東大浪人生・父親殺害事件

過剰な管理教育を強いた父親と母親のもと、6年間の浪人生活の果てに父親殺害を決意

1995年4月、東京近郊のある市で、浪人生・A(当時24歳)は母親を六万ボルトのスタンガンで制圧して手錠足錠をかけて自宅に監禁。その後、自宅2階の書斎にいた父親(当時58歳)に手錠をかけ、ボクシンググローブをはめた手で首や顎など数十回殴った。さらに父親の胸の上に両膝乗りになり数十回飛びはね、前頸部圧迫により窒息死させた。

Aは当初、両親を拉致・監禁しようと考え父親を襲ったが、父がいったん失神し、Aが離れたすきに逃げようとしたので「だまされた」とAは思い殺意を抱いたという。

事件の経緯と動機

Aについて

高校2年時に成績が一時的に下降したものの、小中高と秀才ともてはやされていた。親しい友人やガールフレンドはいなかった。東大受験にこだわっていた。

父親について

中学校教諭。よく知る人物によると「話が理論的で隙がなく、理に通じた明達の人」だったという。

息子に対する制限は厳しかった。中学生時代にテレビ・ラジオの視聴を許されたのはNHK教育ラジオの「基礎英語」「続・基礎英語」や、父の好みだった「男はつらいよ」、「暴れん坊将軍」「水戸黄門」「大岡越前」などだけである。原則として夜8時からの1時間だけ視聴を許されていた。

書籍も地元公立中学の名作50選のリストを持ってきてAにすすめた。書店でAがリストには載っていない本を見つけると、父親に「この本はだめだろうか?」と尋ねた。水上勉の「飢餓海峡」を示した時、父は「まだ早い、くだらない」とこれを否定した。自由に購入できたのは学習参考書くらいだったという。

Aが高校1年生の夏休み、父母は2人で1週間の旅行をすることになった。この間、父は留守中のAの暮らしについて細かく指示した。外食する場合は父の指定した店で、レシートをしっかりもらってくるように命じた。父は旅行から帰ってから、領収書を1枚1枚チェックして「金額が合わない」と1、2時間追求した。

息子の趣味・嗜好に制限するのは、大学受験のためではなく、自分の理想とする人間像に息子をピタリとはめるためであったらしい。東大を目標としたAが中学3年生の時、開成高や学芸大付属高を志望したところ、時刻表を持ってきて「通学に時間がかかりすぎる」と言って反対し、地元の公立高校を選択させた。

母親について

高校のクラス写真と名簿を持ち出し女子生徒を一人一人チェックし、Aにうるさく聞く。「若いうちから女性と付き合うと身を崩す」と話す。この発言によりAは女性との交際は許可されないだろうと思った。

リューマチを患っており、一家の食事は病気の治療に効果があるとされる玄米や肉類を限定した精進料理だった。

浪人、父親との確執

高校生1年生となったAは当時流行していたウォークマンがどうしても欲しくなり、父に相談した。高校の入学祝いにもらった8万円があったから、父にお金を出してもらう必要はなかった。

父は「耳に悪いからヘッドホンでしか聴けない物は店に返品するんだぞ」と言われたが、許可を得ることができた。Aと父は近所のダイエーに出かけウォークマンを買い求めた。この時、店員に「ヘッドホンでしか聴けない」と確認したのを父も当然わかっていたはずだった。しかし、家に帰ってから「これはヘッドホンでしか聴けないから」とAが言った瞬間、父は待ってましたとばかりに「返して来い」とピシャリと命じた。

返品しに行くAに父はついてきて、ウォークマンの代金に5000円を足して自分のワープロのためのフロッピードライブを購入した。入学祝いの金をAは父に奪われてしまったことになる。

Aは学校の勉強よりも、大学受験のための自己流の勉強で東大を目指そうとした。その受験勉強のために早退してきた息子に対し、父親は叱り飛ばし殴った。父親は大学受験のための勉強より、あくまで高校の生活中心に勉強することを最善とした。

ある日、例によって父親に長時間説教をされたAは2階の自室に戻った後、「くそおやじ!」とうなり声をあげた。その声は真下の和室で寝ていた父に聞こえ、父は息子の部屋に入るなりAをボコボコに殴りつけた。この時から、Aは勉強意欲が減退していき、勉強のふりをして推理小説などを読みふけるようになった。

