栃木県・竹田香苗さん轢き逃げ事件

執念の捜査により犯人を逮捕した男性警察官

1970年6月26日、栃木県の路上で、神奈川県横浜市在住の竹田香苗さん(当時45歳)が倒れているのが発見された事件である。

事件の経緯(詳細)

香苗さんは、すぐに病院に搬送されたが既に死亡しており、司法解剖の結果、全身に強い衝撃を受けた事が発覚し、車に跳ねられ亡くなったのではないかと推測された。遺体には、肋骨の骨折と右側頭部の傷があったが、背中や足には目立ったものはなく、無傷だった。

香苗さんが発見された現場付近では、『黒色のセダン車』が猛スピードで走り去って行ったという目撃証言もあった。

警察は『香苗さんが義父の住む栃木県へお見舞いに来た際に、背後から猛スピードで走ってきた車に轢かれ、事故に巻き込まれたのではないか』とみて捜査を進めた。

合計300台以上の『黒色のセダン車』を調べ、近隣住民にも聞き込みを行ったが、本件に進展はなく2年の歳月が過ぎていった。

白石巡査部長の執念の捜査

白石巡査部長は、「どんなに小さな事件でも自ら足を運び、必ず面と向かって話を聞く」というやり方をしていた事から、地元住民からの信頼も厚く、時には住民から直接情報を耳にする事が多々あった。

1972年6月、栃木県の町外れで発生した窃盗事件の捜査にあたっていた栃木警察署の白石巡査部長は被害者宅を訪れていおり、この時、被害に遭った男性から本件に関する噂を耳にすることとなった。

その男性は、「警察では轢き逃げ事件で片付けられたようだが、あれは事故ではない。殺人じゃないか、地元住民の間では旦那が怪しいと噂になっている。」という噂だった。

ただの噂話だが、火のない所に煙は立たないと考えた白石巡査部長は、署に戻り、『交通課資料室』へ向かい、ホコリがかぶっていた本件の捜査資料を手にした。

2年前に起きた交通事故

捜査資料に目を通し、しばらく捜査するものの、本件が事故ではなく事件であるという証拠は何一つ見つからず、そのまま白石巡査部長は別の捜査をすることとなり、されに2年が経過した。

別件の捜査をしながら、どうしても本件への違和感が拭きれず、個人的に再捜査を始め、香苗さんの遺体写真を見た時に、その違和感の正体に気づいた。

資料によると、走ってきた車に『後ろから』轢かれたとあるが、香苗さんの背中には目立った傷はなく、足も無傷だった。その事から、白石巡査部長は轢き逃げ事故ではなく殺人事件なのではないかと疑問を持った。

その後、白石巡査部長は別件捜査の合間を縫い、秘密裏に本件の捜査を続け、怪しいと噂された香苗さんの夫の身辺調査を行なった。

夫の戸籍謄本を取り寄せ、非番の日には香苗さんが暮らしていた横浜へ向かい、素性を徹底的に洗うべく、自身のプライベートな時間を捜査に費やし、移動などの経費も全て実費で賄い、自身の全てを本件に注いで行った。

全力を尽くした結果、白石巡査部長の捜査で3つのことがわかった。

・夫は鉄工所を営んでいたがうまくいかずに破産し、その矢先に香苗さんが死亡したこと。
・夫は本件以来、急に羽振りが良くなったこと。
・香苗さんの所持品が化粧品と洗面用具のみだったこと。
 →横浜から栃木にお見舞いに来たにも関わらず財布すら待っていなかった。

これらのことから『事件の匂い』を嗅ぎ、積み重なる『不可解な事実』が判明した。

独自に捜査を進めて数ヶ月。ついに白石巡査部長は、夫の父親と一緒に住んでいた、『夫の弟』に話を聞くことができた。弟によると、「香苗さんは父の所に1人で来たことは一度もなく、来るときはいつも夫と一緒だった」そうだ。

これを聞き、白石巡査部長は「これは事故ではない、殺人事件だ」と確信した。

事件当時、取り調べをした別の警察官には「映画を見て、その後、おでんを食べて家に帰った。午前2時頃だったと思う。」と当日の行動を夫は話したが、この日に夫が観たと話した映画は当日上映されておらず、これが嘘であることが発覚した。

しかしこれは、映画を観ていないということを証明しただけで、本件と直接結びつくものはないが『アリバイ』を崩すことはできた。

そして、白石巡査部長は夫に対し言い逃れのできない証拠をつきつける。

白石巡査部長の執念による捜査により、夫と愛人関係であった女性の存在を突き止め、証拠となる返り血を浴びた服を見つけることができた。事故の夜、夫が愛人に洗濯を頼んだという服を鑑識に調べさせたところ、ルミノール反応が検出され、DNAが香苗さんのものと一致した。

その後、夫は犯行を自供。土地勘のある栃木に一緒に向かい、無理矢理に車から引きずり降ろし、用意したバールで頭を殴り、まだ息のあったAさんを乗ってきた車で何度も轢き、現場を去った。

警察署に自首してから、わずか20分あまりの出来事だった。

殺害の動機は、保険金1200万円が目当てだったことと、事件当時に『黒いセダン』に乗っていたこと、しばらくして証拠隠滅のために赤い車に乗り換えていたことを洗いざらい話した。

事件当時は、警察関係者に「いつでも言ってください、妻のためです。捜査への協力は惜しみません。」と話していた夫が犯人だった。

犯人であった夫は、その後無期懲役となり、現在も服役中である。

その後

白石巡査部長は引退までに『警視総監賞』を三度受賞し、天皇陛下からは、その功績が認められ、『瑞宝章』が授与された。(※国及び地方公共団体の公務、または公共的な業務に長年にわたり従事し功労を重ね成績を挙げたものに授与される。)

昭和の名刑事と呼ばれた白石巡査部長は2000年に83歳で永眠。

そんな白石巡査部長が残した信念は『大切なのは一に足、二に耳なんだ』というものだった。