吉展ちゃん誘拐殺人事件

2020年07月

戦後最大の誘拐事件といわれた全貌を解く

吉展ちゃん誘拐殺人事件の概要

吉展ちゃん誘拐殺人事件とは、1963年(昭和38年)3月31日に東京都台東区入谷町(現在の松が谷)で発生した男児誘拐殺人事件です。

テレビやラジオで犯人からの音声を公開し情報提供を求めるといったメディアを用いて国民的関心を集めた事件で、日本で初めて報道協定が結ばれた事件として知られています。

犯行の動機や経緯

東京都台東区入谷町に住む建築業者の長男、村越吉展ちゃん(当時4歳)が近くの公園に遊びに出掛けたまま行方不明となりました。

午後6時頃、妹たちが帰ってきたので母親の豊子さん(当時28歳)が吉展ちゃんのことを尋ねると、見かけなかったとの証言から、家族は当初迷子だと思い警察に捜索願を出したのです。

新聞にも誘拐ではなく行方不明と報じられました。

しかし、2日後の4月2日、犯人から身代金50万円を要求する電話があり、その後、合計9回に渡り男の声で身代金の要求電話がありました。4月7日に身代金の受け渡し日が決定。

母親は犯人から指定された場所に50万円の入った封筒を置きましたが、警察のわずかな隙を突き50万円を奪取し逃亡されてしまったのです。以降、犯人からの連絡は途絶え、吉展ちゃんも帰って来ることはありませんでした。

4月13日、警察はマスコミを通じて録音した脅迫電話の声を公開し、情報提供の呼びかけを行いました。当時としては異例のことでした。しかし、正午までに220件以上の情報が寄せられたといいます。

そして7月4日、営利誘拐、恐喝容疑で逮捕されたのが小原保(こはらたもつ 当時32歳)。小原は「吉展ちゃんを誘拐した夜、荒川区南千住のお寺で殺し埋めた」と自供。仕事を解雇され取引先から借金の返済に迫られていたというのが動機でした。

7月5日、吉展ちゃんは白骨化した状態で発見され、小原の身勝手で惨すぎる行動によって引き起こされた殺人事件として印象付けられたのです。

判決とその後

1966年3月17日、東京司法裁判所は小原に死刑を言い渡しますが、弁護側は計画性がなかったとして控訴。しかし何度かに渡った公判と上告は、最高裁判所に棄却され、1967年10月13日死刑が確定し、1971年12月23日に死刑が執行されました。

この事件は、法律にも大きな影響を与えることとなりました。身代金目的略取という項目の追加により通常の誘拐よりも重い刑罰を科すよう改められたのです。

吉展ちゃん誘拐殺人事件が、警察の捜査の在り方や法律の見直しという重要性を改めさせ、世間に対して大きな影響を与えたことは確かであるといえます。