父親は息子の部屋にノックもなしに入ってくることが多く、Aが両親のいない時に夜食としてゆで卵を食べているのを発見された。父親は「卵はコレステロールがたまるから、体に悪い」と説教し、ゆで卵も没収した。

Aは学習参考書を買うときに母に金をもらうことになっていたが、ある日母親に「金食い虫」と言われたことがショックで、自分の預金通帳から金を引き出し、参考書や問題集を購入するようになった。通帳を見た父親はこのことでも参考書を買ったと信用せず、説教する。かつて学校でトップクラスだったAの成績は、父に殴られて以来みるみる下降し、2年の2学期はクラスで最下位にまでなった。

Aがいない時に、父親は息子の部屋に入り色々物色していたのか、Aの隠し持っていたものはことごとく発見された。ある時、斎藤由貴のCDカセットを持ち出してきて「こんなものを盗み聴きしているのを俺は知っていたんだぞ」とせせら笑った。Aは自分でCDをへし折り、焼却炉で燃やすことになった。

Aと父が2人で外出した際、父親は「今、どういうものに興味持ってるんだ?」と笑顔を浮かべ聞いてきた。Aが「大藪春彦の小説、サバイバルナイフ、警棒…」と話しても父親の表情は変わらない。この時、Aは「父にも心の広いところがあるのかな」と思い、得意になって好きなモデルガンの話をした。

数日後、父は息子が興味をもっている大藪の小説やモデルガンをこき下ろし、あざ笑い始めた。こらえきれずAは「じゃあそんなものは差し出せばいいんだろ?」と涙声で言い、全部部屋から持ち出してきて、「封印しろ」という父の指示に従い、ダンボール箱の中にしまいガムテープでとめた。

高校3年生になったAは一時なくしかけていた学習意欲を取り戻し、2学期にはクラス40人中7、8番にまで成績は回復した。しかし東大受験には失敗し、24歳で逮捕されるまでの6年間、浪人生として過ごす。

この頃、Aに学習意欲、受験意欲はあったかは不明。浪人中、家庭内暴力が激しくなり、耐えかねた両親は一時、知人の家に避難することとなった。このとき既に家庭内での力関係は逆転していた。

Aは93年ごろから2年に渡って、両親を拉致・監禁し、財産を自分の支配化に置くことを計画していた。また、手錠やスタンガン、催涙ガスなども用意していた。

犯行当日

1995年4月20日午後4時、自宅2階の書斎でAは父親に催涙スプレーを吹きかけたところ「人殺し」と叫ばれたので、押し倒し馬乗りになって手錠をかけようとしたが、抵抗されてもみ合ううちにしかたなく足錠を手にかけた。

父は身長164.5cm・体重52.8kgだったのに対して、Aは身長168cm・体重58kgでそれほどの体格差はなかった。

父の激しい抵抗に合いながらも、なんとか押さえ込んだAは自室にリュックサックを取りに行く時、スキを見た父親が逃げ出そうとした。階段の手前でAは父を押し戻すと、再度もみ合い、両手拳、手刀で何回も殴打した。

その後も、父は気絶したふりをして逃げ出そうとした。

Aは「また騙された」と憎悪、怨恨がよみがえり殺意を抱く。(この騙されたという思いは前述のウォークマンの件、好きな大藪作品を笑い飛ばされたことなどがあった。)

Aは父を洋服ダンスの取っ手に手錠をかけ、逃げられない状態とするが、父がうめくのを聞き、さらに膝で両腕を抑える形で馬乗りになり、床に後頭部を何回も叩きつけ、胸部の上で跳びあがって圧迫。口にはガムテープを貼り、声を出させなくした。死因は頸部圧迫による窒息死だった。

Aは自宅の台所のテーブルに「父を殺した。自分も死ぬ」との遺書を残し、実際に手首を切ったり、富士山麓の樹海に入ったが死にきれず、約1ヶ月の逃走の果て、都内で逮捕された。

判決

1997年2月12日、懲役10年(求刑13年)が言い渡されている。