天山事件

1966年12月、佐賀県小城郡小城町の天山で、短大生の男が妊娠して結婚を迫る恋人をマフラーで殺害した。裁判では意外な結末が待ち構えていた。

事件の経緯と詳細

1966年12月21日、佐賀県小城郡小城町(現・小城市)の天山中腹で、佐賀郡久保田村(現・佐賀市久保田町)の佐賀竜谷短期大学(現在は移転して九州竜谷短期大学)2年・M子さん(19歳)の絞殺体が発見された。

その日の夕方、事情を聞かれていた学友の同短大国文科1年のH(当時20歳)が殺人容疑で逮捕された。2人は学校で知り合い、交際していたという。

M子さんは妊娠していた。彼女はそのことを切り出して、Hに結婚を迫っている。若いHはまだ結婚などしたくなかったのだろう「妻帯して子供ができては生活に困る」と思い、殺害を決意した。

20日朝、M子さんを呼び出し、2人で天山に登った。

天山の頂上には南北朝時代の武将で、この場所で自害した阿蘇惟直の墓がある。標高1046m。現在は冬にスキー場がオープンしている。この日は平日の火曜日。曇り空だが、この時期としてはそれほど寒くはない日だった。

Hは心に決めたことを彼女に悟られないために、いつも通りの風に振舞いながら歩いたに違いない。

中腹の草むらまで来た時、Hは彼女をマフラーで絞殺した。

判決とその後

事件から1ヶ月後、佐賀地裁で開かれた初公判。検察側は弁護側からの要求により血液型の鑑定書を開示した。それによるとM子さんのお腹の中の子供は、Hの子ではなかったことが明らかになった。

「ああ…」

それを聞いたHはため息をついて、両手で頭を抱えた。傍聴席にも聞こえるほどの声だったという。

Hの心の中は誰にもわからないが、色々な疑問が彼の心を乱しただろう。

1967年、懲役8年で確定。その後Hは模範囚として服役し、早期に出所したらしい。

この天山事件は、下記のリンク先の穴吹氏の記事で書かれているように小説「青春の蹉跌」のモデルと言われている。著者の石川達三は朝日新聞の特集で、「人間の壁」の舞台となった佐賀を訪れたことがある。これが1968年3月のこと。「青春の蹉跌」はその翌月から毎日新聞で連載が開始された。

小説の殺人の舞台は箱根。主人公が大学生で、妊娠して結婚を迫る恋人を登山に誘い出してマフラーで絞殺するというところ、そしてお腹に宿ったその子供は実は自分ではなく別の誰かの子であるという点が天山事件と共通している。

もともと愛の行為は子供を産むための行為だ。
そんなことは解かっている。
愛の行為と子供とを、別々に切りはなして考え、
切りはなして要求するという不自然な生活は、
行き詰った近代社会から生じた病的な現象だ。
病的なとは云いながら、そうするよりほかに道はない。
病的な要求がむしろ当然の要求になっているのだ。
それを原始的な形のままで受け容れてしまったのが、
小野精二郎の場合ではないか。
小野はお人好しで、責任感が強くて、義理堅い男だった。
だから何もかも一度に背負いこんで、身動きならなくなって、
結果的には妻子までも不幸にしてしまった。
登美子の子供は、何が何でも処分してしまわなくてはならない。
しかし多分、妊娠はまちがいだろうと、彼は思っていた。
そう思いたかった。

「青春の蹉跌」より引用