在日米軍兵士・ウィリアム・S・ジラード事件(ジラード事件)

在日米兵が殺人するも執行猶予付き、後に日米間の密約が明らかに

1957年1月30日に群馬県相馬ヶ原の米軍演習場で、空薬莢拾いをしていた主婦の坂井なかさん(46歳)が銃撃により死亡した。

流れ弾に被弾したと思われていたが、その後犯人として在日米軍兵士のウィリアム・S・ジラード(21歳)が逮捕・起訴された。

日本とアメリカの政府間でジラードの処罰に関する密約が交わされていたことが後の秘密文書公開により明らかになっている。

犯行の経緯や動機

当時の在日米軍群馬県相馬が原演習地では実弾射撃訓練が行われており、敷地内は立ち入り禁止であったものの、近隣住民は空薬莢等の金属類を拾い換金することを目的に敷地内へ侵入していた。

事件当日の1957年1月30日、坂井さんは薬莢を拾うためへ演習場内へ侵入していた。

犯人のジラードが所属する部隊は昼休憩を挟んで正午に実弾による訓練を再開するが、薬莢拾いの近隣住民が多数いたことから空砲による訓練へ切り替えていた。

午後1時半頃、ジラードは薬莢を拾っていた坂井さんらを手招き、壕の中に薬莢が大量に落ちている旨の日本語を話して坂井さんを誘導。

背後から発砲するも空薬莢のため空振り、2発目を発射して殺害した。坂井さんは即死であった。

午後4時頃、演習場内に変死体があるとして米軍から渋川署桃井派出所へ通報があった。

事件当時に演習場内で坂井さんと行動していた住民によりジラードによる犯行であることが判明。米軍によりジラードの身柄が確保され、危険区域に立ち入った坂井さんに対する警告のための射撃が誤って命中した事故として処理された。

しかし目撃証言や同僚がジラードの犯行を認めたことから翌2月9日にジラードは傷害致死の容疑で書類送検された。

同月11日に現場検証が行われ、ジラードの空に向けて射撃したという証言に反して射撃は水平方向へ向かって行われたことが判明。

しかし裁判権は日本にあるとする日本側の主張とアメリカにあるとするアメリカ側の主張で対立が続き、5月16日になって米軍が裁判権を行使しない旨が日本へ伝えられた。

同月18日にジラードは起訴されるも、ジラードの親族が反発。訴訟を起こして6月18日にジラードの身柄を日本へ引渡すことを禁止する判決が出された。しかし米政府が控訴して一審が破棄され、日本側の裁判権が認められた。

判決とその後

1957年8月26日、前橋地裁でジラードの公判が開かれ、検察側は殺意は十分にあったとして懲役5年を求刑。

11月9日、ジラードへ執行猶予4年の懲役3年が言い渡された。ジラードはアメリカへ帰国。米軍からは不名誉除隊となっている。

1991年のアメリカ政府による秘密文書公開によって、日米間でジラードへの処罰を傷害致死罪にすることを条件に身柄を日本へ移す内容の密約が結ばれていたことが判明した。