火曜日の放火魔事件

1977年2月1日未明、新宿区三光町のビルに侵入し、1階の郵便受けなどにライターで火を付けた男が、張り込んでいた機動隊員によって逮捕された。

男は世田谷区の理容師N(当時31歳)。仕事が休みの月曜の夜に酒を飲んだ後、「ムカムカした気持ちがスッとする」という理由で住宅やビルに火をつけており、「火曜日の放火魔」として恐れられていた。

事件の経緯と動機

1976年11月16日午前3時前、新宿区番衆町のビルで新聞紙が燃えているのが見つかった。さらに午前3時前後に同じ番衆町で2件の火が上がったが、いずれも段ボールやゴミ用のポリ容器が燃えた程度だった。

12月14日午前1時過ぎ、マスコミ関係者が多く飲みに行っていた新宿2丁目で連続3件の放火とみられるボヤがあった。

新宿2丁目の放火は新聞で「火曜日の怪火」と報じられた。1週間前にも新宿3丁目で連続放火事件が起こっていたことが判明し、さらに11月16日も火曜日であった。2丁目の放火は通算12件目にあたる放火だったのである。

12月21日には西大久保で連続3件の放火が起こる。そしてここで初めて「火曜日の放火魔」という名前が有名になった。年が明けて初めての火曜日である1月4日にも律儀に「仕事始め」をしている。

回数日時場所燃えたもの
11月16日(火)午前2時45分新宿区番衆町 三恵ビル(2、3階)新聞紙・ドア
午前2時52分新宿区番衆町 路上ポリ容器・段ボール箱
午前2時53分新宿区番衆町 成和マンションポリ容器・ゴミ
11月30日(火)午前3時40分新宿3丁目 中華そば屋段ボール箱2つ
午前3時43分新宿3丁目 松岡ビル(1階)段ボール箱、花輪
12月7日(火)午前5時17分新宿3丁目 ビル地下(1階)ドア、絨毯
午前5時18分新宿3丁目 十字屋ビル紙クズ
午前5時20分新宿3丁目 ビル地下(1階)ドアポスター
午前5時23分新宿3丁目 ビル(2、3、4階)掲示板、紙クズ他 
1012月14日(火)午前1時2分新宿2丁目 ビル(1、3階)チラシ、紙きれ
11午前1時4分新宿2丁目 マンション(1階)玩具類
12午前1時17分新宿2丁目 ビル(8階)廊下の段ボールや机
1312月21日(火)午前0時20分西大久保2丁目 清掃事務所中庭ゴミ容器
14同時刻西大久保2丁目 隣の駐車場シートカバー
15同時刻西大久保2丁目 アパート1階ゴミ容器
161月4日(火)午前2時1分歌舞伎町3丁目  和食屋段ボールとドア
17同時刻歌舞伎町3丁目 小料理店しめなわ
18同時刻歌舞伎町3丁目 寿司店張り紙
19同時刻歌舞伎町2丁目  バー張り紙
20同時刻歌舞伎町2丁目  スタミナ料理店張り紙
21同時刻歌舞伎町2丁目  飲食店張り紙
22午前2時9分歌舞伎町10丁目 バー、サロンなど7棟全半焼
23午前2時53分三光町  スナック店舗
24同時刻三光町  スナック店舗
25同時刻三光町  スナック店舗

一連の放火の手口はビルや住宅の郵便受けの新聞紙やゴミくず、ポスター、それから店舗の「謹賀新年」と書かれた短冊にライターで引火するというもの。悪質ではあるが、大規模な火災を狙ったものではなく、まるでちょっとしたイタズラをするかのような犯行であった。といっても、最も乾燥する時期であったため、実際に大規模火災につながった事件も含まれる。

放火場所はいずれも新宿区内であり、それほど広範囲(例えば新宿2丁目から歌舞伎町への移動など)に渡らず、狭い範囲内で逃げながら火をつけるかのようにしている。そして11月16日と同月30日の間に一週あいているが、これは23日の勤労感謝の日で、後は年末以外毎週休まずに犯行を繰り返していることがわかる。

