栃木実父殺し事件(尊属殺人事件)

父親に犯され続け、子どもまで生んだ娘が「子どもを殺す」と言われ父親を絞殺。尊属殺人に違憲判決。

1968年(昭和43年)10月5日3人の子持ちの女、相沢チヨ(29歳)が、父親の政吉(53)を殺害したとして逮捕された。

罪名は刑法200条にあった尊属殺人である。現在では聞き慣れない罪状だが、当時は歴然と存在していた罪だ。

尊属殺人とは、自分または配偶者の直系尊属(父母、祖父母など)に対する殺害であり、通常殺人より重い『無期又は死刑』という罪が課せられるものでした。。。

今の感覚からは時代錯誤で、人権、平等といった法理念からかけ離れたものだが、しかし、家父長制度・家庭という社会的基盤維持・儒教的考えなどから、当時、親殺しは重罪とみなされていた。

だが、この父親殺しの背景には、チヨに同情すべき事実が存在した。

チヨと父親の間には長年にわたる近親関係の強要、その上での妊娠、出産といったおぞましくも悲しい事実があった。そのためこの事件は「尊属殺の重罰規定は法の下の平等に違反する」と、憲法議論にまで発展していく。

事件の経緯と動機

チヨが初めて父親に犯されたのは昭和28年、チヨがまだ中学二年14歳の時だった。

父親の政吉は勤勉とは言いがたく一家は貧困だった。当時の浅川家は栃木県内で、両親と長女チヨを含む子供7人の計9人が、狭い二間の借家に暮らしてた。

ある夜、酒を飲んだ政吉はチヨを無理やり犯した。突然のことで訳も分からないチヨは大声を出すこともできず、近くで寝ていた母親のコウはこれに気づかなかったという。

その後も政吉は母親の目を盗んでは頻繁に実娘の体を求めた。「母ちゃんに言ったら承知しない」政吉は事あるごとにチヨに口止めし脅した。

それから一年、ついに耐えきれなくなったチヨは母親にことの次第を打ち明ける。父に従順な母親だったが、この時ばかりは驚き、政吉を責め立てた。

「実の娘によくもそんな恐ろしい事を」

しかし政吉は開き直り、刃物を持ち出し狂ったように暴れた。「自分の娘を自由にしてどこが悪い!」娘を守ろうとする母親をボコボコに殴った。

母親は、チヨを親戚宅に逃がそうとしたが失敗、その後、政吉の暴力はより一層激しさを増し、人が変わったようにチヨに執着した。

母親は堪えきれず、下の子供二人を連れて北海道の実家に逃げるように帰ってしまった。

母親が出て行った後も政吉は相変わらず酒を飲み、チヨを犯した。チヨが17歳になった昭和31年、政吉はコウの実家に転がり込む形で、一家は再び共に生活をするようになった。

政吉はコウの実父に「チヨに二度と手を出さない」と詫びた上だったが、約束は守られることはなかった。政吉は夜毎にチヨを求め、庇うコウを殴った。コウの兄も止めに入るが、聞き入れないだけでなく、兄へも殴りかかる始末だった。

そんな生活が続き、17歳のチヨは妊娠してしまう。もちろん胎児の父親は政吉だった。混乱したチヨは知り合いの男と逃げ出したが、激怒した父は狂ったように探し回り、結局チヨは連れ戻されてしまう。チヨに異様な執着を示す政吉は、何度も騒動を起こした。2人の異常な関係は、自然と隣近所の噂となり知れ渡っていたという

昭和32年、政吉はチヨとその妹を連れ栃木県の長屋に引っ越し、チヨは長女を出産した。チヨは出産したことで一層「父から逃れられない」と諦観したと同時に、いつか逃げるためにと密かに着物などを一つにまとめていたという。

だが、昭和30年代、学歴もない未成年の女性が、何のあてもなく逃げても生活は困難だったことは想像に難くない。子供を抱えては尚更だ。そんな時代がチヨを縛り、父親から逃げられなくした。

こうして父親と娘は、その後も12年間に渡り、夫婦同然の生活を送った。この間チヨは5人の子供を産んだ。うち2人は死んでしまったが、3人の娘は元気に育った。

だが5回の出産のほか、妊娠中絶を5回も繰り返している。政吉は避妊を許さなかった。娘は父に応えるしかなかった。だがチヨは諦めなかった。

そのうち近所の印刷所で働き始め、29歳のときに恋に落ちた。そして、その男性と結婚の約束をした。しかし、そのことが父にバレてしまい、父親は怒り狂った。

父親はチヨを監視下に置き、当然、婚約者との仲は引き裂かれた。また、連日連夜暴行を加えるようになり「家を出ていくなら子どもを殺してやる」とまで口にするようになった。

その10日後、1968年10月5日、精神的に限界を迎えたチヨは発作的に股引きの紐で父親を絞殺してしまった。

判決とその後

尊属殺人罪で起訴されたが、彼女がひどい事をされていた事を考えると罪が重すぎるのではないかと考えられた。

そして、実情のギャップに初めて注目が集まり、意見の判断がされた最初の事件となった。最高裁は刑法200条を違憲とした。

判決は刑法199条の殺人罪になり、犯人の女性には懲役2年6月、執行猶予3年が言い渡された。