柴田白葉女・女流俳人殺人事件

出所直後の犯人が、強盗目的で女流俳人を殺害

1984年6月25日、千葉県市川市に住む女流俳人・柴田白葉女さん(本名は初子、77歳)が自宅で殺害されているのが発見された。

犯人は家にあった現金には手をつけず貸し金庫の鍵を持ち出し、翌日2000万円相当の株券を奪った。

28日、市内の証券会社に株券を換金しにきた無職・安田則夫が逮捕される。安田には強盗傷害の前科があり、服役中に俳句雑誌を通じて柴田さんのことを知っていた。

事件の経緯と動機

1984年6月25日、女流俳人・柴田白葉女(本名は初子、77歳)が千葉県市川市八幡の自宅の応接間で頭から血を流して亡くなっているのが発見された。

遺体にはカーペットがかけられており、市川署は殺人事件と断定した。

着衣に乱れはなく、家にあった貴金属や現金は取られていなかったが、押し入れの中だけがなぜか荒らされていた。客に出したであろうお茶と和菓子がそのままになっており、捜査員らは24日午後に集まっていた柴田さんの門人らが帰った後に訪れた人物を中心に捜査を行った。

柴田さんは飯田蛇笏に師事し、「女性俳句」「俳句女園」を創刊した現役の女性俳人で、1983年には蛇笏賞を受賞している。夫である千葉大文理学部教授・寛さんが1983年2月に亡くなってからは1人暮しをしていた。

保田と安田

事件当日は柴田さん宅には数人の友人が 柴田さんは「夕方、テレビ局の人が来る予定になっている」と話しており、その約束の時間が迫っていたため、午後3時過ぎに柴田さんと数人が家を出たところ、近くの葛飾八幡神社で「NHKのヤスダです。保険の『保』に田んぼの『田』の保田と書きます」と名乗る男が話しかけてきた。

友人たちは帰っていったが、「秋に外国と俳句の文化交流をすることになった」という話を耳にしている。ところが事件後、NHKにそんな人物はおらず、そうした取材も予定されていなかったという。

27日朝、朝日新聞東京本社に犯人と名乗る男から電話が入る。

「角川(書店)のちょうちん持ちなら誰でもよかった。5時40分ですよ、殺したのは」

という内容だったが、柴田さんは角川書店にちょくちょく執筆していたものの、ちょうちんを持つということはなかった。

さらに事件当日の午後、柴田さん宅からほど近い本八幡駅前の喫茶店でお茶を飲んでいた女性に「保田」と名乗る男が話しかけていたことが判明する。男は女性に「角川書店に勤めている保田といいます。角川春樹とは早稲田時代に付き合っており知っています」と話し、「午後5時から女流俳人を訪問する予定です」と言って去っていった。

28日午前9時40分頃、証券会社に柴田さん所有の株券を換金しに来た男が張りこんでいた警官によって逮捕された。保田ではなく、安田則夫というのが彼の本名だった。

安田則夫について

山口県宇部市生まれ。

1970年、新宿区で放火や強盗傷害の事件を起こし、懲役12年の判決を受ける。

千葉刑務所で服役中、安田はふとしたきっかけで俳句に興味を持つようになり、俳句クラブに入っていた。とはいっても協調性のなさから出席を許されず、200~300冊の俳句雑誌をひとり読みふけったり、数人の同人と文通をしたりしていた。柴田さんの名も俳句雑誌を通して知った。

4月19日、刑期を終えて出所。文通相手のうちの1人(広島在住)が引き取り人となった。

まもなく上京した安田は服役中に知った柴田さんが1人暮らしであることを知り強盗を思いつく。その行動は早く、「NHKの者だが、『海外の俳句』というテーマで取材したい」と申し入れた。

24日午後4時過ぎ、柴田さん宅を訪問。応接間で柴田さんと話しているうち、隙を見てそばにあった木製の椅子で柴田さんの頭を数回殴って殺害した。家にあった三菱銀行八幡支店の貸し金庫保護預り証書と貸し金庫の鍵、登録印鑑を盗み出した。

翌日午前10時ごろ、動支店で貸し金庫を開け、中にあった東京電力の株券18900株(時価2000万円相当)を奪う。さらにその足で市川市内の証券会社に「柴田治男」という偽名を使い換金を持ちかけ、「28日に金を受け取りに来るから」と株券を置いていった。

そして28日に証券会社に来たところを逮捕された。逮捕後はしばらく犯行を否認していた。

判決とその後

検察は論告で、出所直後に老俳人をいとも簡単に殺した犯行を「反社会的で冷酷残忍」と断じ、「更生は望めず、社会から永久に隔絶しなければならない」と異例の厳しい求刑をした。 

1984年12月14日、千葉地裁において石田恒良裁判長は安田則夫(当時43歳)に求刑通り無期懲役の判決を下した。