結果的には死者は出ず、人家に被害があったのは1月4日に歌舞伎町で7棟を焼いた1件だけだった。と言っても、付近の住民たちは恐怖に慄き、区内の各町会は青年団が拍子木を打って見回りを始めた。警察もたまたま派出所隣のマンションが狙われ、厳戒体制に入った。

逮捕

2月1日未明、新宿区三光町の大木ビルに若い男が侵入し、1階の郵便受けの封筒と壁のポスターにライターで火をつけたところを、張り込んでいた機動隊員が発見した。男は約200m逃走したが、3人の警官に取り押さえられた。この20分前、現場から約500m離れた新宿2丁目の光亜駐車場でライトバンの後部に積んであった毛糸に放火されるという事件があったばかりで重点警戒中だった。最初の犯行から12回目の火曜日で、370人の警官が動員されたとされる。

捕まった男は「港区芝の会社員・山崎正雄」と名乗っていたが、所持品に別の名字の名刺があったことから、母親が経営する世田谷区祖師谷の理容店で働く理容師N(当時31歳)と判明した。Nは約20件の犯行を自供、警察もNを「火曜日の放火魔」と断定した。

Nは世田谷区立千歳中学を出ており、級友からは「おとなしいが、いいやつ」という印象をもたれていた。中学卒業後、母親の店を継ぐために新宿区東大久保の中央高等理容学校に通い、卒業後は目白や中野の店で修業していた。母親の店で働くようになったのは10年ほど前からだった。

月収約30万円ながら、新宿の盛り場には事件の4、5年前から頻繁に遊びに行くようになり、理容師仲間から数十万円の借金があった。飲み歩いているため、新宿区内の地理には特に詳しく、放火の後は捜査員の厳戒態勢の網の目を巧妙にかいくぐっていた。逃げる時のスリルを求めて、放火を続けていた側面もある。

理容店は毎週月曜日が公休である。Nは仕事熱心なところがあり、月曜の昼間に行われる組合の講習会に出席し、数年前から講師をしていた。講習会が終わると、友人に借金して飲み歩き、そのあと火曜日の未明に放火を繰り返していた。

逮捕された時も30日が店が休みだったので新宿まで遊びに来て、歌舞伎町のサウナで一晩過ごし、31日昼間はパチンコ店などでぶらぶらした後、午後8時過ぎから新宿2丁目の酒場で飲んでいた。逮捕時の放火は数えて34件目の犯行だった。

Nは犯行の動機について

「生まれつき蓄膿症をわずらい、普段から頭がくしゃくしゃしていたが、放火すると頭がスッとして気持がいいのでやった。それに放火すると警察や住民たちが大騒ぎするのが面白かった」

と供述した。

14歳の模倣犯

火曜日の放火魔が逮捕されて一週間後の火曜日である2月8日午前0時40分頃、歌舞伎町の中華料理店裏口に積んであった段ボールのわきに男がうずくまっているのを通行人が発見。近寄ったところ、男は逃走し、その場にあった段ボールは黒く焦げていた。

その5分後、中華料理店から約40m離れたディスコブティック入口の段ボールが燃えあがったが、気づいた店員が消し止めた。

0時50分ごろには約20m離れたレストランバー前路上のポリバケツのゴミが燃えた。

1時半ごろ、張り込んでいた新宿署の署員が、路地を歩きまわっている若い男を職務質問したところ、放火したことを認めた。男は世田谷区の私立中学2年のA(当時14歳)で、特に悪びれた様子もなく犯行の動機を「マスコミで火曜日の放火魔が騒がれたのに捕まったので、自分でいたずらして世間を騒がせてやろう」と思ったと話した。

Aは7日午後9時過ぎに家を出て、タクシーで渋谷駅まで出て、電車に新宿に向かった。家の台所にあったサラダ油を空きビンに入れており、新宿駅の売店でライターを購入した。その後、食事をしてゲームコーナーをぶらぶらしながら火曜日になるのを待っていたという。

午前4時過ぎ、新宿署に父親がかけつけてきた。父親は「忙しくて子供とじっくり話し合う機会が少なかった。なにが不満なのかとことん話をしてみます」とAの肩を抱くように署を出て行った。