市を跨ぐ陸上自衛隊朝霞駐屯地で勤務中の自衛官、一場哲雄陸士長(21歳)が殺害された。

犯人として赤衛軍を名乗る、日本大学と駒澤大学の学生である菊井良治、新井光史、島田昌紀が逮捕された。

また「朝日ジャーナル」の記者である川本三郎(27歳)や「週刊プレイボーイ」の記者(26歳)犯人隠匿の罪で逮捕され、首謀者として京都大学助教授の滝田修が逮捕された。

犯行の経緯や動機

首謀者の滝田は1967年10月に京都大学経済学部助手となり、1969年1月頃から京大全共闘運動に参加して暴力革命について雑誌等に著作を発表し、講演で過激な武装闘争を説く等、暴力思想を主張して著名人となった。

1968年から始まった京大全共闘運動の中、滝田は全共闘学生たちの大きな思想的支柱とも呼ばれ「日本のゲバラ」とも呼ばれた。

友人の朝日新聞記者から当時日大闘争等に参加していた菊井を紹介されて1971年4月中旬から7月上旬にかけて大阪や京都、東京等で菊井と会って暴力革命や過激な武装闘争に関して意気投合した。

菊井は1969年から1971年にかけて赤衛軍が起こしたピース缶爆弾事件において偽証により約200万円の支払い命令を受けている。

かねてより武器奪取の考えを持つ菊井は新井や島田と共謀して陸上自衛隊朝霞駐屯地内に侵入し、凶器を用いて警衛勤務中の自衛官を抑圧して同駐屯地内の弾薬庫等から銃器や弾薬を強奪することを企てた。

同年8月21日午後8時30分頃、新井と島田が自衛官の制服を着用して自衛官を装い、レンタカーに乗って埼玉県和光市の陸上自衛隊朝霞駐屯地に北門より侵入。

レンタカーから降車して同日午後8時45分頃、同駐屯地内の路上で職務中の陸上自衛官、一場哲雄陸士長に対して、陸士長のライフル銃を強奪する目的で新井が陸士長の腹部を殴打。また膝蹴りをした。更に島田が包丁で陸士長の右胸部等を複数回刺した。

新井と島田は草むらに落下した陸士長のライフル銃を発見できずに逃走。

陸士長は間もなく胸部を刺されたことによる胸腔内出血等で失血死した。

菊井は滝田へ送金を依頼。滝田は同年7月23日、自衛隊基地への武器奪取に用いられることを認識した上で現金4万円を朝日新聞社内の同社記者川本に送金。川本を経由して数日後、菊井へ現金3万円が渡された。

更に川本は菊井らから、犯行現場から持ち去った物証を受け取り、1971年9月上旬に川本の妻によって朝日新聞社の寮にて焼却した。

また「週刊プレイボーイ」の記者は菊井らへ警察の捜査が近づいている旨を伝えて逃走資金として1万円を渡していた。

警察は現場の遺留品から日大グループへ辿り着き、11月19日に菊井と新井、島田が逮捕されて滝田が指名手配された。

また翌年1月9日には川本ら記者2名が犯人蔵匿及び証拠隠滅の罪で逮捕された。

判決とその後

1975年1月、浦和地裁によって菊井に懲役18年、他の犯人らにも有罪判決が下された。弁護側は控訴。1977年、菊井らは減刑されて菊井は懲役15年となった。上告するも棄却されて確定。

潜伏していた滝田は約10年後である1982年8月8日に逮捕され、1989年に浦和地裁によって懲役5年の判決が下された。弁護側が控訴するも棄却されて確定した。